2020年05月23日
苑裡圳−1
【写真説明】地図上には「苑裡圳入水口」と云う表記だが、現代の当該水圳への取水口は「進水門」、「排水門」、「制水門」から成る水門システム(左・下掲左写真)である。当然、素人の筆者には区別が付かない。中央写真は大覇尖山を源頭とする台湾第7位の流長を有する大安渓よりの取水路。右写真は所謂取水口と思われる4連の水門。
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2020年05月30日
苑裡圳−2
【写真説明】左写真は苗栗県県道140号線脇にある民家の畑奥に起立する、1914年(大正3年)構築の取水口水門、取水口側から見た構造物である。民家は苑裡圳の西側にあるので、苑裡鎮上舘里に属するはずだ。中央写真はその下部構造。右写真は、同じ水門をこの民家の裏側下にある苑裡圳に架けられた火炎橋上から撮影した。この古水門も前回掲載した現代の取水口水門と同じく4連である。この古水門を筆者が訪ねたのは2019年8月、その後2020年1月になり苗栗県県定古蹟に指定された。と謂うことは、前回の記事で紹介した民家のご主人の、現在の古水門が日本時代のオリジナルでは無く復元であるとのコメントの真偽ははっきりしないのだが、水利事業関連構造物が歴史建築と見做される民度の高さが重要だと思う。(続く)
2020年06月06日
苑裡圳−3
【写真説明】この古水門を自身の畑に囲い込んだその民家は、もう一つ日本時代の古蹟も抱き込んで、家屋の一部と化している。礫岩、或いは鵞卵石と呼べる自然石で構築された堤防、正式には「火炎山堤防」である。左写真に写るのは、その堤防上での生姜(ショウガ)の乾燥風景である。その堤防は古水門から西側に延び、件の民家と横並びの数軒の家屋の裏側を横切っているが、そこで断たれている(中央写真)。他方、県道140号線北側には大安渓右岸沿いに堤防の堤防たる機能を残して伸びている(右写真)。何処まで日本時代の堤防でカバーされているか?は未確認。又、対岸の左岸側にも日本時代の堤防は残っていると思われるが、これも未確認。ここで想起するのは、日本時代の古蹟で最も数が多いのは測量基準点(殆どが三角点)と思われるが、延長と云う基準からすれば堤防に相異無いはずだが、珍奇な説だろうか?(続く)
2020年06月13日
苑裡圳−4
2020年06月20日
苑裡圳−5
【写真説明】前回の投稿記事に写真を掲載し家屋は、県道を背にして郷道の右側に立っていたが、その逆側の民家は苑裡圳に沿って建てられている。適当な路地(左写真)を選んで入り込んでみると、大木の袂に小さな公園仕立ての涼み台とも呼べる空間が設えてあり(中央写真)、その下を苑裡圳が流れていた。その流量と清烈さに、何時もながら感嘆する。既に百年を越えて基本的には当時構築した流配水のシステムを百年を経ても維持し続けて来た当時の業(わざ)に驚嘆するのだ。右写真は、台湾の、と言うべきか?、台湾でも、と言うべきか?古圳脇に設けられた古圳の水を洗濯、水浴び等直接生活水として利用する為の踊り場である。前述の涼み台脇の例。(続く)