2017年03月04日
古油井歩道−1
【写真説明】国道1号線と3号線の連絡道である快速公路27号線の南側(左写真)に「出磺坑」(中央写真)と謂う地名があり、市販地図帳ではその地点に「台湾油磺陳列館」(右写真)の表記がある。博物館であるが、素人には退屈な展示物しかない無機質な建物がこの地のアトラクションの中心ではない。日本時代から引き継がれた遺物が豊富に保存されていることだ。陳列館を含む敷地の正式名称は「台湾中油探採事業部採油工程処」(下掲写真)、つまり現役の油田である。
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2017年03月11日
古油井歩道−2
【写真説明】左写真は、台湾油磺陳列館傍に立てられた敷地内の絵図、大分草臥れているが、左側下に赤字で「『出磺坑』油田は優に一世紀半の歴史を有し、台湾石油採掘発展の歴史の花形である。当地は、世界最古の油井、陳列館、ケーブルカー軌道、ボーリング施設、日本人宿舎等の歴史建造物を擁する、世界唯一無二の歴史遺産である。」(筆者拙訳)と誇らかに記されている。但し、全部が史実なのかどうかは判らない。この絵図に拠ると、当地油田の開闢は1817年、嘉慶22年、丁度二百年前である。中央写真は「古油井歩道」指導標。右写真は歩道最下段脇のもう一つの歩道指導標。
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2017年03月18日
古油井歩道−3
【写真説明】左写真は、中油探採事業部採油工程処内のシンボル的な採油工員の塑像と「地軌式纜車道」、後者は総軌道長500メートル、傾斜角60度の今は工業古蹟である。纜車とはケーブルカー、通常ケーブルは地を這うのではなく空中に張り渡されたものであるが、ここでは地上軌道になっており、台湾唯一だそうだ。軌道の上半分は深い竹藪に覆われ、相当無理をしなければ最高地点までは辿れない。最高地点に至るには古油井歩道を利用する。
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2017年03月25日
古油井歩道−4
【写真説明】前回記事で紹介した「北寮旧弁公室」の北寮とはつまり旧日本石油苗栗製油所敷地内の北側と謂う意味であろう。これに対し、「日式宿舎」が集中しているのは、同敷地南側(南寮)で、そこに四、六、八、十八号に区分けされた住居群が残っている。では実際は一号から数え何号まで存在したのか?良く分からない。地上ケーブル軌道脇に二十三号の宿舎案内板を見ているので、少なくとも二十区画以上あったことが判る。中でも、保存状態が最も良いのは六号宿舎で、嘗ての苗栗製油所所長宿舎、中油に接収された後も処長宿舎として使われていたからだ。今回掲載した写真はすべてこの第六号宿舎のものである。南寮宿舎群の中で最も高台に建ち、防空壕(下掲右写真)も備える。防空壕に関しては前回の記事で書き忘れたが、北寮旧弁公室脇にも装備されている。現地案内板に依ると、1935年(昭和10年)の登記である。(続く)
2017年04月01日
古油井歩道−5
2017年04月08日
古油井歩道−6
【写真説明】さて愈々古油井歩道を歩くことにする。傾斜角60度の地上ケーブル軌道を中心にすると、この軌道を歩いて登れる部分の一番高い場所に現代の油井の鉄塔が一基立っている。以前書いたように、そこより上側にも軌道が残っているが酷い藪に覆われ歩行は困難、古油井歩道伝いに終点まで辿るしかない。この終点は記念碑広場と呼ばれ、工殤記念碑、即ち殉職碑が建つ。元の碑は日本石油時代のものではないかと勘繰ってみたが、固より戦後のもののようだ。その広場にもう一基現代油井の鉄塔が立っているが、これら二基の油井、もう操業を停止しているようだ。古油井歩道は、地上ケーブル軌道の下部、北寮旧弁公室袂から軌道北側に設けられ、軌道最高点まで至る。この間、凡そ一キロ弱、同歩道上に日本時代開鑿の古油井三基が残る。これら三基は工業古蹟としては一級品と筆者は思い込んでいるのだが、果たしてそうか?いずれにしても、古油井歩道を全行程往復する物好きは非常に少ないと即座に判る荒れようである。(続く)
2017年04月15日
古油井歩道−7
2017年04月22日
古油井歩道−8
2017年04月29日
古油井歩道−9
2017年05月06日
古油井歩道−10
【写真説明】『古油井歩道−6』の下りを一部採録する:「この終点は記念碑広場と呼ばれ、工殤記念碑、即ち殉職碑が建つ。元の碑は日本石油時代のものではないかと勘繰ってみたが、固より戦後のもののようだ。その広場にもう一基現代油井の鉄塔が立っているが、これら二基の油井、もう操業を停止しているようだ。」古油井歩道の最高点にして終点である記念碑広場の風景二枚を掲載した。右写真は地上ケーブル軌道の終点である。全長一キロに満たない古油井作業道の紹介に十回を割いたが、旧日本石油株式会社の敷地内外にまだまだ日本時代の遺物は残る。例に依り駆け足の探索だったので漏れているものは幾らでもあるはずだが、筆者の目に触れたものを追って二三紹介する予定である。(続く)