2007年12月29日

八通関古道−1

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【写真説明】現在の八通関古道西側入口である南投県信義郷東埔温泉に入るには省道21号線より同富村和社付近にある同富橋を渡る。その橋より望んだ陳有蘭渓と玉山山塊。写真右奥の白っぽい岩の塊が玉山、一際高いのが北峰(標高3,858メートル)、その右側の頂が主峰(同3,952メートル)である。写真左奥に見える三角形の山は八通関大山(同3,335メートル)。八通関古道はこの陳有蘭渓の左岸を溯ってまず八通関大山の麓を目指す。
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2008年01月05日

八通関古道−2

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【写真説明】清代に開鑿された部分は現在山中にあるものを除けば、すっかり市井の中に埋没してしまった。開鑿から130年以上も経っているので当然である。それでも清代開鑿の起点である南投県竹山鎮内の自動車道脇に、写真のような看板を見付けたので入ってみると観光客誘致用に煉瓦敷きの道路が出来ていた。或る竹細工(竹山は台湾で有数の竹の産地)の工房へと導かれるようになっている。これが単にご愛嬌なのか、実際嘗ては清代に開鑿された道路だったのか、俄には断定しがたいが、この場合は後者であろうというのが筆者の贔屓目である。
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2008年01月12日

八通関古道−3

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【写真説明】三枚の写真は現代の八通関、日本時代の発音は「はっつうかん」である。左写真は古道途中にある観高駐在所跡付近から望んだ八通関と玉山。同写真右側のドーム状の大岩塊が主峰(標高3,952メートル)、その左の尖峰が東峰(同3,869メートル)、その下の連続した草原の小山の向こう側が八通関、右下側の崩れ落ちた崖が金門[山/同]大断崖。中央写真はその崩れ落ちた崖上付近の八通関の風景、同写真右側に写る山は郡大山(標高同3,278メートル)。右写真は八通関中央、溝状のものが走っているのが見えるが、八通関駐在所遺構である。後方の稜線は玉山北峰(同3,858メートル)へと続く。いずれの写真も2月に撮影されたもの。
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2008年01月19日

八通関古道−4

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【写真説明】沈葆驍フ命を受け実際に八通関を経由し中央山脈を横断する道路開鑿を指揮したのは呉光亮提督で、現在国家古蹟に指定されたものは彼に因むものが多い。南投県鹿谷郷にある鳳凰山寺は八通関横断道開鑿に因む寺であり、彼の銅像が立つ。台座に「開台英豪」のプレートが嵌めこまれている。寺は921地震で倒壊したが再建された。寺の中には彼の親書と言われる「佑我開山」(我が開山するを佑け給えの意)の実物扁額が訪れる人を見降ろしている。右写真は鳳凰山寺本殿(という表現が正しいか?)、写真では全部は見えないが左右両側入口上部に「山通大海」と「萬年亨衢」の文字が掛かる。字体は同じく呉光亮の親書として別な場所に石碑として残存しているものの模写である。(但し、「山通大海」碑の方は近年洪水で消失)。
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2008年01月26日

八通関古道−5

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【写真説明】台湾中央山脈の最高峰秀姑巒山(しゅうこらんさん、標高3,805メートル)の頂上から八通関古道が横断する方面を望んだもの。筆者は実際古道の一部を歩いたり、本を読んだり、地図をつぶさに見たりと八通関古道の全貌をイメージしようと色々試みたが、結局この台湾五嶽の一座の頂に立って初めてその全容に対するイメージが掴めた次第である。写真右側が八通関方面、左側が太平洋方面である。筆者が立っている場所が既に四千メートルに近いので、見下ろしている山々は殆どが優に三千メートルを越えていることになる。例えば、写真左奥の稜線中飛び出た頂は新康山(標高3,331メートル)である。写真右側から登ってきた八通関古道は、丁度雲が掛かっているその下に沿って太平洋側の花蓮に向かい抜けている。雲が切れている右端が大水屈駐在所があった辺りで古道の最高所である。
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2008年02月02日

八通関古道−6

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【写真説明】これからも本ブログで八通関古道沿いの駐在所跡地・遺構を写真で紹介するケースは多いと思う。今回は鹿野忠雄の「山と雲と蕃人と」にもしばしば登場する「バナイコ駐在所」跡地、現在は「巴奈伊克」の表記で同名の山小屋が立つ。山小屋というより作業小屋兼用である。実は本当にここが駐在所跡地なのかどうかは余り自信は無いのだが、八通関駐在所から東側約5キロの位置になるので当時の駐在所設置の間隔から行けば妥当な場所だし、わざわざ小屋に当時の駐在所と同じ名を冠してあるからである。右写真はバナイコ小屋付近の古道の様子。
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2008年02月09日

八通関古道−7

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【写真説明】八通関越警備道上、最大規模と言われた八通関駐在所遺構の一部。左写真はコンクリート製の門柱。中央写真は石垣。右写真は家屋の柱を受ける土台(建築用語があるはず)。丹念に探せば遺構は幾らでも出てくると思う。当時の写真を見ても辺りの風景は一切変わっていないのに驚く。姿を消したのは人と家屋だけである。自動車道が通らない限り、この地は永遠に封印されるのではないかとさえ思える。尚、八通関には清軍の駐屯所(営盤)も築かれたはずであるが、筆者は未だにその場所が判らない。
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2008年02月16日

八通関古道−8

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【写真説明】東埔温泉の登山口から最初の登り、登山道がブヌン族の畑の中を通る。同写真後方下が東埔村。登り切ると父不知子断崖に掛かる。中央写真は断崖を横切る古道の一部。高所恐怖症の方はまず歩けないが、そうでなければ全くの登山装備無しで散歩気分で歩ける。右写真は古道西段に最初に掛かる雲龍瀑布とそれを横切る古道。東埔登山口から約3キロ強の距離である。
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2008年02月23日

八通関古道−9

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【写真説明】「八通関古道−4」で紹介した鳳凰山寺から更に奥に進むと鳳凰山鳥園がある。これはどの地図にもその記載があるので鹿谷郷内の観光スポットの一つであるはずだ。その名の通り鳥類園なのだが私自身は参観したことがない。そこをすり抜けて更に進むと何をやっているのか皆目見当の付かない同鳥園管理所があり、その入口脇に「萬年亨衢」石碑への入口がある。その入口を上がると左写真の竹林の中を抜ける石段に導かれる。清代開鑿の八通関道の白眉である。その緩やかなスロープの階段を登り詰めた場所に鎮座するのが、清代開鑿道中に残存する最大遺跡である中央写真の石碑である。その石碑の裏側を辿ると、狭く草には覆われてはいるが小さな山道として古道が続いているのが判る。それが右写真で、或る程度は素人でも辿れるはずだが、私自身は未だその入口を汚しただけである。
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2008年03月01日

八通関古道−10

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【写真説明】八通関古道東段は花蓮県玉里の市街から省道18号線を辿り約10キロの距離にある南安ビジター・センターが起点になる。休日は相当数な車と人で賑わう。その駐車場に今は強化プラスチックで保護された「八通関越道路開鑿記念碑」が立つ。左写真がそれである。他方、このビジター・センターに至るにはその直前に卓楽橋でラクラク渓を渡るのだが、ビジター・センターのラクラク渓を隔てた対岸山中に右写真の「八通関越道路開鑿殉職者之碑」が立つ。日本時代の古道は、この碑の立つ辺りに降りてきていたのだ。後者の碑には日本人とブヌン族の殉職者二十一名の名が刻まれているが、碑文に建立の日付が無い。但し、礎石部分も含め建立当時の姿のまま未だに無傷のまま残存しているのは感動的である。
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2008年03月08日

八通関古道−11

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【写真説明】花蓮県玉里市街にある玉里栄民病院(左写真)の脇の道路(右写真)が嘗て日本時代の八通関越嶺道東段の入口だった。今はその面影は全く霧散している。
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2014年05月10日

八通関古道西段−12

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【写真説明】まず、最初の崩壊地が、東埔温泉登山口→三聖宮愛玉亭→畑を登り切り、著名な父不知子断崖(父子断崖)展望台に至る陳有蘭渓と沙里仙渓出会い上部である。過去より崩壊を繰り返し登山道も同時に変移する。左写真はその崩壊地中途、中央写真は崩壊地を渡り切った父子断崖)展望台付近から望んだ。右写真は父子断崖)展望台。通常は重装だと登山口から崩壊地入口までは急登を強いられ難儀だが、今回は我らがポーター「黒熊」の軽トラック(下掲載写真)でその崩壊地入口、最後の畑を登り切った場所まで運んで貰った。そもそもそこまで自動車が上がれることに驚いた。
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2014年05月17日

八通関古道西段−13:ラクラク駐在所

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【写真説明】ラクラク駐在所の跡を襲った楽々山屋の三枚。左写真は古道中のラクラク駐在所への上がり口、当時の雰囲気をいまだに強烈に残す。実は同山屋は『台湾百岳』「八通関大山−3」でも写真掲載、違いは八年前の写真、この間の変化は太陽電池盤の追加、今現在機能しているとは思えないが。下掲写真は、古道西段、父子断崖に続く白眉、雲龍滝に至る懸垂壁に開削された古道の惨状の一例。
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2014年05月24日

八通関古道西段−14:ラクラク駐在所−2

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【写真説明】楽々山屋の山側高台に残るラクラク駐在所跡。左写真はその高台の一番上で長方形の石塁で囲まれた部分で、中央写真に見られような小さな階段の出入口が設けられている。当時の駐在所の写真を見ると駐在所自体はかなり広々とした場所に建てられているので、やはり現在の楽々山屋と小屋続きの広場が駐在所跡かもしれない。高台のものは神社だった可能性もある。そこには右写真のように掘り出された日本時代の瓶が多数放置されていた。その内の一本を持ち帰った。下掲載の一枚は広場の山側に築かれた精緻な石塁の例。(続く)
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2014年05月31日

八通関古道西段-15:対高駐在所

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【写真説明】左写真は対高駐在所跡全景。台中から来たと謂う英語学校のインストラクター三人が野宿の後片付けをしていた。中央写真は、セメント塗の床、駐在所遺構と思われるが、或いは戦後のものかもしれない。右写真は、東埔温泉側からの駐在所への上がり口で、当時の風貌を残す。下掲左写真は、英語のインストラクターのお供のメスの台湾犬。彼女の名前を不覚にも思い出せず。同右写真は、対高駐在所手前(東埔温泉側)の古道惨状。
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2014年06月07日

八通関古道西段-16:観高駐在所

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【写真説明】左写真は、東埔側を背にして撮影した観高坪。同写真左側に観高駐在所、観高登山センターへの降り口がある、東埔側に向かって撮影した観高坪の写真は「郡大山−6」に掲載。中央写真はその観高坪に立つ、「東埔温泉まで14.3キロ、八通関まで2.4キロ」の指導標。右写真は、観高坪から観高駐在所跡を襲ったヘリポートへの降り口で、日本時代から残る階段。下掲写真は、観高坪ヘリポート越しに望む中央山脈最高段、稜線の最高点が秀姑巒山(台湾百岳6号、標高3,805メートル)、その左側に連なる稜線がマボラス山(同7号、3,765メートル)、ヘリポート下が登山センターになっている。
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2014年06月14日

八通関古道西段-17:観高駐在所−2

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【写真説明】観高駐在所遺構例を三枚紹介する。右写真は、ヘリポートの端、登山センター上部に立派な階段が残っていたのだが、撮影の角度が悪く判り難いのが残念。これ以外にも塹壕跡、鉄条網等が遺構として存在しており、それは観高坪と中の線の出会いのヘリポートへの降り口右側の敷地内にあることになっているのだが、そこまでは探す余裕無し。下掲載写真は、観高坪の東埔側手前の崩壊部例。(続く)
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2014年06月21日

八通関古道西段-18:八通関駐在所

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【写真説明】観高〜八通関の従来の古道に沿ったコースは、古道そのものの殆どが山腹崩壊で消失しているので、今は立ち入り禁止であるが、命と簡便さ(距離・落差・時間)を天秤に掛け、後者を選択したパーティーは、滑落と落石の双方を多数箇所で覚悟しなければならない渡渉を強いられる。その崩壊状況を多く写真に収めたのだが、そのどれもが貧弱な表現に堕してしまったので一枚だけを選んだ。左写真は、崩壊した古道上に辛うじて残った里程標。右写真は、古道と八通関との出会いで、進入を禁じた警告板。下掲写真は、観高〜八通関間の迂回路での撮影。
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2014年06月28日

八通関古道西段-19:八通関駐在所−2

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【写真説明】左写真は旧古道と観高−八通関間の迂回道の出会いに立つ真新しい指導標。後方に聳える山は八通関山西峰稜線、迂回道は同写真に写る稜線上部を巻いている。中央写真は八通関駐在所跡(同写真右側)とその西側に位置する清代開鑿時付設の営盤、右写真はその拡大図。
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2014年07月05日

八通関古道西段-20:バナイコ駐在所

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【写真説明】左写真は2014年撮影のバナイコ避難小屋。「八通関古道−6」に掲載の同小屋2006年撮影の写真と比較して欲しい。小屋自体は些かの変化も無いが、新しく橋が架かっていた。どちらの写真も大水窟方面を背にして撮影。バナイコ駐在所跡地は、撮影者(筆者)の背中方向約100メートル後方。中央写真は、避難小屋内部。右写真は、バナイコ避難小屋前後の台湾二葉松の美、これも「八通関古道−6」掲載写真と同様。
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2014年07月12日

八通関古道西段-21:秀姑巒駐在所

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【写真説明】左写真は、八通関古道西段の入口、東埔温泉から辿れば、通常の二泊目の帰投地となる中央金礦山屋。中央写真はその内部の様子。右写真は、小屋外に設けられたエコ・トイレ。屋根は無いが、地上より一段高く設けられており、用足し中に覗かれることは無い。用足し後は腐植土を投入するよう薦められている。
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2014年07月19日

八通関古道西段-22:秀姑巒駐在所−2

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【写真説明】左写真は、中央金礦山屋の向かい側に秀姑巒駐在所跡地を覆う竹藪。中央写真はその跡地から見た同山小屋。右写真は、同山小屋を次の経由地である杜鵑営地に向かうショートカット足る登山道が最初に出遭う古道の進行方向とは逆側の様子、秀姑巒駐在所へ至る段、即ち中央金礦山屋側に戻る格好になる。
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2014年07月26日

八通関古道西段-23:躑躅山駐在所

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【写真説明】左写真は、中央金礦山屋から登り始め、最初の古道との出会い。笹の残骸が積もっており余り歩かれていないような様子を呈していた。中央写真は、バナイコからの古道へのショートカットとの出会い。ここで、古道を離れてやや急登のショートカットになり、高度を次の駐在所である躑躅山駐在所と同じ3,200メートルまで稼ぐ。右写真はこの分岐点と躑躅山駐在所間の古道の一風景、岩盤が古道開鑿の為に大きく削り出された部分。
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2014年08月02日

八通関古道西段-24:躑躅山駐在所−2

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左写真は、台湾二葉松の木立の中の躑躅山駐在所跡地。中央写真は、秀姑巒駐在所方面から入ってくると、躑躅山駐在所敷地入口左の山側に築かれた、人の字型に組み合わされた大陸工法とされる石壁(楊南郡レポートでは「石畳」)。右写真は、同駐在所の敷地端(次のマイルストーンである南駐在所側)に残る土塁(楊南郡レポートでは「夯土牆(こう・ど・しょう)」)、一般の建築工法としては「版築(はんちく)」と呼ぶそうで、日本では築地塀に代表される土壁、土塁の類。下掲写真は、躑躅山駐在所跡地付近で見付けた日本時代の碍子。
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2014年08月09日

八通関古道西段-25:南駐在所

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【写真説明】躑躅山駐在所と大水窟間の古道上には道路路肩を保護する為、古道開鑿時に築かれた精緻な石塁が今でもそのまま残存している箇所が多いことに気付いた。今回の記事ではその三例を掲載した。八通関古道西段で筆者がこれまで目撃した中で最も精緻を極めたと感じた石塁は下掲のバナイコ駐在所跡と八通関大山登山口間に現存する「ミニ架橋」だったが、上掲載の右二例はそれを凌駕する美形だ。左+中央写真は、躑躅山−南間、右写真は、南-大水窟間。
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2014年08月16日

八通関古道西段-26:南駐在所−2

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【写真説明】左写真は南駐在所跡地より大水窟山南陵を望む。実際、同駐在所跡地から頂上までのルートが見えているし、筆者一行が、躑躅山駐在所と南駐在所間に位置する登山口から登頂したルートと出遭っているのを確認している。中央写真と右写真は南駐在所を囲む石塁。中央写真は南側から駐在所内を、右写真は逆に駐在所内から石塁を撮影した。大陸工法の人の字型の組み合わせが観察されるこの石塁、中央写真の左側は20メートル、右側は45メートルが残存、石塁の高さは70センチと云った所か?下掲載写真は、同駐在所跡で見付けた水鹿と思われる頭骨。(続く)
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2014年08月23日

八通関古道西段-27:州廳界

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【写真説明】日本時代の台中州と花蓮港廳の「州廳界」を三枚掲載した。左写真は、中央奥に大水窟山屋を配し、左側が完全に干上がった大水窟池、右側手前が、州廳界跡、要するに階段である。中央写真は、その階段の細部。右写真は、背中を見せている筆者のすぐ右腕を伸ばした辺りの草原の中に引っ掻き傷様のものが見えるが、清代営盤跡。下掲左写真は、大水窟避難小屋越しに望む大水窟山東側稜線、頂上は見えていない。右写真は避難小屋内部。基本的に、中央金礦山屋と同構造。
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2014年08月30日

八通関古道西段-28:大水窟駐在所

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【写真説明】左写真は大水窟駐在所の古道に接した部分、即ち駐在所入口方面から見た駐在所を囲む石塁、同写真奥の石塁に人の字型の組み合わせが顕著に見て取れる。中央写真は、曾ての避難小屋、完全に倒壊していた。日本時代の遺構にあらず。右写真は左写真の入口とは間反対側に設けられた石塁中の門。下掲左写真は、大水窟駐在所跡の慌ただしい踏査を終え大水窟に戻る途中で振り返った駐在所跡付近と東進する八通関古道。同写真の稜線奥に顔を覗かせているのは新康山。下掲右写真は、大水窟−大水窟駐在所間にある里程標。「托馬斯」まで9キロとあるが、実は、大水窟駐在所とトマス(ブヌン語で熊の意)駐在所間には、更に四つの駐在所(ミヤサン→マサブ→ササラビ→マシサシ)が配置されていた。二キロ弱の間隔であり、この距離の短さ=駐在所の多さは、八通関越嶺道路東段の一大特徴だ。
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2014年09月06日

八通関古道西段-29

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【写真説明】筆者別ブログ『台湾百岳』では、積雪を含む台湾冬季の様子を時折紹介しているが、古道ブログの方では、台湾の雪、氷の紹介は殆どしたことが無い事に気付いた。左写真は、中央金礦山屋と秀姑巒駐在所跡地を隔てている、荖濃渓源頭の一部を形成していると思われる沢、同写真左側岸が避難小屋、右側岸が駐在所跡、沢筋には中央写真のように結氷が見られる。右写真は、躑躅山駐在所―南駐在所間の古道脇の結氷した沢の一例。台湾の三千メートル峰山麓で冬季は典型的に見られる風景である。
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