2006年08月24日

『水の古道』美濃水橋(1)

Kodou-9.JPG【写真説明】美濃市街地の中に残る「水橋」。日本人岡田安久次郎の設計に拠る。昭和二年(1927年)竣工。写真奥の水橋の袂にはこの設計者の名を刻んだ「水橋改築記念碑」が当時のまま残る。現在市街地内にはこの水橋を含む日本時代に開設された灌漑水路を辿る「水[土川]の旅」と称されるサイクリング道も整備されている。
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2006年09月10日

『水の古道』美濃水橋(2)

Kodou-10.JPG【写真説明】竹子門発電所を過ぎ、六亀郷に入ってすぐ、県道が西勢渓を渡る所に新寮橋が掛かる。この橋の袂に古い橋桁が残り、民家の一部になっている。この橋桁に「大正十四年三月竣工」の銘があった。この民家の住人がここを立ち退けばこの橋桁は撤去される可能性が大きい。
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2009年02月28日

『水の古道』美濃水橋(3)

Kodou-340.JPG Kodou-341.JPG
【写真説明】蘇花古道の出発点である蘇澳(羅提督が蘇澳から開鑿を開始したと云う意味で)から南に向かい歩を進めていく前に、少しだけ一服する。いきなり蘇澳から遥か南に移動してしまって申し訳ないが、左写真は竹仔門発電所横にある今は水徳宮と呼ばれる廟。竹仔門発電所が出来た後に水神様を奉る神社を建立、戦後それを襲って改建されたものが現在の廟である。同写真中央、龍が踊る部分が神社時代の階段で本殿位置は当時も今も同じである。右写真は現在の廟内に残る岡田安久次郎の功績を讃える石碑。

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2009年03月07日

『水の古道』美濃水橋(4)

Kodou-342.JPG Kodou-343.JPG Kodou-344.JPG
【写真説明】『水の古道』というカテゴリーを設け、そのカテゴリー下に入る記事を整理している最中に、今は高雄県の古蹟に指定されている美濃水橋の設計者、岡田安久次郎の碑文は「改竄」されていると過去の記事で何度か言及しながら、実はその碑自体の写真を未だ掲載していないことに気付いた。実に間の抜けたことをしたものだ。それでもう一回美濃水橋の記事を掲載することにした。但し、ここに掲載する写真は当時土砂降りの中で撮影したものなので写りが悪い。勘弁して貰いたい。

左写真は水橋の袂に立つ「水橋改築記念碑」、中央写真はその裏側に刻まれた碑文。改竄は稚拙なのだが、読者には判りにくいと思うので解説をしておく。碑の元々の全文は以下の通り:

「大正拾五稔五月起工 昭和三年四月竣工 設計監督 技手 岡田安久次郎 工事仕立人 天野政一」

さて改竄されている部分は起工・竣工の年号である。「大正」と刻まれた部分にセメントが塗りこまれ「(中華)民国」に代えられているが、大正の年号と中華民国年号は偶々一致している、つまり、大正十五年=民国十五年(1926年)なのである。それでそれ以下の数字は運良くそのまま使えたわけである。さて苦しいのは竣工の年号である。大正は十五年で終わったので、昭和に入ると中華民国年号とは合わなくなった。昭和を塗りつぶしたのはいいが、「三」の真ん中の一を塗り込め、上下の一に短い縦棒を通して「十七」と代えている。これだと辻褄が合う。

右写真は、水橋を渡ってきた水が美濃の街中に流れ込む様子である。今でもこの水路端で洗濯が出来る…というのは冗談である。(終わり)
ラベル:台湾 台湾古道
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2009年06月06日

『水の古道』美濃水橋(5)

Kodou-375.JPG Kodou-376.JPG
【写真説明】このシリーズの(1)と(4)に掲載した美濃水橋自体の写真は雨の日に撮影されたものである。そこで何時かは晴れた日に撮影したものを掲載したいと望んでいたが、今はそうそう機会がない。そこでT博士にお願いした。今回掲載の写真二枚はT博士撮影のものである。今後はこのように、自身で出掛けられず他人に調査・踏査をお願いする機会が増えてくると思う。それはそれでよいことだと思う。

まず水橋と云いながら、どんな形をしているか、シリーズ(1)の写真では想像が難しい。その種明かしが左写真である。繰り返すが昭和3年(1928年)の竣工で、その当時のままである。水橋改築記念碑が写真右奥、橋の向こう側の右袂に写っている。

左写真は、シリーズ(4)の右側写真と同位置、水橋を背にして撮影したもの。奥に人頭山(標高390メートル)が写っている。獅子頭[土/川]が今現在どういう利用の仕方をされているか、その一端を示している。(終わり)
ラベル:台湾
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