2015年04月11日

パイワン族秘道−77:トア社−3

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【写真説明】徳文村にはパイワン族伝統の石板屋が数多く残るとの説明が『台湾原住民族資訊資源網』にはある。筆者の実地探訪ではそのような印象が無いのは、観察眼の欠如か?或いは、現代のトクブン社の地理的な広がりが大きく、全容が未だに判らず?のどちらか、実際は後者だと考えているので、もう一度探訪する機会に恵まれれば明確になるはずだ。他方、大社には割と保存状態の良いものが少なからず残っていたので、数枚掲載して「トア社」の紹介を終える。台湾の原住民族社会では日本語のカタカタは現役であるこの証左の一つが大社部落で見掛けた下掲写真。(終わり)
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2015年04月04日

パイワン族秘道−76:トア社−2

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【写真説明】左写真は郷道31号線が終点に近付く辺りから大社部落全体が見渡せる場所から撮影。中央写真は大社メイン・ストリートの様子、右写真は同じ通りを逆側から撮影した。下掲写真は、部落内で見掛けたパイワン族伝統の石板屋と現代建築とのフュージョン。
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2015年03月28日

パイワン族秘道−75:トア社

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【写真説明】左写真は、トア社入口に設営されたモニュメントであるが、謎が多い。まず、中央石碑のトップには「ラヴァル族群」の表記あり、その通りである。その下に部落名が大書きされているが、「カリヤラン」と読める。しかもこの部分は元々の石碑に刻まれた部落名を隠して黒字のプレートが填め込まれて訂正されている。原住民族委員会の『台湾原住民族資訊資源網』では、大社のパイワン語表記は「Davaran」(ダバラン)である。中央写真は大社国民小学校の校舎の一部、同写真左側に「屏東県三地門郷大社学区」の表記あり。右写真は、同小学校の校門脇にあうモニュメント、モニュメント上の山岳意匠は大武山だと思う。下掲写真は、大社への出入口である郷道31号線と省道24号線の分岐に立つ交通指導標。西ルカイ族居住地へのメイン・アクセス道路である24号線から大社まで12キロあるという意味である。自動車道とは云え、山中の12キロは実に長く山深さが身に浸みる。
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2015年03月21日

パイワン族秘道−74:トクブン社−5

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【写真説明】左写真は矢野駒太郎紀念広場の正面。同写真に写る案内板全訳は本文記事を参照。但し、特に第三段落、第四段落の後半は意訳が多く、本当に建立者の意図をきちんと使えられているかは大いに疑問。中央写真は碑本体正面、右写真は同碑裏側、剥落が激しく全文は読めない。「昭和七年」等の文字が確認出来る。
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2015年03月14日

パイワン族秘道−73:トクブン社−4

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【写真説明】左写真は三地門国民小学校徳文分校の校舎正面、中央写真は日本時代のトクブン公学校の初代校長矢野駒太郎記念碑を背中から望み、現在の校舎との関係を示した。右写真は、現在は「矢野駒太郎紀念広場」と称される記念碑の正面写真。
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2015年03月07日

パイワン族秘道−72:トクブン社−3

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【写真説明】左写真は、徳文山頂上直下の登山道景観。中央写真は山頂と三角点。右写真は、実際は山頂からの眺望ではなく、郷道31号線から俯瞰した霧台郷方面。同写真手前、山影に写り込んでいるのは現在の徳文村に属するのだと思うが、日本時代の蕃地地形図に従うならば、キヌジヤロン社か?同写真中央は、神山集落、同写真左端に写るのは旧佳暮村、更に左側最奥は下大武集落である。このように、徳文村は、実は佳暮村に隣接している形になっており、日本時代地形図では、南からキヌジヤロン社、トクブン社、上パイワン社の三社が徳文山北東の山裾の狭い範囲に居住していたのだが、現在は徳文村で一括りに思える。筆者の予想が正しいかどうか?は時間が必要だ。
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2015年02月28日

パイワン族秘道−71:トクブン社−2

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【写真説明】前回の記事で書いたように、最初にトクブン社を訪れたのはこの集落自体が目標ではなく、この集落南側に裾野を広げる名峰、徳文山(標高1,246メートル)を目指した。名峰と称しているのは筆者だけかもしれないが、観ても良し、登っても良しの山である。今回は、郷道31号線沿いにある登山口付近にある、十二年(2002年から2014年)の歳月を経た二種類の指導標を並べた。左から一番目と三番目の写真が2002年撮影、同二番目と四番目(右写真)が2014年撮影したものだ。二番目の指導標下部に「徳來公園」と記載されているが、郷道31号線脇に設けられた公園で、巨大なカジュマルを中心に据えた公園(下掲載写真)で徳文村の入口に位置している。十二年の隔たりはあったが、明確なイメージとなって残っていた。最初に訪れた際、そのガジュマルを始めかなり撮影したはずだが一枚も残っていない。昨年再訪した際一枚だけ撮影したしょぼい作品を掲載せざるを得ず。(続く)

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2015年02月21日

パイワン族秘道−70:トクブン社

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【写真説明】右写真は、省道24号線上に設けられた検問所、入山証の提示を求められる。同検問所は、西ルカイ族の主要居住地である霧台郷並びに、パイワン族最北の集落、トクブン社並びにトア社への出入口になる。中央写真は、その検問所から望む雄壮無比の北大武山山塊。右写真の左側山塊上部に写るのは、神山村(カバララヤン)直下の省道24号線から俯瞰した徳文山、屏東郷道31号線、そして徳文村集落、同山塊下部の道路は右側山塊上の新暮佳村に至る道路で、「ルカイ族秘道−23:ラブアン社(大武村)」で掲載した写真と同一地点から撮影。
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2015年02月14日

ルカイ族秘道−31:カバダナ・カナモデサン社(佳暮村)−4

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【写真説明】大母母(ダイボボ)山の三枚。霧で森全体が濡れ祖母る左写真。中央写真は登山道途中で見掛けた指導標、「大鬼湖」とは日本時代はバユ(巴油)池と呼ばれており、今回の記事中でも僅かに触れておいた。右写真は頂上三角点、ダイボボ山頂上に辿り着いたという記憶すら曖昧、写真だけが残っていた。
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2015年02月07日

ルカイ族秘道−30:カバダナ・カナモデサン社(佳暮村)−3

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【写真説明】新佳暮村の三枚。中央写真は、旧佳暮村から望んだ新佳暮村。右写真は、新佳暮村入口(中央写真では、左側)に置かれている「太陽を射る」像。。。だと思っていたのだが、少々怪しくなった。上大武集落の紹介でも同じ説明をしたのは、以前タロコ族の村、合作村平生(トルワン社)の像がずっとイメージとして残っていたからだが、待てよ、タロコ族とルカイ族は同じ神話を共有している?調査が必要である。この佳暮村の像も先の上大武集落のそれも単に獲物を狙う勇者かもしれないが、弓を引く角度は明らかに空(そら)に向かっているのだが。尚、佳暮村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。(続く)
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2015年01月31日

ルカイ族秘道−29:カバダナ・カナモデサン社(佳暮村)−2

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【写真説明】左写真は、新佳暮村から東側の旧佳暮村を望む。中央、並びに右写真は、旧佳暮のメインストリート、撮影は水曜日、正午、人気無し、但し、綺麗に清掃され、旧村のイメージからは程遠い。下掲写真は、廃校となった旧霧台国民小学校佳暮分校。尚、佳暮村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2015年01月24日

ルカイ族秘道−28:カバダナ・カナモデサン社(佳暮村)

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【写真説明】旧佳暮村入口に立つ指導標三種、中央、並びに左写真奥に写る山並みは神山、霧台集落方面である。左写真の石碑の銘に「民国八十四年」(1995年)の銘が見えるが、旧佳暮村から新佳暮村の位置に移遷した年のはずだが、何故、旧佳暮の地に立てたのか?尚、佳暮村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2015年01月17日

ルカイ族秘道−27:タラマカウ社(達拉馬考:上大武東川巷)

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【写真説明】左写真は、タラマカウ社集落下のシデロウ社との連絡道脇にある使途不明のテラス。単に涼亭、休憩所の類とは異なる宗教色のある建造物故、掲載した。本文記事中の涼亭とは別。中央写真は小さな集落の入口に当たる部分に設置されたルカイ勇士。「ルカイ族秘道−25」に掲載したシデロウ社のそれと比較するとコミカルな感じがある。右手の勇士は弓を引いて太陽を射ようとしている。右写真は、これらルカイ勇士像近くに設けられた活動センター、タラマカウ社の集会所。尚、同社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2015年01月10日

ルカイ族秘道−26:シデロウ社(徳労:下大武小山巷)−2

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【写真説明】左写真は霧台小学校大武分校の校庭、同写真奥に正門があり更にその奥の建物が校舎、校庭右側に行政機関が並ぶ。中央写真は小学校校門、右写真は村役場。。。下掲載の写真は、前回の記事に掲載したルカイ勇士像の真向いの用途不明の私有地広場に、シュールに置かれたビビッドな色彩群の静物達が不可思議な空間を創り出していた。パンダの台座には「清潔漂亮我最愛環保工作一起來」(清潔できれいなことが大好き、環境保護の為に一緒に頑張ろう!)の文字有り。(続く)

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2015年01月03日

ルカイ族秘道−25:シデロウ社(徳労:下大武小山巷)

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【写真説明】左写真は、上下大武集落の分岐点で構えるルカイ勇士像、中央写真はその像の後方に復元された頭目の家。右写真は、勇士像脇の人家の畑に花開いていた山百合、ルカイ族の象徴の一つ。
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2014年12月27日

ルカイ族秘道−24:ラブアン社(大武村)−2

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【写真説明】大武村へ至るには、霧台、佳暮の各々から辿る連絡道があったが、後者はモーラコット台風で崩壊、今は霧台からのアクセスのみ可能。左写真は、霧台−大武連絡道から望んだ大武村全景、同写真右側集落が上大武(東川)、左側が下大武(小山)、写真手前の吊橋が、前回紹介した古仁人橋、上大武集落の左下に移る赤い線は、これも今年竣工した塔羅羅湾(タララワン)橋。右写真は、大武村下大武集落に至る今年竣工したばかりの古仁人橋。大武村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック
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2014年12月20日

ルカイ族秘道−23:ラブアン社(大武村)

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【写真説明】左写真は省道24号線を神山集落に向かい高度を上げていくと、隘寮北渓対岸の河岸段丘上に向かい合う二つの集落が見え出す。新旧(新集落が左側)の佳暮村である。中央写真は、霧台集落下の24号線から分岐している大武村へ降りる霧台大武(略称「霧大」)連絡道入口。右写真は阿礼大崩壊部から望む霧大連絡道の九十九折と、隘寮北渓底に集落を形成する大武村下大武集落。尚、大武村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2014年12月13日

ルカイ族秘道−22:イラ社(伊拉)−2

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【写真説明】前の記事で書いたように、以前は、筆者のような余所者が件の大門をくぐる時には些かとも異境へ踏み込む高揚感があったのだ。その門をくぐった後に通過するイラ集落は寒村然としていたが、それはそれで自然な感じがしたものだ。今は、豪華な高架橋と真新しい大サイズの谷川部落への指導標が掛かったが、寒村然とした佇まいは以前通りなので、逆にそのギャップが大いに不自然になってしまった。左写真はイラ社の「メイン・ストリート」で2001年の撮影、何故メインなのかと云うとこの街路やや奥、写真左側に教会へ通じる横小路が付いているからだ。中央写真は同じメイン・ストリートを2014年に撮影、十三年の差があるが、谷川大橋を支える巨大な橋梁がにょきりと生えた以外、何も変わっていない。右写真は同じ街路上に面した壁に描かれたルカイ族カップル。下掲写真は、2001年と2014年の谷川長老教会。新ためて、既に少なくとも十年以上も前から「谷川」の呼称が使われていたことを認識した次第。尚、イラ社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。(続く)

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2014年12月06日

ルカイ族秘道−21:イラ社(伊拉)

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【写真説明】左写真は、隘寮北渓北岸から谷川大橋=新省道24号線とイラ集落、その横を走る旧24号線を俯瞰する。中央写真は、曾て谷川大橋以前に隘寮北渓を跨いでいた一号橋を越えると待ち構えていた霧台郷入口を示す大門、2001年10月撮影、今は無く、右写真は2014年6月にその大門付近から曾て一号橋が架かっていた方向を撮影。同写真奥の高峰は徳文山(標高1,246メートル)。尚、イラ社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2014年11月29日

ルカイ族秘道−20:カバララヤン社(神山)

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【写真説明】谷川大橋を渡り切った後、蛇行と登行を繰り返す省道24号線が漸く平坦地に辿り着いた時、まず目にするのが左写真の「神山社区」の石碑である。ここから、24号線の両脇には霧台郷中心地区の街並みになる。右写真は霧台郷役場上部から俯瞰する神山社区、カバララヤン社である。
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2014年11月22日

ルカイ族秘道−19:ブダイ社(霧台)−4

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【写真説明】ブダイ社「極彩色」紹介第三段は、ブダイ社頭目の家である。ルカイ文物館と霧台国民小学校北側に隣接している。左写真奥の車の右側が頭目の家、中央写真は頭目の家正面、右写真は、頭目の家入口の守護神のレリーフ。下掲は頭目の家に意匠されたルカイ族のシンボル、左写真は壺とそれに巻かれた瑠璃、右写真は百歩蛇。パイワン族と共通である。(続く)
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2014年11月15日

ルカイ族秘道−18:ブダイ社(霧台)−3

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【写真説明】ブダイ社「極彩色」紹介第二段は、霧台国民小学校である。左写真は、ルカイ文物館脇に設けられた正門。中央写真は、校舎全体の眺望、手前はルカイ族のシンボル意匠の一つ、壺とそれに巻かれた百歩蛇。右写真は校舎の一部に意匠された百合。(続く)
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2014年11月08日

ルカイ族秘道−17:ブダイ社(霧台)−2

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【写真説明】先の投稿記事でコメントした「極彩色」の一例を紹介する。左写真は、先の記事で掲載した商店兼食堂の24号線を鋏み斜め向かい側にある商店兼食堂+民宿。中央写真は、その+民宿脇の自動車道側壁上のレリーフ、右写真は、霧台国民小学校入口横のルカイ文物館(博物館)前広場、正面が文物館、その右に小学校正門があり、左の建物は避難所。下掲左写真は、ルカイ文物館入口、右写真は、避難所、日本時代の駐在所構造を模している。同写真後方は、阿猴富士とその稜線。(続く)
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2014年11月01日

ルカイ族秘道−16:ブダイ社(霧台)

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【写真説明】左写真は、ブダイ社全景、省道24号線上南側から同社の南側からの俯瞰、奥に写る稜線と集落は徳文山(標高1,246メートル)とルカイ、パイワン族混合の徳文社、二つの稜線の間は、隘寮北渓で断ち切られている。中央写真は、ブダイ社入口、24号線脇の商店兼食堂の百合、ルカイ族の象徴、右写真はその脇の駐車場にあった百合を模した街燈囲いとブダイ社。下掲の写真はブダイ社の北側からの俯瞰、最奥の最高峰は井歩山(標高2,064メートル)、別名、阿猴富士、その由来は、「ルカイ族秘道−1」を参照。
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2014年10月25日

ルカイ族秘道−15:キヌラ社(去露)−3

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【写真説明】キヌラ社記事の終わりは、定番、派出所+小学校である。制帽まで捨てて山を下るとはどういう了見か?長治郷内に造成された永久屋基地、「大愛園区長治百合部落」は、ルカイ+パイワン族合同集落である。そのことを知った上でのことか?(続く)
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2014年10月18日

ルカイ族秘道−14:キヌラ社(去露)−2

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【写真説明】霧台郷では最小の村落、既に、阿礼社と共に長治百合部落に下ってしまったが、移遷時の戸数・人口のデータが手元に無い。前回の投稿記事のように、案外日本時代の統計はそのまま現代キヌラを形容している可能性は大きい。そう、掌に載るような塩梅なのだが、驚くべきことは、そんなミニ集落に教会が三軒もあったことだ。(続く)
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2014年10月11日

ルカイ族秘道−13:キヌラ社(去露)

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【写真説明】左写真は、省道24号線からシャデル社側を背にキヌラ社を望む。集落の規模と同時に、隘寮北渓側へ落ちる急斜面上に形成されている様子が良く判る。中央写真は、省道24号線からキヌラ社へ降りる自動車道に乗り入れた直ぐの道路脇土手に倒れたままになっていたルカイ勇士、モーラコット台風の齎した強風に負けたようだ。右写真は、キヌラ社入口で我々を歓迎する別なルカイ勇士。
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2014年10月04日

ルカイ族秘道−12:シャデル社(阿礼)−4

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【写真説明】日本時代、台湾各所の主要原住民部落の中には、駐在所、小学校、衛生所が三点セットで並立され、そのセットは今でも引き継がれている。今回掲載した三枚は、阿礼国民小学校跡。左写真は小学校正門脇にある集落集会所、中央写真は校舎の一部、右写真は校庭、同写真奥に写る稜線は、井歩山(右側)〜霧頭山(左側)を結ぶ。(続く)
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2014年09月27日

ルカイ族秘道−11:シャデル社(阿礼)−3

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【写真説明】2010年春に長治百合部落に移遷した阿礼村、シャデル社の2014年6月の状況。左二枚は集落内の様子。左写真右手前に写る白い建物は派出所、右写真は集落内唯一の雑貨屋さんへの道しるべ。以前は筆者自身この村に寄る度にビールを買ったものだ。下掲左写真は、省道24号線終点付近に立つ阿礼社区石碑。同右写真は、小学校校門付近に立つ歓迎標。
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2014年09月20日

ルカイ族秘道−10:シャデル社(阿礼)−2

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【写真説明】省道24号線の45.5キロ〜48キロ区間は、今や「阿礼大崩壊」と呼ばれる大崩壊が現出している。モーラコット台風以降、阿礼村は廃村となったが、旧部落民は時折帰郷する。この為、自動車が片側通行出来るだけのスペースは確保してあるが、四駆での走行が基本だ。今やこの段は、寧ろハイカーやサイクリストが多いのではないかと推察する。左写真は、45.5キロ付近の崩壊部開始地点。
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