2016年10月22日

安通越嶺古道−1

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【写真説明】安通越嶺古道の西側起点を安通温泉と紹介されることがある。玉里市街地の東側に掛かる玉里大橋で秀姑巒渓を渡り、省道30号線が海岸山脈を登り始める袂、同省道北側に小さな今は瀟洒な温泉街がある(左写真)。日本時代の玉里温泉である。その温泉街入口付近に贅沢な造りの「安通温泉大旅社」が構える。「安通温泉旅舎」として花蓮県の歴史建築に指定されている(中央・右写真・下掲)。これらの写真は2010年に撮影したものだが、今現在も温泉街の規模は変わらない。花蓮県内には瑞穂、紅葉と日本時代開発の温泉街があるが、安通を含め、花蓮県三大温泉と称されている。その中でも日本家屋の復元・模造状態は安通温泉大旅社は第一等である。筆者自身はまだ玉里温泉の湯を堪能する機会を逸したままなのだが。
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2016年10月29日

安通越嶺古道−2

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【写真説明】左写真は、花蓮県玉里鎮の玉里市街地にある廟堂の中でも有数の玉里協天宮に掛かる扁額。夜間撮影、協天宮自体の写真は撮影していないのだが、夜間であったとこと、台湾では極く有触れた廟建築であったからだと思う。玉里市街地が八通関越嶺道起点であると同時に、安通越嶺古道の起点でもあることを証明している歴史的な証左の事跡である。中央写真は、安通越嶺古道西段の最初の国家歩道指導標、4.2キロの距離は、国家歩道として整備された出入口までの距離である。同写真上奥に写る山並みが海岸山脈。右写真に写る省道30号線23.5キロに掛かる富祥橋袂にその最初の指導標が立つ。
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2016年11月05日

安通越嶺古道−3

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【写真説明】国家歩道としての安通越嶺古道は、まず主要自動車道からのアクセスが便利な西段が2008年に整備された。省道30号線富祥橋から西段起点に至るまでは分岐が多く狭い急勾配の産業道路で結ばれているが、コンクリート敷きなので、普通車でも無理をすれば、西段起点に設けられた駐車場まで辿り着ける。但し、それはそういう予備知識があればの話だ。四駆だとまず問題無い。筆者がこの産業道路を初めて辿ったのは2010年2月、この時は四駆車を利用した。今回約六年振りに普通車で入り込んだのだが、前回の印象が全く消失しており、大凡中間地点の急坂と急カーブに恐れを無し、駐車、歩き出した。歩き出したのが正解だったのは、その後台風に依る産業道路の崩壊部に遭遇したからだ。左写真は、産業道路から南西方面、ラクラク(楽楽)渓と玉里市街地南部の卓楽、安南方面、つまり八通関越嶺道東段起点方面を望んだもの。中央写真は安通古道西側起点に至る産業道路の崩壊部越しに望む海岸山脈、越嶺道らしさを増す。右写真は古道西側起点まで残り約八百メートル付近、一帯の傾斜地にびっしり植えられた檳榔越しに直上の海岸山脈を仰ぐ。国家歩道西段として整備された総延長は僅かに二キロ、産業道路歩きが遙かに長い。(続く)
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2016年11月12日

安通越嶺古道−4

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【写真説明】2010年に初めて安通越嶺古道西段起点に到った時のイメージとは、緩やかな山腹が広く刈られ場所に駐車場があり、大振りで背丈の高い林務局設置の「安通越嶺道」の看板(上掲左写真)が起立しているものだった。それから七年振りに現地に戻ってみると広く刈られた山腹など何処にも見当たらない。駐車場もほんの数台停められる程度の広さ(上掲中央写真)。一瞬、初回探訪以降の台風で古道起点を移転させたのかとも思ったりしたが、古道西段起点で出迎える大きな看板はその間風雨に晒され続けて来た様相を呈しているし、駐車場脇の古道案内板も草臥れている。古道を実際歩き始めてみても、過去のイメージと重ならず、入口から1キロ程の場所に最初の休憩所である涼亭が設けられているが、記憶の箱から引き出せず。2010年当時撮影した写真を見直し、この涼亭が写っていることに気付いた。写真のデータは夕方五時過ぎを示しているので、ここで時間切れ、そこから已む無く引き返したのだ。つまり、すっかり記憶の彼方に飛んでしまっていた。上掲右写真は、古道西段起点、筆者背中側が古道、ここから車両進入禁止、2010年当時は横木が渡されていたが、消失していた。下掲左写真は古道表示板、下掲中央写真は古道入口から暫く入り込んだ付近の古道風貌、下掲右写真は0.5キロ地点の国家歩道里程標、0.5キロ毎に立つ。(続く)

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2016年11月19日

安通越嶺古道−5

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【写真説明】今回は読者の方々には少々退屈に思われるかもしれないが、古道中の国家歩道として整備された際に設えられた人工物群を紹介することに依る。本ブログの何処かで説明したことがあるかもしれないが、台湾島内の国家歩道として指定された部分は統一された所謂「生態工法」(自然に優しい設営方法)に基付き整備が進められている。2008年に整備が完了した安通越嶺古道も同様である。上掲左写真は前回投稿記事で紹介した約1キロ付近の最初の休憩所、そこを過ぎると、緩やかな勾配(同中央、右写真)が急坂に転じる。急登の段は海岸山脈の稜線、即ち古道最高点に到るまで木製階段(下掲左写真)でカバーされている。国家歩道西段として整備された起点−古道最高点標高は、640−930メートルで落差約300メートルである。4.2キロ表示のある省道30号線出入口地点の標高は215メートルなので、そこから歩き出すハイカーにとっての落差は700メートル強と云うことになる。下掲右写真は、西段終点に設けられたテラス、古道が海岸山脈稜線に到達するまでの距離は起点より1.5キロ、古道は平坦な稜線沿いに南側に約500メートル辿り、そこから太平洋側へ向かって下って行く。(続く)

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2016年11月26日

安通越嶺古道−6

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【写真説明】安通越嶺古道が乗り越す部分の海岸山脈の標高は千メートルにも満たないが、古道沿線で観察される植生は豊富である。過去弊ブログの何処かで書いたのだが、年中海岸から吹き上げられる強い風で気温が然程上がらない為に、通常はかなりの標高幅に分布する植生が圧縮された標高幅に分布する現象は、恐らく海岸山脈沿線にも当たるのだと思う。それが影響しているのかどうか判らないが、西段沿線に台湾の冬季に開花している三種の蘭を見付けた。最近は山中で可憐な台湾野生蘭を見掛けても、カメラを向けるのが億劫になりつつある。二回目の安通古道西段踏査の際にも一応記録として撮影しただけ、この稿を起こすに当たり、萎み掛けた好奇心に火を燈そうと、気合を入れて、鐘詩文著『臺灣野生蘭圖誌』(2015年12月、猫頭鷹出版)、箱入りの990台湾ドル豪華版を購入した。台湾の野生蘭は数千種に及ぶと勝手なうろ覚えに任せていたが、実は「浸水営古道−8」で500種と云う具体的な数字を筆者自身で書き込んでいるのを確認した。台湾サイトを新ためて渉猟し、正確な数字を探してみたが、どうも400種前後のようだ。『臺灣野生蘭圖誌』に収録されているのは409種、57属380種と云う紹介も見たことがあるが、要は台湾特有種が400種前後で、外来も含めて500種ぐらいになると云う意味かもしれない。それにしても、大部の図鑑から僅か三種を特定するのは、骨折りな作業である。悪戦苦闘して何とか探し出した。上掲三枚の写真は樹上に繁殖する長葉羊耳蒜(学名にHayata:早田 文藏)である。下掲左写真は、阿里山根節蘭(学名にHayata)、根節蘭とは日本で謂うエビネのことだ。同右写真は、挿天山羊耳蒜(学名にFukuy:福山伯明)、開花前である。三種いずれとも、台湾山中に広く分布しているようだ。(続く)
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2016年12月03日

安通越嶺古道−7

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【写真説明】安通越嶺道の海岸山脈稜線上古道は、二箇所の展望台(木製テラス)で結ばれている。西段起点の古道が海岸山脈稜線と出会う地点に設けられたテラスが第一平台、その南側の西段終点に設けられたテラスが第二平台と呼ばれている。その間僅か500メートルなのだが、平坦な上に、人工物が存在しない。とにかく美しい、古道美の極致だとさえ思えた。何がそう思わせるか?恐らく植生だと思う。今回は、その間を往復する間に撮影した古道の風貌を1,000x750ピクセルでランダムに並べた。上掲一段目左写真は、第一平台を背中に撮影したもので、ちょっとした自然の広場になっている。第一平台からは太平洋が望める。下掲写真はその第一平台のテラスの手摺の上に上がり撮影した台東県長濱郷長濱市街地を含む東海岸、同写真突き出た部分は、日本時代は加走灣尾と呼ばれていた。(続く)

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2016年12月10日

安通越嶺古道−8

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【写真説明】安通越嶺古道の古名である「成廣澳道路」の由来と日本人・日本時代の一部を披歴してくれる、台東県成功鎮小港の忠孝国民小学校に今に残る日本黒松。本黒松の紹介文全訳は当投稿記事中に掲載。下掲写真は、同小学校に隣接する忠孝派出所。何故、こんな写真を撮ったか?二本の門柱が恐らく日本時代のものと踏んだからだが、撮影時は全く意識していなかった黒松が僅かながら同写真左隅に写り込んでいる。同じく、投稿記事中の日本黒松の紹介文を読んで欲しい。
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2016年12月17日

安通越嶺古道−9

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【写真説明】現在の忠孝国民小学校の日本黒松は「成廣澳」に関する歴史的な背景を一部物語る。忠孝国小・派出所は省道11号線を北に向かうと同道西側に位置するが、その向かい側、つまり同道東側には、更に明晰な由来を物語る清代の古蹟と展示物が存在する。安通越嶺古道が東海岸の何処まで南下、到達していたかも暗示していることを、この稿を起こしながら思い付いた。当該古蹟を撮影した記憶があるのであるが、残念ながらなかなか見付け出せず諦めた。捜し出せた後、或いは再訪する機会があった際、新に記事を投稿することにし、省道30号線、玉里ー長濱公路の東海岸降り口、省道11号線と合流する地点に戻ることにする。その合流点には僅那鹿角(日本時代表記「キナスカ」)渓が太平洋に流れ込む地点で11号線上に平坦な寧埔橋(左写真)が架かる。台東県長濱郷の最南端の寧埔村(日本時代「石寧埔」)に属するからだが、安通越嶺古道東段起点は、その北隣りの竹湖村(同日本時代)にある。東段起点だけでも確認しておこうと、適当に当たりを付けたコンクリート敷きの産業道路を闇雲に車を走らせている内に出会ったのが、中央写真の水牛牧場である。この時点では安通越嶺古道東段起点を暗示するものには出会えず。右写真は竹湖村を過ぎ省道11号線を更に北上する途上、長濱郷の行政中心である長濱村市街地内の長濱国民小学校校庭で、アミ族の舞踏会に出会った。『安通越嶺古道−7』で掲載した安通越嶺道最高点の稜線から太平洋岸を望んだ写真に写った部分である。長濱郷は日本時代の行政区画である、台東庁新港支庁加走湾区をそのまま襲ったものである。(続く)
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2016年12月24日

安通越嶺古道−10

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【写真説明】国家歩道としての安通越嶺古道西段の開通は2008年、東段開通は2014年12月である。『安通越嶺古道−2』で具体的に東西段の距離をリストアップしたが、東段の整備が遅れたのは明らかに山深いからである。丁度東段開通と時を同じくして、即ち、2015年の元旦に東段の起点だけを探し出そうとして竹湖村に入り込んでみたのだが、国家歩道を示す一切の標示物に行き会え無かった。但し、東段が開通したと云う知見は一切無かった。偶々である。水牛牧場を後にし、走り回っている内に、竹湖村の中心地と思しき場所に入り込み、そこで或る住居の壁に手書きの竹湖村案内図を見掛けた。仔細に眺めていたら安通越嶺道の記載を見付け、大いに満足した。筆者の土地勘を喜んだのだ。既に夕方、その地図に沿い暫く車道を走らせ適当な場所で折り返して来た。下掲右写真に写る最後方の稜線が海岸山脈。それで第一回目の安通越嶺古道東段の踏査を完了した。(続く)

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2017年02月25日

安通越嶺古道−11

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【写真説明】花蓮県玉里鎮楽合里、ヤミ族の部落入口に立つヤミ族のモニュメント。同写真後方に移る家並みがハロウワン部落。中央写真は同部落内南側に残る鳥居、そこを潜り緩やかな坂道を登ると右写真の碑があり、その後方の高台が嘗ての神社境内で今は公園になっている。下掲載は左右の灯篭。
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