【写真説明】左写真は中横脇にある文山温泉への入口で当時は立ち入り禁止、今も実際はそうかもしれないが、湯治客は後を絶たない。中央写真は同温泉の更衣室。五年以上も使われていないので荒れていた。右写真はトウサイ渓を対岸に渡り川底の温泉に降りていく為に渡された、その名も「温泉橋」。本文記事下の写真が文山温泉全景、入浴する場所は右側である。
2005年4月、中横建設以降「文山」と呼ばれるようになった日本時代の深水温泉で落盤事故が発生、8人が遭難、その内一人が亡くなった。爾来、同温泉は立ち入り禁止になった。「深水」の謂われについては、「合歓山越嶺古道−17」の(註11)を参照にして欲しい。少なくとも約一年半前の2010年夏ぐらいまでは完全な立ち入り禁止だったが、その温泉より少しだけ中横を登ると道路脇に、「雲莊谷園」という清潔な民宿風の宿泊施設があり、そこの管理人さんに、今でも浸かれますよと言われ、見に行ってみた。すると地元の人らしき人々が実際入浴していた。今回掲載した写真はその時に撮影したものだ。
つい最近に同地に宿泊する機会があり同じ質問をしてみたら、今は解禁になったと言われた。本当かどうかは疑わしいが、確かに、中横脇の嘗ての入浴客の為の駐車用のスペースは埋まっていた。
ところで、「雲莊谷園」とは谷園という地名の場所にあるからである。文山と同じで中横開闢以降に付けられた。この宿泊施設は正式には「行政院退輔会花蓮西宝栄民農場谷園分部」である。「合歓山越嶺古道−6」の(註6)で解説を加えたように栄民とは国軍退役軍人のことだ。中横建設に従事した退役軍人が建設後入植して開かれた農場が中横沿線に点在する。これも台湾の特異な戦後歴史である。尚、「西宝」とは、この谷園から更に中横を登り詰めた場所にある旧シーパオ社の地である。(終わり)
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