2008年08月09日
玉山古道(新高山歩道)−1
【写真説明】写真左は国道3号線(高速道路)から玉山連峰を含む稜線を望んだもの。同写真中央より左側の半分が玉山連峰でその最高点が玉山主峰である。一度確認したことがあるが、少なくとも同高速道路上約40キロぐらいは連続して見えている。但し、実際高速道路(とその沿線の平野部)から玉山を見ようとするなら日の出前しかチャンスが無い。玉山連峰を含む稜線を西側から見ているので、陽が昇ってしまえば幾ら天気が良くても明るくなり過ぎて稜線が霞んでしまうからである。嘉義市街から省道18号線(通称「新中横公路」)を阿里山を目指して走ると、龍美辺りで玉山連峰が見えてくるが大概の人は気が付かないと思う。中央写真はそんな風景の一枚。最後方の稜線が玉山連峰で、その手前の稜線は阿里山山塊、真西からの眺望となる。遠方から玉山を探す時はこの稜線の特徴をイメージするのが便利だ。逆に、右写真は玉山主峰直下からの主峰から北峰への稜線、同じく真西からの眺望。
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2008年08月16日
玉山古道(新高山歩道)−2
【写真説明】左写真は秀姑巒山(台湾百岳6号:標高3,805メートル)の頂上から玉山連峰を望んだもの。一番奥の稜線中央が主峰。ほぼ真東からの眺望となる。中央写真は郡大山(台湾百岳54号:標高3,278メートル)の稜線から玉山連峰を望む。最後方の稜線の左から二番目のピークが主峰。真北からの眺望となる。右写真は渓頭山(標高3,272メートル)頂上から玉山連峰を望む。同写真右奥に小さく写る緩やかな弧を描く短い稜線がそれである。真南からの玉山連峰の眺望となる。渓頭山は、南部横貫公路(省道20号線、通称「南横」)沿いに登山口を持つ、所謂「日帰り可能な三千メートル峰」であるが、百岳には指定されていない。しかしながら頂上からの眺めは雄壮無比、中央山脈南段の最高の展望所の一つ。同写真を右側へ向かい上る暗く写る稜線はは向陽山(台湾百岳16号:標高3,603メートル)へ到る。
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2008年08月23日
玉山古道(新高山歩道)−3
【写真説明】左写真は玉山国家公園塔塔加遊客中心(ビジターセンター)、嘗てはタータカ林場の集材場だった場所である。同写真右奥に写る尖峰が玉山主峰である。中央写真は現在のタータカ・ルートの登山口でのお馴染みの光景。朝方は逆光になるので「玉山登山口」の面は暗くなるのがここでの記念撮影の難点である。同写真のバックのギザギザの稜線は小南山(標高3,615メートル)と南玉山(同3,381メートル)である。右写真は玉山西峰頂上にある祠。赤い蕾は石楠花。4月下旬の撮影で他の場所では既に咲き始めているのだが、標高が3,500メートル近くあることと、周りは樹木が繁茂し眺望は利かず温度が上がりにくい為開花が遅れている。
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2008年08月30日
玉山古道(新高山歩道)−4
【写真説明】タータカ・ルートと八通関ルートの登山口を結んでいるのは省道21号線。その21号線は南投県信義から八通関ルート登山口のある東埔温泉へ向かう途中、陳有蘭渓を渡る。左写真はその陳有蘭渓橋から夕刻に撮った玉山連峰。写真で一番高く見えるのは北北峰・北峰で、その右側が主峰である。東埔温泉郷内には今でも日本時代の遺物が散見される。中央写真はその中の一つ、門柱であるが、当時この門がどのような建物への入口になっていたのかは当時の写真を見てもよく判らない。筆者の背中は今は警察署である。右写真は八通関ルートの現在の登山口。
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2008年09月06日
玉山古道(新高山歩道)−5
【写真説明】これら三枚の写真は嘗ての阿里山森林鉄道の終点阿里山駅、今は沼平駅と呼ばれる駅周辺の桜の開花時の風景である。台湾人の桜を鑑賞する様が垣間見れると思う。すぐに判ると思うが、何故か赤い服を着ている人が多く、満開の桜と似合っていると言えばそう言えるかもしれない。2003年3月下旬の撮影である。中央写真の桜の木の後方が「祝山観日歩道」入口で、日本時代、鉄道が敷かれた当初は登山客はここから新高山を目指して歩き出した。
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2008年09月13日
玉山古道(新高山歩道)−6
【写真説明】左写真は省道18号線沿に残る「児玉駅」プラットフォーム。この上に立ち日の出に歓声を上げる遊楽客は多い。但し、嘗ての森林鉄道のプラットフォームであったことに気付く人は殆どいないと思う。中央写真は嘗ての「新高口駅」跡。往時を伝えるものは一切残っていない。登山口は同写真奥の道路標識が立っている部分。ここは同時に霞山林場支線と石水山林場支線の起点だった場所で、既に軌道は取り外されているが、右写真のような残骸が残る。
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2008年09月20日
玉山古道(新高山歩道)−7
【写真説明】省道18号線脇にある鹿林山登山口から鹿林山荘までは、僅か700メートルの登りだが、この登山道は日本時代から使われていたようだ。「玉山回首」(曾恵香編撰、玉山国家公園管理処、1990年4月初版一刷)の中に、旧阿里山駅脇の新高山歩道入口付近で撮影されたとキャプションのある女学生登山隊の集合写真が採録されているが、撮影場所は明らかに旧阿里山駅ではない。その写真後方に階段が写っているのだが現在の鹿林山登山口に設けられた階段とそっくりだ。寧ろその写真を元にして林武局が階段を拵えたと勘繰りたくなる。もう一つはこの登山道の古色蒼然とした雰囲気で、古道の名に相応しいのだが、当時何故ここに登山道が設けられていたのか判然としない。登山道沿いには明らかに日本時代に設けられた側溝等が見られるので林場線とこの後すぐに紹介する鹿林山荘との連絡道だったのかもしれない。左写真はそのような雰囲気が伝わる一枚。一度歩くだけの価値は大いにある。
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2008年09月27日
玉山古道(新高山歩道)−8
【写真説明】左写真は鹿林天文台下、即ち鹿林前山(2,862メートル)頂上足下から玉山連峰並びに、玉山主峰に連なる稜線を望んだもの。最後方右側稜線の最高所が主峰(3,952メートル)、その左側が、北峰(3,858メートル)・北北峰(3,883メートル)、同写真右手が鹿林山(2,895メートル)の稜線でそこから弧を描きながら玉山主峰に競り上がる稜線は、順に麟趾山(2,854メートル)、玉山前峰(3,239メートル)、西峰(3,467メートル)である。又、同写真右奥には、郡大山、並びに秀姑巒山を含む台湾中央山脈最高段が見える。更に、写真左側に見える道路は新中横(手前省道18号線、奥が21号線)で嘗ての阿里山森林鉄道林場線の軌道を外しそのまま自動車道にしたものである。
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2008年10月04日
玉山古道(新高山歩道)−9
【写真説明】左写真は鹿林山山腹から麟趾山南側斜面を望んだものであるが、中腹に一本写真を左から右に横切る道が見える。これこそが筆者がこれまで長い前文を費やして綴ってきた玉山古道、新高山歩道の生き残り部分である。今は麟趾山北側山裾に舗装された林道を通り玉山登山口に到るが、当時は鹿林山荘から鹿林山と麟趾山との鞍部に到り、同写真に見える道を辿りタータカ登山口に下りて行った。同写真一番手前が麟趾山頂上へ繋がる稜線と登山道、次の稜線が東埔山(2,782メートル)、その奥の稜線右側の最高点が郡大山。中央写真はその鹿林山と麟趾山との鞍部にある指導標、「塔塔加鞍部 2.0km」とあるのが玉山古道である。同写真右に写る階段は右写真は麟趾山頂上へ繋がる登山道。右写真が正真正銘の残存する玉山古道の一風景。
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2008年10月11日
玉山古道(新高山歩道)−10
【写真説明】左写真は麟趾山山腹から鹿林前山(鹿林山天文台)方面を振り返ったもの、実に気持ちの良い草原の中の登山道である。中央写真は麟趾山山腹にある池塘、写真奥の尖峰は関山。左写真は麟趾山山頂、玉山前峰に始まる玉山連峰の眺望を遮るものは一切無いが、残念ながら主峰は西峰の上にほんの僅かに頂を覗かせているに過ぎない。同写真で草が払われ地肌が露出している部分は防火帯。
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2010年03月20日
玉山古道−11
【写真説明】左写真は玉山国家公園管理処水里ビジター・センターの駐車場脇に設置されている日本時代の「新高山登山口」記念碑のレプリカ。レプリカの下段にはその由来が中文と英文で記されたステンレス製のプレートが嵌めこまれている。又、同レプリカ上段には「新高、阿里山國立公園 臺中口」と記された木製のプレートが掛かっている。「國家公園」ではなく「國立公園」である。「新高、阿里山國立公園」は大東亜戦争の影響で頓挫した幻の台湾国立公園システムである。残りの三枚の写真は日本時代設置のオリジナルの記念碑の現在の様子。水里ビジター・センターから16号線を南下すること五分程度の地点である。
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