2012年04月28日

パイワン族秘道−51:大亀文王国−3

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【写真説明】内獅村旧社、日本時代の内獅頭社に残る内獅頭公学校跡の三枚。日本時代建立の門柱に嵌め込まれたプレートの「高雄州潮州郡」とは、日本時代の当地の行政区域名である。この校庭でパイワン族伝統の儀式を執り行い、大亀文王国の首都、旧内文社に分け入るのが尋魂の旅の通例のようだ。つまり、内獅頭公学校跡が尋魂の旅の起点というわけだ。

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2012年05月05日

パイワン族秘道−52:大亀文王国−4

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【写真説明】旧内獅頭社跡。初回訪問時はその在り処が判らなかったのだが、普通乗用車で乗り入れが可能なので、草木が定期的に切り払われ家屋跡が保存されている場所が散在していた。左写真は自動車通行可能な道路(産業道路)脇にある家屋跡。同写真中央に写る表示板はこの住居の持ち主とその家族の家系図が示されている。この手の表示板は私がこれまで訪ねたパイワン族旧社では初めて目にするものだ。中央写真は自動車道から離れ更に奥にある住居群へ通じる道で草木が丁寧に刈り取られている。右写真は中央写真奥にある住居跡の一例。尚、これまで掲載した記事の現集落、旧集落の位置関係をざっくり理解して貰えるようダイヤグラムを掲載した。

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2012年05月12日

パイワン族秘道−53:大亀文王国−5

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【写真説明】大亀文王国の中の一つ、「霧里乙」社跡の三枚。筆者の手元の日本時代地形図にはこのままの漢字に「プリイツ」の振り仮名が振られている。内頭獅公学校前から産業道路を辿ること二キロ弱の場所にある。左写真が産業道路上に現れた旧社入口。中央写真は旧社への降り口。右写真の左側が頭目の住居跡だと思う。というのは、阮理事長曰く、旧社跡で最も大きな石板が立てられたのが頭目の家で、自身の家はその隣(隣か、向かい側か?)だと。

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2012年05月19日

パイワン族秘道−54:大亀文王国−6

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【写真説明】左一枚目写真は、自動車駐車地点から約一時間歩いた地点まではバイクの走行も可能、バイク乗り入れ最後地点。7時40分に駐車地点を出発、8時35分にバイク乗り入れ最終地点に着いた。この歩行時間は、「大亀文王国プロジェクト」サイト内の尋根記録と一致する。二枚目写真は、藪を切り払いながら内文社への旧警備道を進む阮理事長。途中、樹相は種々変化する。三枚目写真は相思樹の群生、パイワン族が古来植樹したものだ。右写真、突然松が顕れ驚くが、戦後のものだと思う。バイク乗り入れ最終地点から内文社入口までの旧警備道は崩壊部も多く、藪がすっかり歩道を覆い隠してある場所もあり、少々不便で歩行自体を楽しめない。お陰で、「大亀文王国プロジェクト」サイト内の尋根記録では、この間の歩行は約半時間なのだが、我々の場合、一時間を越してしまった。8時35分出発、9時45分着。歩行合計二時間強で内文社入口へ辿り着いた。この間、これまでの記事を視覚化する為に、内獅村から内文社へ至る簡便なダイヤグラムを掲載した。内文社に位置については、前掲サイト内にあるGPSデータ、東経:120度43分、北緯:22度19分から割り出した。(続く)
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2012年05月26日

パイワン族秘道−55:大亀文王国−7

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【写真説明】「出迎え」―左写真は内文社入口でまず我々を迎えてくれた茄苳(アカギ)の巨木、その横には榕樹(ガジュマル)の巨木も同時に侍っていた。右写真はこれらの巨木も併せ嘗て日本時代の官舎群が軒を並べていた場所で、旧内文社の最上部に当る。

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2012年06月02日

パイワン族秘道−56:大亀文王国−8

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【写真説明】「南蕃騷擾殉職警官碑」―左写真は同碑の全体、中央写真は、小米酒(粟酒)で挨拶並びに慰霊の言葉を述べる筆者、右写真は碑の基壇の石積。本文記事末尾の写真は、同碑の水鉢。碑文は殆ど失われていたが、それ以外の部分に損傷、故意の破壊は見当たらず、南台湾のジャングルの中に忽然と起立していた。

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2012年06月09日

パイワン族秘道−57:大亀文王国−9

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【写真説明】「日本統治」―左二枚はパイワン族独特の石塁の立派な階段を従えたコンクリート製の門柱。右二枚は官舎群のコンクリート土台。門柱にしろ、土台にしろ、これらが嘗て何の建物だったのか?は、当時撮影された写真(が残っていれば)を丁寧に見ていけば判るのではないか?と思えるぐらいによく残っている。本文記事下に当時の内文駐在所の写真を掲載した。左から二人目が頭目、台湾ではよく知られた一葉である。門柱は官舎群のほぼ中央部に位置しているので、駐在所入口だったかもしれない。

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2012年06月16日

パイワン族秘道−58:大亀文王国−10

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【写真説明】「日本統治」(2)―本項は一回の記事で済まそうと考えていたが、数葉紹介したい写真が残っていたので、追加で記事を起こした。左写真は、前回掲載の門柱から入ると直ぐの場所にあった使途不明の石組み。同写真のように実際何かの樹木の鉢植え?中央写真は水搭。本ブログでもこれまで、ライ社ピュウマ社リキリキ社の水搭を紹介済み。右写真は、前回記事中で紹介した官舎群を支える高さ1.5メートル程度の見事な石塁で、紹介したように中央付近に階段と門柱がある。(続く)。
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2012年06月23日

パイワン族秘道−59:大亀文王国−11

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【写真説明】「内文祠」―「祠」とはつまり神社のことである。左一枚目の写真は参道を支える石垣。石垣が支える参道端から見下ろしたもの。全く崩壊した部分が無く、その頑強さは驚くばかりだ。左二枚目は、祠に至る参道と第一の階段。三枚目は、その第一階段を登り切り第二の階段、並びに基壇を望む。右写真は基壇の一部、石積みの精緻さは感動的ですらある。本文記事下の二枚の写真は、基壇全体と鉄筋が覗いている様子。

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2012年06月30日

パイワン族秘道−60:下パイワン社(排湾、筏湾)

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【写真説明】左写真は屏東県瑪家郷瑪家村入口。中央写真は、下パイワン社とチャリシ社を射鹿渓で繋いでいる吊橋。射鹿渓はやがて、隘寮(南)渓、荖濃渓、高屏渓の順で台湾海峡に注ぐ。右写真は下パイワン社旧社(筏湾、排湾)を、射鹿渓を隔てて対岸のチャリシ旧社(射鹿)直下から望む。白い斑点が住居跡。下パイワン社旧社の写真で残っているのはこの2004年に撮影された一枚のみ。旧社と云っても、周辺には畑地が残されておりそこでの農作業は継続されている為、旧社自体が今しがた引越しの為下山したように錯覚するぐらいに良く保存されていた。当時はまだ山登りに一所懸命で然程には原住民族旧社に対する興味を持ち得ていなかった時分で、撮影対象として興味が湧かなかったからか?それでも旧社内を暫く歩いたり、その際、時折カメラを向けた記憶があるのだが、見事に一枚も残っていない。尤も、この旧社を訪ねるのが目的ではなく、チャリシ社後方に聳える旗塩山(標高1,056メートル)に登るのが目的だった。台湾のサイトを覗くと、今現在は外からの遊楽客を更に意識した保存状態になっていることが判る。

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2012年07月07日

パイワン族秘道−61:チャリシ社(射鹿)

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【写真説明】 2004年10月のチャリシ社五葉。下パイワン社の射鹿渓を隔てた対岸を登り切るとまず眼に飛び込んで来たのは、左写真の畑地である。次に私の眼を驚かせたのは中央写真に写る井歩山(標高2,066メートル)を後景にしたパイワン族独特の石板屋を形成する石積み。井歩山は高雄市街地から眺めると富士山の山容。右写真に写る畑の中の小道を登るとその両側に本文記事下掲の写真に写る伝統家屋が現役で残る。

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2012年07月14日

パイワン族秘道−62:バタヱン社(高燕)

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【写真説明】左写真は台湾ではバタヱン社跡(旧高燕)とよく紹介される遺構。その遺構から旗塩山登山口へ向かい暫く進むと中央写真の廃棄された家畜飼育小屋に至る。私は見た途端豚小屋だと決め付けたが、この記事を書くに当りサイト中閲覧した記事の一つは「羊」と記していた。この小屋は既に消失していることを最近の旗塩山山行記録で知った。右写真はチャリシ社を後にし旗塩山登山口方面に歩き出すとすぐに見えてくる旗塩山。本文記事下掲の写真は旗塩山頂上三角点。

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2012年12月29日

パイワン族秘道−63:カサギザン社(現屏東県瑪家郷佳義村)−1

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【写真説明】左写真は現在のパイワン族カサギザン社佳義村、中央写真は高雄市近辺の低中級山の中ではハイカーに最も人気の高い一座である笠頂山登山口、同時に、カサギザン社旧社入口でもある。同写真左側に写る掲示板は、旧社の全戸、並びに駐在所、教育所、神社等の公共施設が記載されていた。右写真は登山口に至る自動車道に停められたハイカーの乗用車、撮影者たる私の左側が登山口である。

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ラベル:台湾 台湾古道
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2013年01月05日

パイワン族秘道−64:カサギザン社(現屏東県瑪家郷佳義村)−2

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【写真説明】右写真はカサギザン教育所と運動場跡。中央写真は運動場脇に残る日本時代のコンクリート遺構、使途不明。右写真は登山道脇に残る国旗掲揚台と「國語碑」、登山道は國語碑の右側を通っており、その左側に嘗て教育所、右側奥に駐在所があった。下掲左写真は「國語碑」の拡大、右写真は登山口付近を登山道側から望んだもので、既に旧カサギザン社跡地になる。

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2013年01月12日

パイワン族秘道−65:カサギザン社(現屏東県瑪家郷佳義村)−3

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【写真説明】前回に引き続き旧カサギザン社内の遺構を紹介する。上掲左写真はカサギザン駐在所後、同写真左側半分にコンクリートの土台が見える。中央写真は水塔。右写真は、旧住居跡。下掲左二枚の写真に見える登山道沿線の木立への白ペンキのマーキングとか白地に赤文字のプレートは、嘗て当該遺構の精緻な住居調査を実施した際に利用されたものだと思う。その結果が、笠頂山登山口に立っていた掲示板『日治時期カサギザン社家戸分配圖(1926−1945)合計134戸』(全文ママ)の詳細図だ。下掲右写真は、その住居分布図の核心部、教育所、駐在所付近。神社も示されており、私が初めての探訪から然程時間を置かずに再訪した最大の理由は、神社跡を探し出すこと。時間に押され焦りながらの調査となったこともあり、探し出せず。(続く)
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ラベル:台湾 台湾古道
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2013年01月19日

パイワン族秘道−66:カサギザン社(現屏東県瑪家郷佳義村)−4

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【写真説明】上掲左写真は頂上稜線にて。独特な山の楽しみ方をする台湾南部人が担ぎ上げた道具群。中央写真は頂上稜線から、現在のカサギザン社、即ち佳義村越しに高屏平野から台湾海峡、地平線を望む。右写真は笠頂山山頂の様子。下掲左写真は三等三角点、右は稜線下の登山道の様子。

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2013年01月26日

パイワン族秘道−67:マカザヤザヤ社(現屏東県瑪家郷瑪家村)

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【写真説明】左写真は真笠山に立つ表示板、「台糖屏副登山社立」と読める。左二枚は三角点(日本時代)と「屏東渓水源」基点(戦後)。この2005年に撮影した写真を見ていてびっくりしたのは、当時は真笠山だけを目指したのではなく、まず笠頂山に登ってから真笠山を目指している。笠頂山は昨年初めて登ったものだと思い込んでいた。当時両頂上間を歩くのに二時間弱を費やしている。土砂降りに近い降られようだったのを記憶している。

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2014年04月26日

パイワン族秘道−68:ダラダライ社(現屏東県三地門郷達来村)−1

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【写真説明】左写真は現在の達来村の最上部にある教会の駐車越しに隘寮北渓並びにその奥の北大武山の俯瞰。中央写真は現在の達来村側の指導標の一つ。右写真は、新旧ダラダライ社を結ぶ達来吊橋を旧社側岸から望む。下掲左写真は、旧社への登り途中から新部落を望んだもの。同写真下端やや左側に写る白い構造物が達来吊橋。同中央写真は、旧社入口。同左写真は、旧社内の電柱に示唆されたタライ山三角点方面。
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2014年05月03日

パイワン族秘道−69:ダラダライ社(現屏東県三地門郷達来村)−2

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【写真説明】旧社の案内板に依ると、ダラダライ社から達来村への移遷は五回に渡って行われ、最後は1989年〜1991年に掛けてであったそうだ。左写真は、旧社内の通りの一つ。中央写真並びに右写真は残存する石板屋の二例。下掲左写真は派出所跡、同中央写真は国民小学校跡、同右写真は、小学校校庭跡に設けられた内外者向けの野外活動センター内。再訪を強く希望する旧社の一つだ。(終り)
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2015年02月21日

パイワン族秘道−70:トクブン社

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【写真説明】右写真は、省道24号線上に設けられた検問所、入山証の提示を求められる。同検問所は、西ルカイ族の主要居住地である霧台郷並びに、パイワン族最北の集落、トクブン社並びにトア社への出入口になる。中央写真は、その検問所から望む雄壮無比の北大武山山塊。右写真の左側山塊上部に写るのは、神山村(カバララヤン)直下の省道24号線から俯瞰した徳文山、屏東郷道31号線、そして徳文村集落、同山塊下部の道路は右側山塊上の新暮佳村に至る道路で、「ルカイ族秘道−23:ラブアン社(大武村)」で掲載した写真と同一地点から撮影。
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2015年02月28日

パイワン族秘道−71:トクブン社−2

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【写真説明】前回の記事で書いたように、最初にトクブン社を訪れたのはこの集落自体が目標ではなく、この集落南側に裾野を広げる名峰、徳文山(標高1,246メートル)を目指した。名峰と称しているのは筆者だけかもしれないが、観ても良し、登っても良しの山である。今回は、郷道31号線沿いにある登山口付近にある、十二年(2002年から2014年)の歳月を経た二種類の指導標を並べた。左から一番目と三番目の写真が2002年撮影、同二番目と四番目(右写真)が2014年撮影したものだ。二番目の指導標下部に「徳來公園」と記載されているが、郷道31号線脇に設けられた公園で、巨大なカジュマルを中心に据えた公園(下掲載写真)で徳文村の入口に位置している。十二年の隔たりはあったが、明確なイメージとなって残っていた。最初に訪れた際、そのガジュマルを始めかなり撮影したはずだが一枚も残っていない。昨年再訪した際一枚だけ撮影したしょぼい作品を掲載せざるを得ず。(続く)

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2015年03月07日

パイワン族秘道−72:トクブン社−3

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【写真説明】左写真は、徳文山頂上直下の登山道景観。中央写真は山頂と三角点。右写真は、実際は山頂からの眺望ではなく、郷道31号線から俯瞰した霧台郷方面。同写真手前、山影に写り込んでいるのは現在の徳文村に属するのだと思うが、日本時代の蕃地地形図に従うならば、キヌジヤロン社か?同写真中央は、神山集落、同写真左端に写るのは旧佳暮村、更に左側最奥は下大武集落である。このように、徳文村は、実は佳暮村に隣接している形になっており、日本時代地形図では、南からキヌジヤロン社、トクブン社、上パイワン社の三社が徳文山北東の山裾の狭い範囲に居住していたのだが、現在は徳文村で一括りに思える。筆者の予想が正しいかどうか?は時間が必要だ。
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2015年03月14日

パイワン族秘道−73:トクブン社−4

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【写真説明】左写真は三地門国民小学校徳文分校の校舎正面、中央写真は日本時代のトクブン公学校の初代校長矢野駒太郎記念碑を背中から望み、現在の校舎との関係を示した。右写真は、現在は「矢野駒太郎紀念広場」と称される記念碑の正面写真。
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2015年03月21日

パイワン族秘道−74:トクブン社−5

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【写真説明】左写真は矢野駒太郎紀念広場の正面。同写真に写る案内板全訳は本文記事を参照。但し、特に第三段落、第四段落の後半は意訳が多く、本当に建立者の意図をきちんと使えられているかは大いに疑問。中央写真は碑本体正面、右写真は同碑裏側、剥落が激しく全文は読めない。「昭和七年」等の文字が確認出来る。
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2015年03月28日

パイワン族秘道−75:トア社

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【写真説明】左写真は、トア社入口に設営されたモニュメントであるが、謎が多い。まず、中央石碑のトップには「ラヴァル族群」の表記あり、その通りである。その下に部落名が大書きされているが、「カリヤラン」と読める。しかもこの部分は元々の石碑に刻まれた部落名を隠して黒字のプレートが填め込まれて訂正されている。原住民族委員会の『台湾原住民族資訊資源網』では、大社のパイワン語表記は「Davaran」(ダバラン)である。中央写真は大社国民小学校の校舎の一部、同写真左側に「屏東県三地門郷大社学区」の表記あり。右写真は、同小学校の校門脇にあうモニュメント、モニュメント上の山岳意匠は大武山だと思う。下掲写真は、大社への出入口である郷道31号線と省道24号線の分岐に立つ交通指導標。西ルカイ族居住地へのメイン・アクセス道路である24号線から大社まで12キロあるという意味である。自動車道とは云え、山中の12キロは実に長く山深さが身に浸みる。
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2015年04月04日

パイワン族秘道−76:トア社−2

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【写真説明】左写真は郷道31号線が終点に近付く辺りから大社部落全体が見渡せる場所から撮影。中央写真は大社メイン・ストリートの様子、右写真は同じ通りを逆側から撮影した。下掲写真は、部落内で見掛けたパイワン族伝統の石板屋と現代建築とのフュージョン。
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2015年04月11日

パイワン族秘道−77:トア社−3

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【写真説明】徳文村にはパイワン族伝統の石板屋が数多く残るとの説明が『台湾原住民族資訊資源網』にはある。筆者の実地探訪ではそのような印象が無いのは、観察眼の欠如か?或いは、現代のトクブン社の地理的な広がりが大きく、全容が未だに判らず?のどちらか、実際は後者だと考えているので、もう一度探訪する機会に恵まれれば明確になるはずだ。他方、大社には割と保存状態の良いものが少なからず残っていたので、数枚掲載して「トア社」の紹介を終える。台湾の原住民族社会では日本語のカタカタは現役であるこの証左の一つが大社部落で見掛けた下掲写真。(終わり)
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ラベル:台湾 台湾古道
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2015年04月18日

パイワン族秘道−78:カウ(口)社

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【写真説明】高雄市街を後にし高速3号線に乗り換え長治インターで降りて24号線に入り、三地門方面へ向かうと色々な山が見えて来るが、一番目立つのが三地山、24号線を車で走りながら撮影したものを掲載する予定でいたが、走る車中からの撮影で余りにも仕上がりが酷い!それで、ロ社から産業道路を辿りハングライダー基地へ向かう途中から仰いだ三地山を掲載した。中央写真はそのハングライダー基地を示す2002年8月当時の看板、この看板がその基地そのものの周辺に掲示されたものか?途中の道路上で見掛けたものか?は筆者の撮影記録では判別出来ず。それから十年以上たった同施設はさぞかし隆盛を極め賑やかになっていると思うのだが。右写真は三地山頂上の様子。尚、カウ社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「パイワン族秘道→[10]」をクリック。
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2015年04月25日

パイワン族秘道−79:賽嘉社

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【写真説明】台南市在住のN氏のご厚意に依る写真掲載。屏東県三地門郷賽嘉部落は、徳文社から移遷したパイワン族の集落だが、三地門のすぐ北隣に位置する簡便さも手伝い、今は台湾無動力飛行の中心地と化している。拝借した写真を見る限りは、様々な意匠を凝らした案内板、オブジェが林立しているようである。
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2015年05月02日

パイワン族秘道−80:賽嘉社−2

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【写真説明】台南市在住N氏撮影の写真掲載を続ける。今回は実際の賽嘉航空運動公園の最近の模様だ。Yahoo地図で賽嘉部落と航空公園を結ぶ産業道路の距離を測ると大凡6〜7キロ程度、初めて同道を辿った時に苦労した記憶は皆無なので、アスファルトかコンクリートで舗装されている可能性が高い。撮影された写真の日付けから当日は週末ではなく、又、撮影された写真の順番から左写真は、航空公園の入口付近、中央写真が謂わば、無動力飛行物体用エプロン兼タクシー兼ランウェイということになろう。右写真はそこから俯瞰した賽嘉部落だと想像される。ネットでこの航空運動公園の案内を見るとその広さ2,162ヘクタールと跳んでも無く広い。写真に写る草原はその数字からすると微々たるもの、そこで気付いたのは、航空運動公園とは写真の滑空場のみならず、下界の賽嘉楽園と称されるキャンプ場、そこから山肌に設けられた遊歩道を含む山域をも抱合していることだ。下掲載写真は公園内の掲示板、日本語、韓国語、英語で併記された保険に関する掲示。なかなか国際的だ。(終わり)

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2015年05月09日

パイワン族秘道−81:カウ(口)社−2

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【写真説明】台南市在住N氏撮影の写真掲載を続ける。ここに掲載された写真は真のカウ社(口社)である。「パイワン族秘道−78:カウ(口)社」にてカウ社の由来は記述した。「サラガン」は部落入口大門から既に見える。右写真の「サラガン渓」は筆者の手持ちの市販地図には記載無し、「ロ社渓」のことだと思う。上流は大社(トア社)である。下掲写真はロ社橋とロ社渓越に望んだと思われるロ社。
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2015年07月18日

パイワン族秘道−82:青山村(サモハイ社)

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【写真説明】上段左写真は、青山村、旧サモハイ社と推察されるパイワン族集落入口。同中央写真は天主堂。同右写真は、鉄板に利用した百歩蛇の意匠、デカい!下掲左写真は、山地門郷立幼児園青山分組、青山幼稚園分園。この青山村と既に紹介済みの賽嘉村との間に沿山公路自行車道、サイクリングロードが敷設されており、色彩豊かな里程標と休憩小屋が点々と設けられている。その一例が同中央写真と右写真。
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2015年07月25日

パイワン族秘道−83:安坡村(アンバカ社)

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【写真説明】上段左写真は、安坡村、旧アンバカ社起源の集落入口、路側帯壁は、極彩色で単調にならないように工夫された色々なパターンがペンキ塗りされており、その一例が同中央写真。同右写真は安坡村目抜き通り脇に立つ、同村観光名所案内標。下段左写真は安坡長老教会、協会の紹介と云うより同写真手前に写り込んだコンクリートの壁のペンキ塗りのパターンが鮮やか。同中央写真は、口社国民小学校安坡分班旧址、小学校跡地、安坡村の中央部に位置しているので不思議な空間。同右写真は、安坡村部落学習教室。
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2015年08月01日

パイワン族秘道−84:馬児村(マヌル社)

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【写真説明】上段左写真は馬児村に通じる郷道脇に立つ何ともチグハグな像。同中央写真は、同村行政中心地にある生活体験館前にある同村石碑、これでパイワン族の集落らしくなった。同右写真は、馬児社区発展協会弁公室。下段左写真はその隣に設けられた公園脇のオブジェ。同中央写真は「殺」の字が生々しい、屠殺ならぬ「狩猟猪殺文化」公園。同右写真は、同村最上部で見掛けた、簡易自来水廠、廃棄された上水道場。
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2015年11月07日

パイワン族秘道―85(トアアウ社:現屏東県來義郷義林村大後社)

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【写真説明】「大社地区概況図」の2007年(左写真)と2015年(中央写真)の比較。左写真を撮影後、丁度一年後にモーラコット台風が台湾を襲う。右写真は、現大社部落と旧社を結ぶ登山道案内板、2007年撮影。下掲左写真は、旧トアアウ社の居住状況を示した案内図と右写真はその拡大図、2007年撮影。当時、旧社跡は「大後部落旧址生態」園として整備され一般に開放されていた。
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2015年11月14日

パイワン族秘道−86(トアアウ社:現屏東県來義郷義林村大後社)−2

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【写真説明】左写真は、大後部落入口の自動車道脇に置かれたモニュメント。中央写真は大後部落全景。同写真向かい側に写る集落は屏東県泰武郷佳興村(プンティ社)、赤い橋梁の泰義橋はモーラコット台風後に架け替えられた。同写真右奥に写る尖峰は南大武山(標高2,841メートル)。右写真はモーラコット台風に拠る洪水に洗われた大後村東側の大河原。撮影者側に旧トアアウ社に至る農道入口がある。
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2015年11月21日

パイワン族秘道−87(トアアウ社:現屏東県來義郷義林村大後社)−3

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【写真説明】左写真は今回の旧トアアウ社へ至るであろう農道を歩き始めてすぐの場所にあったはずの、大後生態歩道、手元の市販地図『台湾全覧』では旧大後登山歩道、の西側入口の標示板、2007年撮影。前回の記事で書いたように、今回同登山口は見付けられず。約15分程、農道を進むと色鮮やかなトーテムポール似の南大武山山荘入口(中央写真)に着く。南大武山の登山基地として著名な山荘は此処か?とちょっとした達成感に浸るも、山荘そのものの在り処は判らなかったが、そのまま門を入ると、左手の土手に手入れの行き届いた農園を併せ持つ鉄板葺きの民家らしき建屋があり、ラジオの音声が聞こえてくるが、不在。ドアに手書きされた携帯電話に掛けると運よく女性が出てくれた。そのまま農道を四十分、いや二十分ぐらいかな?進むと、道路は平坦になり(右写真)それと判る旧社への入口に辿り着く、そこから数百メートルはいると旧社跡とのことであった。左写真の登山口案内板には、今読むと、全長八キロ、歩行時間三、四時間とあるから、わざわざ難儀して山道を辿らずとも、実は現在の部落と旧社は案外近い距離にあるという意味だ。同山荘門柱から農道をずんずん進むこと、約半時間でトアアウ社跡入口に着いた。(続く)
ラベル:台湾 台湾古道
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2015年11月28日

パイワン族秘道−88(トアアウ社:現屏東県來義郷義林村大後社)−4

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【写真説明】左写真は、駐車した場所から歩行約四十五分で辿り着いた、旧大後部落生態園、即ち、旧トアアウ社跡への入口を示すかなり傷んでしまった標示判。中央写真は農道脇に設けられた生態園への鉄製ゲート。そこから緩やかな坂を登り詰めると、旧社最下段の広場に出る。右写真は、その広場脇、緩やかな山裾に設営された旧トアアウ社住居群入口に立つ朽ち果てたゲート、「旧大後部落旧址文化生態」(園)の額が掛かる。
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2015年12月05日

パイワン族秘道−89(トアアウ社:現屏東県來義郷義林村大後社)−5

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【写真説明】左写真は、住居群の最高所にある頭目の家と目される唯一完全に残る石板屋。その軒に猪の下顎が掛かっていた(中央写真)。右写真は「糧倉」と云う案内板が付された、復元された高床式の食糧庫、住居群の真ん中辺りに設けられていた。頭目の家と目される住居前は広場になっており、文化生態園として整備された時点で、訪問者の便宜に供した施設があった模様でその残骸がちらほら散在、トイレもある(あった)。各戸の名前を赤ペンキで書いた石板が全戸に立てられていた。但し、漢字のみ。他旧社で遭遇するようなカタカナ書きは見当たらず。尚。農道から入り込んだドン付きの広場は、「大後部落生態図」にある五年祭場の筈で、その奥も細い樹木が林立してはいたが広場の続きになっていた。その広場の農道を背にして右側に確かに奇岩があったので、それが晒頭岩、出草で刈り取った首を白骨化するまで晒していたとの意味であろう。敵首塚があったであろう場所にも踏み込んでいるのだが、筆者の不注意か?倒壊していたか?気付かなかった。(終わり)
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2015年12月12日

パイワン族秘道−90(旧古華、コワバル社?:現屏東県春日郷古華村)

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【写真説明】左写真は、旧古華跡へ至るはずの大漢林道(浸水営古道、県道198号線)13キロ地点から南側に下る農道のドン付きの光景、入口から二十分程度で着いた。このくらい藪が酷いと、その下に住居跡があっても探し出すのは困難。中央写真は、その終点から諦めて農道を引き返し始めてすぐの場所で見付けた唯一の旧古華石板屋跡。右写真は旧古華部落越しに東側を望んだ中央山脈。
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2015年12月19日

パイワン族秘道−91(旧古華、コワバル社?:現屏東県春日郷古華村)−2

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【写真説明】大漢林道14キロ地点に同林道支線の分岐点があり、そこからこの支線を半時間程辿り、途中から山腹に取り付き二十分程で具馬奴と云う奇妙な山名を持つ頂上に至る。左写真はその林道分岐点脇に残されている具馬奴山登山口の目印。ペンキで同山名が記されていたようだが剥落している。中央写真は、林道支線の入口付近の様子。右写真は頂上直下の登山道の様子。古い布条(登山クラブ名などを印刷した布製、ビニール製の目印)しか見当たらず、知る人ぞ知るの低中級山である。
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2015年12月26日

パイワン族秘道−92(旧古華、コワバル社?:現屏東県春日郷古華村)−3

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【写真説明】左写真は、標高1,111メートルと数字の並びが頼もしい具馬奴山頂の様子。拓けているが展望は全く利かない。中央写真は三等三角点。右写真は大漢林道11.5キロ付近から望んだ具馬奴山西側、同写真右手前下方が旧古華跡。
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ラベル:台湾 台湾古道
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2016年02月20日

パイワン族秘道−93:クスクス社−7

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【写真説明】左写真は高士村南側から望んだ。同写真左側が高士(佛)部落、やや下方右側が上部落。中央写真はクスクス祠(神社)の西側に敷設されたの永久屋群、パイワン族秘道−45掲載右写真がその建設途上のもの。右写真は、クスクス祠東側に敷設された永久屋各戸に共通に設けられた手摺の意匠、シイタケ(椎茸)である。
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2016年02月27日

パイワン族秘道−94:クスクス社−8

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【写真説明】五年前はクスクス祠の本殿を支える基壇上には、地元芸術家の手になるものと思われるオブジェが乗っかっていたのだが、堂々たる本物の本殿が眩しく設えてあり、驚いた。日本から有志の方達が持ち込んだのか?そこら辺りの事情は台湾、日本のネット上から容易に探し出して来れそうだとも思ったが、未着手。左写真は、祠西側に設けられた展望台から祠越しに望んだ東側の永久屋群。名付けて、「野牡丹神社公園」。(終わり)
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