2006年07月23日

六亀特別警備道(扇平古道)−1

Kodou-1.JPG【写真説明】東海道第四十一宿「宮」に相当すると思われる駐在所遺構。同時に鳴海下山(標高1,372メートル)の山頂でもある。ここで無造作に捨て置かれたDai Nippon Brewery(大日本麦酒)の欠けたビール瓶を見付けたが、これは明らかに最近の山行者が掘り起こしたものをそのままにしておいたもの。実際、各地に残る日本時代の駐在所跡から一番多く「出土」するのは当時のビン類である。化粧品の容器まで出て来るという台湾側の報告を読んだことがあるが、こんな山中に婦女子までを同伴していたのかという驚きが報告の裏側にありそうだ。それぐらい現代人から見れば途方も無く山深い地まで理蕃道を開鑿したということである。
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2006年07月25日

六亀特別警備道(扇平古道)−2

Kodou-2.JPG【写真説明】六亀郷竹林の後方に聳える美[土/龍]山(標高1,385メートル)の頂上。竹林は高雄県有数の温泉地である宝来温泉の東側斜面上方にある村落、宝来温泉から直接上がる道路と小関山林道を辿る二つの方法がある。小関山は台湾百岳の一座、小関山林道の一部は嘗ての六亀警備道である。理蕃道上には原住民の蜂起を抑制する為に砲台が置かれるのが普通だった。美[土/龍]山付近にも嘗て砲台が置かれていたらしいが具体的な場所は判らない。但し、写真右側に位置する山林を分け入っていくと古道の遺構(簡単な石累)が僅かに残存しているのを確認出来た。
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2006年07月26日

六亀特別警備道(扇平古道)−3

Kodou-3.JPG【写真説明】網子山頂上=東海道第四十三宿「四日市」駐在所跡。広々とした跡地は山行者にとって絶好の休憩所を提供している。樹木はすべて戦後生い茂ったものである。写真右側奥に三角点がある。台湾の他の殆どの三角点がそうであるように網子山頂上の三角点も日本時代に埋め込まれたものである。ここでは写っていないが写真右後方には駐在所の遺構である低い石塁が取り巻いている。
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2006年08月01日

六亀特別警備道(扇平古道)−4

Kodou-4.JPG【写真説明】東海道第二十二宿の名を冠した藤枝国家森林遊楽区の中の一風景。高雄県では有数の観光地、週末には観光バスが多数乗り付ける。但し最近は台風に伴う大雨で閉園に追い込まれることが多い。園内に藤枝駐在所の遺構が残る。この遊楽区は石山林道、出雲山林道の入り口でもあり両者とも中央山脈南一段への登山道であり同時に嘗ての理蕃道の一部を形成するが、これらも崩壊することが多くしばしば入山を制限される。写真はオオタニワタリである。日本では観葉植物であるが台湾では山中ごく一般に見られ若い葉は食用に供され台湾料理の一つ。藤枝の名はこの外に部落名、山名として今でも残る。
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2006年08月04日

六亀特別警備道(扇平古道)−5

Kodou-5.JPG【写真説明】扇平森林生態科学園内に残る旧京都大学演習林場場長宿舎。戦後、「五木斎」と名付けられ今でも使われている。この他に明らかに当時の建築物と明確に言えるものは園内には最早少ない。台風等に因る大雨で科学園に到る林道が崩壊、しばしば閉園に追い込まれ園内は荒れており、林業試験場から科学園へと衣替えしたにも拘わらず一般大衆へのアピール度は年々減じているように思われる。従来は入園に際し定数に依る団体予約が義務付けられ、且つ入山証の取得が必要であったが、現在は両者とも要求されない。園内には一般行楽客を対象とした宿泊施設も併せ持つ。
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2006年08月12日

六亀特別警備道(扇平古道)−6

Kodou-6.JPG【写真説明】扇平森林形態科学園の中に残る「キナ」の樹。ペルー原産のこのアカネカ科の樹皮からマラリアの特効薬「キニーネ」が精製される。日本時代は「規那」の表記も。現在の台湾では「金鶏納樹」の音訳が当てられている。現在も園内に様々な丈のキナが残るが、成長しキニーネの精製に充てられるのがどの程度の大きさのものなのか私では全く想像が付かない。南方進出を目論んだ当時の日本にとってはキニーネの確保、即ちキナの栽培は戦略課題であった。戦況の進展と共に当時最大のキナの栽培地であったジャワ島等から日本への輸送が困難になるにつれここ旧京大演習林場扇平苗圃でのキナの栽培の重要性は非常に高くなる。戦後も当地は林業試験所六亀金鶏納試験場と名を換えてキナの栽培が暫く引き継がれた。
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2006年08月16日

六亀特別警備道(扇平古道)−7

Kodou-7.JPG【写真説明】東海道五十三次への最後の拘泥。写真は「森山」気象站又は測候所。「鳴海」山(第四十宿:標高1,411メートル)と「御油」山(第三十五宿:標高1,476メートル、写真左奥の一番高い山)の鞍部にある。木の柵はこの簡易の測候所を囲んでいるように見えるが、実は駐在所遺構を忠実に囲んでいるのである。駐在所の正面、即ち玄関は写真右側、門柱を受ける小さな土台が二つ見える。写真では見えにくいが、左側柵の奥には別な一辺約1.5メートル程の四角の柵が設けられており、祠が安置されていた場所と思われる。
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2006年09月10日

六亀特別警備道(扇平古道)−8

Kodou-11.JPG【写真説明】高雄十名山の一つ、旗尾山(標高318メートル)の山頂。写真左下後方に、自然石の上に立つ「昭和十四年二月十一日建立」の銘を持つ「旗尾山祠」が見える。表、裏とも摩滅が激しく又落書きも多い。後方の建築物は涼亭と呼ばれる展望台。旗山、美濃両鎮を360度カバーする最高の展望所である。現在山行者に旗尾山と呼ばれ三等三角点を持ったこの山、台湾の地形図上には標高のみ記載され山名の記載がない。地形図上では、この山頂から北に延び旗山鎮と美濃鎮の境を走る山群を旗尾山と総称しているようだ。
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2015年08月08日

六亀特別警備道−9

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【写真説明】高雄市茂林区、ルカイ族が集中する同区の入口に位置する茂林村(マガ社)は六亀警備道の最南端になる。今回掲載した写真は、同村の北側に位置する南真我山と更に北側の真我山間の稜線上で撮影した六亀警備道の現状と、既に約百年を経ても当時の精緻な工法を今に伝える警備道両端を補強する石塁である。本ブログ掲載写真は480x360ピクセルで統一されているが、今回は600x450ピクセルの縮小で掲載した。尚、「真我」はそのまま「マガ」と日本語漢音読みす可き。
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2015年08月15日

六亀特別警備道−10(マガ社)

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【写真説明】高雄市茂林区茂林里茂林村は、ルカイ族旧マガ社(現代漢音表記は「瑪雅」)が母体、大津から荖濃渓支流濁口渓に掛かる大津橋を渡り茂林区に入ると最初に通過する村である。その村の最高点にキリスト教信浸会があり、そこから山側を辿る姿沙里沙里歩道(ズシャリシャリ)が真我山への登山口である。但し、そのような表示は現地には一切無し。知る人ぞ知る登山口であり、台湾のネット上でやっと見付け出した。その入口から数百メートルの高台に茂林生態公園が敷設されているが、荒れ放題、恐らく2008年のモーラコット台風以降、そのような惨状に帰したのだと思う。
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2015年08月22日

六亀特別警備道−12(土山駐在所?)

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【写真説明】南真我山登山口は当初は真我山登山口と勘違いしていた。この登山口から南真我山頂上まではほんの五分程度である。同登山口は平坦地で、且つ石塁が残るので筆者が勝手に日本時代の駐在所跡地と特定したに過ぎない。当たらずと雖も遠からずか?
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2015年08月29日

六亀特別警備道−11(南真我山)

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【写真説明】真我山登山口に至るには、茂林生態公園への数百メートルの道路を起点とした急勾配の農道を延々と辿る必要がある。一般車両は侵入禁止なので法律に忠実な輩は約五キロと想像されるこの道路を歩き通す必要があり、茂林村から真我山を目指すハイカーはそうしている模様だ。この農道は一本の単純な九十九折では無く、途中多数箇所で分岐しており、その分岐点ごとに、農道に沿った畑に栽培されているマンゴーの樹木に下がった登山布条(左写真例)を注意深く探す作業が必要だ。中央写真はコンクリートが敷かれた農道、やがて右写真のような土石が露出した路面に替わると真我山へ至る稜線も近くなる。
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2015年09月05日

六亀特別警備道−13(南真我山基点)

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【写真説明】左写真並びに中央写真は南真我山山頂、標高810メートル、このような山まで熱心に登り詰める台湾人ハイカーの登山に対する熱意に頭が下がる。。。それ程に何の変哲も無い大地の隆起点である。その頂上から六亀警備道を擁する真我山、網子山方面を望む。同写真奥に二つの山塊が重なるが手前が真我山、その奥が網子山(旧四日市駐在所)である。尚、同写真手前に写るのは、真我山登山口へ至る農道から分岐した別な農道であり、南真我山―真我山の稜線直下に沿っているが、旧警備道を襲ったものかどうか?は不明。
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2015年09月12日

六亀特別警備道−14(坂下駐在所?)

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【写真説明】南真我山山頂から真我山登山口間は約二キロ程度だと思うが、その間はこの二座の稜線東側に沿って伸びている。その間、一箇所、農道脇に平坦地があり石塁が残るので、筆者の方で便宜的に駐在所跡地と推定しておいた。左写真は、真我山登山口に向かって延びる農道と同写真左手前に空いた駐在所跡地と思われる平坦地への入口。中央写真はその平坦地の様子。右写真は駐在所遺構を思わせる平坦地内の石塁。(続く)
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2015年09月19日

六亀特別警備道−15(真我山登山口=六亀警備道南段入口)

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【写真説明】真我山登山口も南真我山登山口と同様、農道脇に口を開けているが、南真我山登山口が筆者が駐在所跡地と推定した平坦地になっており誰でもそれと判るが、真我山登山口は、農道脇の藪の僅かばかりの切れ目から侵入するような塩梅なので、予めネット上で公開された写真のイメージを頭に入れておかないと、判然としない。左写真はその登山口の現況、中央写真は登山口を示す赤のペンキで塗られた農道脇に置かれた石塊。但し、登山口たる藪を潜り抜け登山道にに入った途端、旧警備道であることはすぐに判る。右写真はその警備道たる登山口付近の風景。農道と警備道が最も接近している様子は看て取れるが、何故、その地を登山口としたか?は判然としない。(続く)
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2015年09月26日

六亀特別警備道−16(関駐在所?)

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【写真説明】筆者が駐在所跡地と推定した石塁の残存状況。左写真は、右側が真我山頂上に向かう六亀警備道、左側が駐在所東側を囲む石塁。中央写真は、南側と東側を囲む石塁。右写真は、駐在所北側を囲む石塁で最も残存状況が良かった。西側を囲む石塁は判然とせず。市販地図では真我山頂上北側最初の駐在所跡地が亀山とされているので、関駐在所跡と推定。
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2015年10月03日

六亀特別警備道−17(真我山)

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【写真説明】真我山頂上と三角点。眺望は全く効かない。十年前初めて六亀警備道に足を踏み入れた時、警備道を北側から辿り、この頂上まで辿り着いたような印象を持っていたが、当時の撮影した写真に残っていないので初登と云うことになる。繰り返すが、「マガ」山、ルカイ族マガ社に因む。(続く)
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2015年10月10日

六亀特別警備道−18(亀山駐在所?)

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【写真説明】左写真は、真我山頂上を北側に暫く下ると現れた駐在所跡地と思しき石塁。中央の小道が現在の登山道で、筆者の背中が北側、五公廟方向。中央写真は、五公廟後方の小峰、北真我山と推定される頂上付近に設置された電波発射塔。右写真はその発射塔北側の警備道脇に露出している、これも駐在所跡地と思しき石塁。
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2015年10月17日

六亀特別警備道−19(五公山農道入口)

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【写真説明】左写真は六亀特別警備道核心部への最も簡便なアクセスを提供している(今現在は「提供していた」と過去形である)五公山農道入口の道標になる省道27号線21キロ付近、荖濃渓左岸、筆者の背中が大津方面、六亀方面を向いている。大津方面から来ると、中央写真に写る六津(六亀−大津)橋を渡り切った右側に口を空けているのだが、約十年振りぐらいに同地を車で走った時は、そのランドマークである六津橋を渡ったことすら気付かず、引き返し得て来て、橋が掛け替えられたのを発見した次第。
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2015年10月24日

六亀特別警備道−20(扇平林道)

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【写真説明】高雄市茂林区に属する扇平生態科学園はモーラコット台風以降閉園状態が今でも続く。六亀警備道へのアクセスとしては最も安全な自動車、扇平林道が確保されているが、省道27号線が約九十度に折れ曲がった部分に出入口を持つので判りにくい。進入禁止の標示が数箇所あるが、約十年振りに辿った時、この標示は現時点でも有効であるとの知見無し。
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2015年10月31日

六亀特別警備道−21(扇平林道)

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【写真説明】今現在扇平林道を辿ると、途中、モーラコット台風に拠る傷跡が確認出来るが、修復作業は完了したように見受けられ、快適に高度を上げて行くと、全長10キロの中間点にやや足りない距離に、森山派出所が現れる。標高482メートル。以前は確か既に遺棄されていたような記憶があったのだが、署員にそのことを尋ねるとずっと現役だった由。ここは同時に検問所で、筆者が到着した時には、丁度林道を遮る閉まったゲートが開きつつあり、一台のレクサスが降りてくる所だった。それで筆者の車もてっきり通してくれるのかと思いきや、遮られてしまった。あれは生態園区の所員だとこと、同園区の一般への開放は未だとの説明を受けた。その署員にお茶を振舞わられる。右写真は林道を鋏み派出所向かい側に設けられた、サイクリスト休憩所。「鉄馬」とは自転車で、台湾で台湾島内を巡るサイクリングがブームになってから産まれた単語である。因みに何故日本風の「森山」か?十年前に「森山測候所」に行き当たった時にも考察したが、未だに回答が出ていない。(終わり)
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2016年06月25日

六亀特別警備道−22:藤枝国家森林遊楽区

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【写真説明】恐らく藤枝国家森林遊楽区入口(右写真)まで乗り入れている自動車道の一部は未だに修復中(左写真)でかなり歩かされるだろうと覚悟していたら正にその通りだった。遊楽区入口に至るまでそのまま工事中の自動車道を三キロ弱歩かされる。それが嫌であれば、自動車道途中に出入口が設けられている遊歩道(中央写真;右奥に写るのが東藤枝山)に入り小山を一つ越える方法がある。この遊歩道も園区の一部ではあるが、入園せずに歩けるようになっている。筆者は往きは後者を帰りに前者を選んだが酷く疲れた。園区入口から更に園区外側を走る林道を歩かされ、民家を一軒横切り、やっと秘密の園区入口(下掲写真)に至る。同写真に写る二基の立札は、林務局に依る罰金六千元の公告。
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2016年07月02日

六亀特別警備道−23:「岡部」

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【写真説明】藤枝国家森林遊楽区内のすべての案内板は左写真のようにモーラコット台風以降の閉園の為に黒のビニールでカバーされている。中央写真は、岡部分遣所と東藤枝山頂上間に敷設されている木製階段、同遊楽区内にも同様の階段が敷設され遊楽客の便宜に供している。右写真は、第二十一宿「岡部」分遣所跡地。
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2016年07月09日

六亀特別警備道−24:東藤枝山

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【写真説明】左写真は東藤枝山山頂(標高1,804メートル)南側の二階建て休憩所。台湾原住民族(この場合、ルカイ族・ブヌン族と謂うべきか?)の石板屋の意匠。中央写真は頂上北側の廊下と眺望台。廊下はそのまま東藤枝山北側稜線沿いの遊歩道に繋がり、そこから六亀特別警備道の残存部になるのだが、実は同写真に写る廊下の下も正真正銘の同警備道だ。右写真は眺望台下にある三角点。
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2016年07月16日

六亀特別警備道−25:六亀特別警備道藤枝段

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【写真説明】左写真は東藤枝山山頂北側から始まる六亀警備道藤枝段起点付近、「西施花」と名付けられた遊歩道と重なっている部分。中央写真は同じ警備道部分を東藤枝山山頂を背にして撮影した。ハイカーが写り込んでいるので、この警備道部分の道路幅が非常に広いことが判る。これら二枚の写真に写る路側の石塁は日本時代のもの。頂上から稜線伝いに警備道兼遊歩道を緩やかに下ると、それら二本の分岐点に出会う。右側が遊歩道、稜線伝いに敷設されている。左側が六亀警備道、稜線西側に開削されている。下掲写真は、上掲右写真の指導標の拡大写真、筆者が藤枝国家森林遊楽区内で初めて目にした同警備道の指導標である。
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2016年07月23日

六亀特別警備道−26:「鞠子(丸子)」

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【写真説明】左写真は、六亀警備道と西施花歩道分岐点から北側に警備道を辿ると警備道はすぐに下りに掛かるが、その下り部分の石段。同写真正面が東藤枝山山頂側。中央写真は丸子分遺所跡地を示す指導標、分遺所を「Police Station」と英訳してある。右写真は丸子分遺所跡地。空き地以外の遺蹟は見当たらず。
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2016年07月30日

六亀特別警備道−27:六亀特別警備道藤枝段−2

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【写真説明】繰り返すが、筆者がこれまで踏査済みの六亀特別警備道古道部分の中で、丸子分遺所から府中分遺所間は白眉である。西側谷側と東側山側の石塁の残存状態は見事である。無論、国家森林遊楽区内の遊歩道として整備されているのも大いに手伝っているのは否定しない。大正五年(1916年)の開通から、正に百年、この段を歩くとその歴史が匂い立つようである。今回はそのような雰囲気が醸し出されていると筆者が自画自賛している三枚を選んで掲載した。尚、林務局の国家森林遊楽区の解説では、全長65キロの警備線(隘勇線)上に五十三箇所の「分駐所」と四箇所の「監督所」が置かれたとあるが、ウィキペディアでは「分駐所」は「分遺所或いは駐在所」と言い換えられている。分遺所が正しいと思う。下掲写真は、古道上に設けられた排水溝、古道保存の為の方法例。
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2016年08月06日

六亀特別警備道−28:「府中」

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【写真説明】左写真は、六亀特別警備道藤枝段の終点(起点)「府中」分遺所跡地を示す指導標と分遺所への階段。中央写真は同分遺所跡地全景。左写真の石段を登り切った場所、即ち西側からの撮影。右写真は中央写真にも写る跡地内に残る建築物遺構。
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2016年08月13日

六亀特別警備道−29:六亀特別警備道藤枝段−3

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【写真説明】左写真は六亀特別警備道藤枝段の北側終点、警備道自体は同写真奥に延びているのだが、遊歩道が横切る地点で立ち入り禁止となる。同写真右側は、警備道脇に沿い設けられた側溝遺構、中央写真は、その側溝遺跡を明瞭にする為に、遊歩道東側から警備道終点越しに西側を望んだもの。右写真は警備道終点に建てられた警告標示。下掲写真は、警備道と併行して稜線上に設けられた西施花遊歩道の一部。
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2016年12月31日

六亀特別警備道−30:「大津」

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【写真説明】左写真は台湾小百岳の一座尾寮山登山道途中から望んだ六亀特別警備道最南端「大津」に到る警備道を抱合する稜線、同写真下部に写る河(濁口渓)から立ち上がる山稜の最高点が南真我山、頂上直下に第四十九宿「土山」分遺所があった。そこから同写真左下方向、稜線伝いに警備道は開鑿され、最下点が大津である。中央写真はその最下点部の拡大写真、濁口渓に渡された大津橋右側に集まる建築群は茂林国家風景区ビジター・センター、その下に写る赤い屋根は大安禅寺と呼ばれる廟堂、大津分遺所跡地と思しき場所。右写真は同じく尾寮山登山道途中から望むルカイ族マガ社と真我山、第四十六、四十七宿「亀山」、「関」分遺所付近。
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2022年01月15日

六亀特別警備道−31:第53宿「大津」(2)

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【写真説明】左写真は茂林国家風景区の入口の大門、2001年5月、二十年前の撮影だが今もこのまま、この大門を潜る前に右側に遊楽客用の駐車場があり、そこが「大津」分遣所跡地であることが判明した。中央写真は前回「大津」投稿記事に掲載した中央写真と同じ位置から撮影したもの(2017年4月)だが、稜線突端の右側下に写る白い路側ガードの連続点の道路を隔て向い側が大津分遣所の特定点である。右写真は、GPS座標が示す大津分遣所跡地の大門横の駐車場、この稿を起こすに当たり今朝方片道60余`、約1時間のドライブの末の撮り下ろしである。大門の後方は六亀警備道最南端稜線の終端部分だ。下段左写真は風景区大門手前にあるビジターセンター傍の掲示板(2017年8月撮影)で、大津の跡地は上から二番目の駐車場(「P」)と三番目の障害者用駐車場の中間辺りに相当する。上段左写真の大門は「牌樓」と記されている。この案内図と同じ位置をグーグルマップで切り取ってみた。案内板地図と合わせる為に上を南にした。筆者がそれまで想定していた分遣所位置である大安禪寺と実際の位置は直線距離で300b程差がある。ところが、日本時代の地形図(下段右写真)だと大津は随分標高の高い所に表記されている。詰り、実際の位置は謎と云うことになろうか?
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2022年01月22日

六亀特別警備道−32:「日本橋」(1)

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【【写真説明】当時の地形図(例:左写真『臺灣全圖』昭和14年台湾総督府警務局第五版、30万分の1)にも表記があるので「日本橋」分遣所が存在したのは明らかだ。但し、その位置については、現在の高雄市桃源区区役所(行政区画上は、桃源区桃源里)の荖濃渓を隔て対岸にあることまでは地形図でも判読出来るのだが、対岸の何処なのか?とにかく対岸に渡りそれらしい遺構に当たるかどうか試してみようと云うのが2006年2月と5月の踏査行だった。結局それらしき遺物には当たったのだが、「日本橋」跡かどうかを確認する手立ては無く、それから長らく踏査は放り出していた。同地形図上表記のある「ガニ渓頭社」住居遺構だったのかもしれない。そこで画期的だったのが、前稿出の『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』に収録されているGPS座標である。この論文に日本橋が収録されているのをご教示くださったのはM氏である。筆者が踏査した区域よりかなり南側、且つ荖濃渓縁(へり)である(中央写真)。同論文のコメントは「荖濃渓畔」だ。右写真(2006年2月撮影)に写る集落対岸の畑地と思しき二つの出っ張りの内の手前の方だ。前回は、目標地よりかなり上流側、しかも標高の高い場所を徘徊していたということになる。「大津」分遣所跡地の駐車場の写真を撮りに出掛けた翌日、「日本橋」分遣所遺構を確認しに出掛けた。前者までは筆者のアパートから1時間強のドライブになるが、後者までは優にその倍の時間が掛かる。(続く)
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2022年01月29日

六亀特別警備道−33:「日本橋」(2)

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【写真説明】高雄市桃源区区役所がある同区の行政中心地域は、玉山国家公園方面に向かう台27線沿いにあり、日本時代「ガニ社」と呼ばれたブヌン族集落である。荖濃渓右岸の河岸段丘上に集落は形成されている。集落の載る河岸段丘の標高は約615b、荖濃渓対岸の標高約560bの同じく河岸段丘上に日本橋分遣所は設置されたのだが、対岸の何処なのか?全く見当が付かなかったのは前稿で述べた通りだ。以前はこの集落から荖濃渓対岸へ渡るのに河床に道路が敷かれていた。グーグルマップで見ると以前は掛かっていなかった[口|戛][口|拉]鳳(カラブン)吊橋が掛かっている(左写真、荖濃渓左岸側から撮影)。2014年竣工、全長180b弱、吊橋名のカラブンと旧社名ガニとの関係は知見無し。筆者は、恐らく毎年ルートが変わる河床道路は昔のまま通行が可能で、新吊橋は観光用の徒歩でしか渡れないものだと想像していたのだが、どちらも裏切られた。前者は、多分昨年夏の台風襲来時の洪水の為に両岸が断裂されたまま、後者は実際歩いている際は気付かなかったのだが、小型車なら通行が可能なことだ。筆者の当初の希望は車で対岸に渡り、あわよくば、嘗ての踏査行時(前稿右写真撮影時)に徒歩で辿った農道―台湾総督府殖産局山林課埋定の森林三角点のある留佐屯山西峰へ至る登山道、頂上付近に第1宿「品川」分遣所遺構があるハズ―に普通車で乗り入れ可能か?を調べたかったからだ。

吊橋を渡り切りそこを走るセメント舗装の道路(ガニ農路主線)を右側、即ち南側に折れる。直ぐに留佐屯山西峰方面への三叉路に行き合う。最初からいきなりの登りで筆者の運転技術では疑問の急坂が見て取れる。そのまま農道主線の緩い坂を登り切ると再び三叉路に出会い、右手は荖濃渓左岸川岸方向へ下る道が付いている。その先の平坦地に農園が拡がっている(中央写真)。『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』から拝借したGPS座標にどんどん近付くので、日本橋分遣所跡地はその農園内にあることは容易に想像が付いた。この二つ目の三叉路の出会いは少々意外な気がした。藪の中に切り込まねばならぬことを覚悟し鉈を携えて来たからだ。加えて、譬え嘗て駐在所遺構が残っていたにしても、農園が拓かれた時点で一掃されてしまったことも想像出来る。農園への下り坂を降り切ると作業小屋がありその脇を通る小径を行くと、農園と川岸の突端の間にこじんまりとした梅園があり、満開を過ぎてはいるが白い花を咲かせていた(右写真)。(続く)
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2022年02月05日

六亀特別警備道−34:「日本橋」(3)

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【写真説明】その梅園の中は大小の自然石が散らばっており梅園に趣を添えている(上段左・中央写真)。自然石とは河岸段丘を構成する石塊である。最初はバラバラにそれらの石が散らばっているとばかりに見えたのだが、よく見ると明らかに人が積上げた石の集合体が三基あった。その中の一つは四辺を持つ台状になっているのに気付いた(上段右写真)。古そうだが駐在所遺構かどうか?確認する術は無し。先達研究者の特定に敬意を表するしかない。『六龜警備道踏調査01(日本橋段、小關山林道段、沼津段)』と題する元気の良い六亀警備道踏査記録がネット上で公開されている。元気の良いとは台湾人若者グループに依る踏査行だからだ。サブタイトルに「日本橋段」の文字が躍るが、何故かここ日本橋の踏査はスキップされている。理由は判らない。彼らにとり踏査の名に値しない、自明のしかも低地の遺構という意味なのか?いずれにしても、台湾ネット上で日本橋分遣所遺構に関するビジュアルエイド付き情報に遭遇したことがないのだ。
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2022年02月12日

六亀特別警備道−35:第22宿「藤枝」

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【写真説明】左写真は藤枝国家森林遊楽区がまだ八八水災復旧期間中、即ち閉園中だった2016年に撮影した、遊楽区入口とその奥に写る『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』に依る「藤枝」分遣所跡地の森濤派出所(正式には「高雄市政府警察局六亀分局森濤派出所」)。「もりなみ」とは優雅な日本語だ。何時、誰に依る命名かと興味深い。そう言えば「六亀特別警備道−21(扇平林道)」で紹介した派出所名は「もりやま」だったが、前者の規模が格段に大きい。中央写真は昨年末、見附山+見附分遣所を目指した際に撮影、今や六亀警備道南段と云う呼称があり伝統的に登山対象として台湾人ハイカーを吸引して来た稜線を望む。特に目立つピラミダルな山容を持つ二座は手前が見附山(標高1,686b)、後方が楡油山(同1,891b)である。どちらの頂上にも警備道としての遺構が残る。
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2022年02月19日

六亀特別警備道−36:(島田、金谷、日坂)

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【写真説明】現在は六亀警備道路の全段を便宜上南北の二つに分け、各々北段、南段と称している。筆者の記憶に依ると以前は存在していなかった呼称である。その分岐点が見附山、見附分遣所だ。日本橋を起点とする北段を通しで歩くのは最早困難だが、大津を終点とする南段は元々稜線上の山々を目指す登山道として利用されて来たので、通しで歩ける。見附山から南真我山までと云う意味だが、この間通常は丸々二日間かかるが、一日で歩き通してしまう猛者もいる。見附山は単独でも良く登られているのを筆者が知ったのはつい最近のことだ。藤枝国家森林遊楽区を起点とする出雲山林道(筆者の手元の地図帳では「支線」。「旧線」と云う表現も有り)を南側に辿ること3.5`の地点に見附山への登山口があり、登り始めるとすぐに第26宿「掛川」分遣所遺構に出遭う。詰り、この3.5`の間に表題の三分遣所が存在していたことになるのだが、林道は、これら分遣所が設置されていたと思われる稜線西側に開鑿されている(ダイヤグラム参照)。この林道区間、見附山登山口に向かい緩やかな下り一方、往きは良い良い、帰りは怖いの典型で、帰りの登り返しは苦痛!左写真は林道上から仰ぐ藤枝分遣所跡地の森濤派出所である。林道東側を注意深く観察していたが、稜線への取り付きになりそうな場所は多かれど(中央写真)、布条等の物理的なサイン無し。台湾ネット上で唯一六亀警備道関連遺跡と思われる情報を含む山行記録は『高雄縣桃源郷天通北峰及天通山登山簡訊』である。天通北峰(標高1,647b)、天通山(同1,549b)の順に辿り、天通山山頂南側に住居跡地の記録あり(抜粋参照)。これが掛川分遣所との距離を考慮すると日坂分遣所跡地である可能性大だ。他方、藤枝森林遊楽区入口と天通山山頂間稜線上に島田、金谷の分遣所が設置されたはずだが、それら故地の位置情報は未だ見付けられていない。右写真は出雲山林道支線上の見附山登山口付近、実際の登山口は同写真の左側。(続く)
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2022年02月26日

六亀特別警備道−37:第26宿「掛川」

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【写真説明】出雲山林道脇から小さな登りとなる登山道はそのまま旧警備道なのか?という質問に対し、イエスと言える証拠は、直ぐに遭遇する短い所謂「浮築橋」(左写真:筆者の背中が掛川方面)である。その幅は2b50a程度もある。殆ど崩壊しているのだが、名残り(下段右写真)はある。未だにこの道路構造を日本語で何と言うのか判らない。「自然石に依る路肩擁壁」だろうか?台湾ではこのような石積みの壁は駁砍と通称しているが、筆者のブログでは今後も石塁とか石垣とかの単語を用いることにする。狭い尾根状の坂道を登り切るとそこはもう掛川分遣所(中央写真、右側が警備道、分遣所跡地は左側上方と推定)である。登山口から約300b、15分も掛かっていないはずだ。小さな分遣所だったらしく、駐在所を囲む石塁も見当たらず。右写真はその坂道を登り切る直前に露出していた当時日本人警吏・眷属が消費していたビン類、ハイカーが掘り起こしたものだ。分遣所跡地と思しき平坦地の中に、四周を精緻な石積で囲ってある用途の判らない掘り込みを見付けた(下段右写真)。尚、出雲山林道脇登山口から見附山までの警備道線はこのダイヤグラムを参照。(続く)
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2022年03月05日

六亀特別警備道−38:バリサン警戒所

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【写真説明】「バリサン」の漢音訳は種々ある。元々はブヌン族バリサン社に対し使われた表記で、日本時代は片仮名で統一されていたが、戦後の漢字表記は様々。基本カタカナで表記されていた原住民集落の漢字化にルールが存在しないからだ。「媽哩散」、「蕃里山」、「馬里山」、「巴里山」。。。当時の地形図を見ると、三つの「バリサン」表記がある。原住民集落、内本鹿越嶺警備道(内本鹿古道=黄色線)上の駐在所、加えて、六亀警備道(=赤線)上の駐在所である。本投稿記事は無論六亀警備道上の警戒所(監督所)である。これらバリサンの在処を確認する際一つ気付いたのは、内本鹿警備道西段と六亀警備道北段の交差点、藤枝駐在所から前者の支線たる警備道が延びておりその終端がバリサン社駐在所であったことだ。通常バリサン駐在所の在処は、雲山林道(出雲山林道)起点から2.5`程南下した場所とされ壮大な遺構が残存している(後日「内本鹿越嶺古道」として紹介予定)。ところが、林一宏『蕃地駐在所建築』論文で紹介されているGPS座標は更に南下した地点を指し示しており混乱中。他方、六亀警備道上のGPS座標を何処で入手したか失念してしまった。掛川分遣所跡地とバリサン警戒所跡地(推定)の間は、掛川〜見附間警備道(ダイヤグラム上の「マリサン」は筆者の誤記)の中で最も勾配の急な部分でロープが渡してある(下段写真)。その急坂を乗り越してしまうと、二つの緩いピークを越えて往く。同時に、この区間は掛川〜見附間で警備道が最も平坦な部分に開鑿されている(中央・右写真は同区間の警備道景観)。因みに右写真は警備道がどう崩壊していくか?の一例。北側のピーク付近がバリサン警戒所跡地のはずなのだが、跡地と思しき平坦部が続々と現れ(左写真はその一例)跡地を特定出来ず。ところが、バリサン警戒所が設営された辺りの地形は外から見ると非常に特徴的だ。このパノラマ(藤枝林道18`地点から撮影)は藤枝から見附山まで連なる稜線の概念図である。(続く)
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2022年03月12日

六亀特別警備道−39:第27宿「袋井」

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【写真説明】バリサン警戒所跡地を含む二つの丘陵上のピークを越えた後は大きく高度を落とし袋井分遣所跡地に至る。丁度見附山との鞍部になる。小規模な遺構であるが、分遣所跡地を即座に特定出来るだけの石塁は残っている。上段左写真と中央写真は分遣所跡地。右写真は分遣所の掛川側出入口と思しき石塁、下段左写真は見附側の出入口と思しき石塁。袋井分遣所の見附側下方には小さな沢が流れ込んでいた。六亀警備道の場合、駐在所は稜線上のピークに設けられたケースが多いので意外に思った。袋井から見附山頂上までは長い登りの連続となる。その間に掛川〜見附間の警備道上路肩擁壁の最も残存状態の良い部分があった(下段中央・右写真)。(続く)
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2022年03月19日

六亀特別警備道−40:第28宿「見附」(1)

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【写真説明】先ずは見附山(標高1,686b)頂上で出遭うのは台湾省政府図根点(左写真)。更に歩を進めると陸測三等の標石(中央・右写真)に迎えられる。中央写真は筆者背中が袋井方面、向い側が見附分遣所へと繋がる。山歩きが専門の筆者としては三角点標石の紹介のみで今回の投稿を完了させることにする。(続く)
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2022年03月26日

六亀特別警備道−41:第28宿「見附」(2)

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【写真説明】見附分遣所跡地は、見附山頂上から僅かに南側に下った場所にある。跡地は広大でその敷地を囲む石塁の残存状況も悪くない。上段左写真は分遣所の正門を分遣所内側から撮影した。濱松方面はこの正門を右に折れる。中央写真は正門に外側から対し左側(左翼)の石塁、右写真は右翼の石塁。下段左写真はその右翼の石塁の延長である。中央写真は正門に繋がる石塁ではなく、左翼の囲み、右写真は撮影場所を失念したが、人工の石積が如何に崩壊していくか?の一例。筆者はこのような遺構を基本どのように記録していくかの教育を受けたことがないので、このように適当に撮影して並べているだけだ。従って広大な遺構という表現しか出来ないのだが、分遣所を囲む凡その石塁の四辺のサイズ、残存箇所、方向ぐらいはスケッチ出来れば望ましいと思う。それには時間と体力が必要で既に遅きに失した。撮影したのも正門の両翼中心、実際は正門の向い側も含め分遣所を囲む石塁はぐるりと残っている。筆者の踏査をサポートしてくれた登山ガイドに依ると長辺は目測35bあると言っていた。(続く)
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2022年04月02日

六亀特別警備道−42:第28宿「見附」(3)

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【写真説明】見附の次は第29宿「濱松」分遣所に至るわけだが、GPS情報を取得出来ず、見附分遣所から緩く広がる下りをどれほど辿れば行着くのか見当付かず。しかも見附山山頂まで至るのに随分時間を要してしまった。それで、六亀警備道関連の投稿サイトに最近よくアップされている五輪塔だけは見ておこうということで、濱松方面へ下った。それらのサイトでこの五輪塔は「神社」遺跡として紹介されているが、これは仕方のないことだろう。神社とお寺の区別をきちんとできる台湾人はそう多くないはずだ。サイト内に「日本人祭祀先人的紀念塔」のコメントを見付ける。そもそも五輪塔は卒塔婆、墓である。高さ40a程度の五輪塔は稜線右側(西側)端に佇んでいた。土台はセメントで固定されている。台湾サイト内の写真では転がしてあるように見えていたものだ。誰が何時どういう事由で持ち込んだのか?五輪塔は日本で独自に発達したとも言われるので、戦前の日本人だろうが、警備道開鑿と関係があるのかどうか?五輪塔はその下方の平坦地(中央・右写真)を望むような場所に立っているので、その平坦地が濱松分遣所跡地ではないかとも考えたが、見附分遣所との距離が200b程、近過ぎる。それでも中央写真に見られるような人工の石塁があった。(続く)
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2022年04月09日

六亀特別警備道−43:小関山林道

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【写真説明】上段左写真は小関山林道約7.5`附近の検査哨、正式には、高雄市政府警察局六亀分局宝来検査所、今回の六亀警備道の踏査に際し、実に2006年以来久々にここのゲートを越した。既に標高1,200b程度ある。中央写真は、今回の踏査行の北限の駐在所、藤沢分遣所の在処、小関山林道14`地点の今は廃棄された検査哨、林道起点に向かい撮影、藤沢遺構直下南側、同写真左側から駐在所跡地へ辿れる。右写真は、中央写真撮影地点から林道を更に600b程北へ辿った先の新(左)旧(右)林道分岐点、右側林道は既に封鎖、藤沢遺構直下北側、同写真右手から駐在所跡地へ辿る。詰り、小関山林道14`附近で、林道脇の南北両方から藤沢跡地にアクセス出来るという意味である。尤も、この地点迄入り込み南北何れか側から進入する物好きは駐在所ハンターには非ず、三角点ハンターである。藤沢分遣所跡地=小斯拉巴庫山山頂だからだ。
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2022年04月16日

六亀特別警備道−44:第6宿「藤沢」

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【写真説明】六亀警備道上の駐在所遺構を求め小関山林道を何処まで辿るかについては、実は藤沢分遣所跡地が適当でないか?と最初から目論んでいた、と言うより決めていたというのが正直な所だ。何故なら、森林三角点を擁する小斯拉巴庫山(標高1,377b)山頂が藤沢であるという知見があったからだ。筆者は日本時代に埋定された三角点は山頂の高低に拘らず機会があれば尋ねることにしている。しかも林道脇の登山口から5分程で山頂まで辿れるという山行記録も目にしていた。登山口は二箇所、林道起点を背に右側(東側)にあり、南北両方から林道に沿い、緩い登りが付いている。これがそのまま警備道であることは、僅かに路肩擁壁の石塁が散見されるので直ぐに感得出来る(左、中央写真)。三角点は分遣所跡地の中に埋定されている(埋め込みパノラマ写真;三角点は左端に小さく写る)。殖産局森林課に依る三角測量は、大正14年(1925年)から始まり昭和19年(1944年)迄継続されている。六亀警備道の整備が進むのは五箇年計画理蕃事業の最終年、大正4年(1915年)なので、分遣所設置の方が明らかに早いはずだ。三角点が埋定された時は、藤沢分遣所自体既に閉鎖されていたかもしれない。小斯拉巴庫山山頂はそれ程広いとは思えなかったが、敷地を囲む石塁は殆ど崩壊している様子が落ち葉に覆われた起伏で判る。山頂南側の正門と思しき遺構の石塁の残存状況(右写真)は良好だった。尚、「斯拉巴庫山」(標高2,757b)と云う玄人ハイカー向けの山が、藤沢分遣所が設置された小丘陵より遥か北側にある。ブヌン語の漢音訳だと思うが、日本時代のカタカナ表記は「スーラバタン」、由来判らず。藤沢分遣所が設置された山はこのスーラバタン山に対峙させたものらしい。(続く)
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2022年04月23日

六亀特別警備道−45:第7宿「平塚」

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【写真説明】平塚分遣所跡地も大磯分遣所跡地も、小関山林道の起点を背にして左側(西側;右写真右側土手)にあり、林道に隣接していると云う表現でも良いぐらいの距離しか無い。但し、藤沢跡地の三角点のようなマーキングがあるわけではないので、GPS座標無しで探し出すことは困難だ。平塚分遣所は林道約13.5`地点、林道から入り込んだ地点が実際の跡地より北側だったので、暫く林道沿いに警備道の痕跡と思われる部分を南側に歩かされる羽目になった。跡地は山側だが平坦地、以前は畑地として利用されていたのではないか(前述の警備道痕跡も農道跡かもしれない)と思わせるような茅が大勢を占める立地である。石塁の丈が高い分遣所遺構はかなり良く残っている(埋込パノラマ写真1とパノラマ写真2を参照;中央写真はパノラマ写真2に写る石塁の拡大図、両遺構は別棟)。(続く)
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2022年04月30日

六亀特別警備道−46:第8宿「大磯」

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【写真説明】大磯分遣所跡地は小関山林道約12.5`地点、立地は平塚と全く同じだと言えるが、更に林道に隣接している(左写真は筆者の背中が林道起点側、左側土手から進入)。これも平塚と同じだが、旧警備道と思しき跡を辿る(中央写真、右側が林道側)。平塚跡地と比べると藪から解放されており、嘗て畑地、恐らく林務局の「苗甫」(花卉樹木の苗育成所)として利用されていた可能性は平塚より更に高いと予想する(埋込パノラマ写真参照)。但し、遺構の残存状況は平塚に比べると見劣りがする。右写真の中央部に写る石塁が唯一の駐在所遺構かと思われた。(続く)
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2022年05月07日

六亀特別警備道−47:第9宿「小田原」

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【写真説明】今回の三日間の踏査行の中でどうしても尋ねたかったのは、小田原と沼津分遣所遺構である。規模が極めて広大と聞いていたからだ。小関山林道沿線の藤沢〜箱根間で、最も林道からの距離が長いのが小田原分遣所跡地である。それでも林道からの距離と落差は各々凡そ200b、50bに過ぎなかった(筆者の現場での実際のトレース参照)。小関山林道11`地点に車を停め適当な入山地点を物色、最終的に選択したのが左写真だ。中央写真は小田原跡地の最も南側と思われる地点に現れる、殆ど崩壊した石塁。最も丈の高い石塁は跡地の最も北側に位置する分遣所遺構を支えていたと思われる。右写真に見るように大人の背丈を超えている。遺構のスケールを感じ取って貰う為に、以下三枚のパノラマ写真を添えた。先のトレースでも判るように傾斜地に設営された駐在所である::

パノラマ#1:跡地の東端の石塁の一部。
パノラマ#2:南端に位置すると思われる最も規模の大きな石塁。上段右写真の石塁を抱合。
パノラマ#3:跡地の西側の景観、何処まで広がりがあるかは未確認。(続く)
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2022年05月14日

六亀特別警備道−48:第10宿「箱根」

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【写真説明】「箱根」分遣所跡地は、小関山林道沿いの六亀特別警備道の最南の駐在所跡地となり、林道約10.5`地点から西側(林道起点を背にして左側)に入り込むとそれらしき石塁(左写真)に突き当たる。パノラマ写真も参考までに添付しておく。駐在所跡地として疑いようがないのだが、ダイアグラムを見て判る通り、箱根−沼津間は駐在所遺構と思しき箇所が一箇所多い。この謂わば「字余り」の解決策として、台湾ネット上の公開報告を見ていると、二通りある:一つは、ダイヤグラムの様に、沼津分遣所を新旧の二つに分ける方法。これはそういう歴史的なイベントが存在したのかもしれないが、二つの沼津跡地は接近しているので説得力はある。もう一つは、小関山林道西側遺構は無視して、ダイヤグラム上に筆者の方で「三島」分遣所跡地と表記した地点を箱根跡地として見做す方法。筆者の手元の市販地図帳では、この箱根跡地と思しき場所に「林務局富園駐在所(廃)」の標記がある。林務局機関としての駐在所という呼称を目にしたのは初めてのことだ。日本時代の警察機関としての駐在所と混在して使用しているのかどうか?は定かではない。現地には塩ビの水管が渡されていたるのを目撃した(中央写真)ので、林務局の苗圃が嘗て在りその為の駐在員の作業場兼宿泊所が存在し地図帳の標記になったかもしれない。六亀警備道は箱根を過ぎると、小関山林道を離れ、沼津分遣所に向かい急降下、そのまま宝来渓まで降り切り渡渉し対岸の山に取り付くのだが、その宝来渓沿いに湧き出る温泉の中に、富園橋温泉と云う標記を見付けた。宝来渓は、玉山連峰に源頭を持つ荖濃渓の支流の一つだが、渓谷沿いに複数箇所で温泉が湧き出しており、地図上では通常「七坑温泉」から始まり「十三坑温泉」までの標記がある。要は古来から十箇所以上の湯場があったという意味だ。これらの温泉は、極めて著名な温泉街を形成している宝来温泉の源頭になるはずだ。何れにしても、富園駐在所と富園橋温泉の標高差は500bもあるのだが、何故これら二つの地点を結び付けたのかは不明。右写真は箱根跡地で目撃した約9箇月前の日付けをマークした布条、「六亀警備道踏査」と読める。これも筆者が当地を箱根跡地として特定した理由の一つである。(続く)
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2022年05月21日

六亀特別警備道−49:第11宿「三島」

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【写真説明】「沼津」分遣所遺構の踏査には丸一日を充てたことは既に紹介した通りである。小関山林道約10`地点にある路側に駐車スペースのある場所に車を停め、林道入口方面に歩き返しながら宝来渓方面への折口を探した。すると直ぐに廃棄された林道支線に当たり(左写真、筆者の正面が林道入口、林道支線は左側イコール東側)その廃棄林道を暫く辿った後に谷側へ降りた(中央写真左側が谷側への折口、GPS軌跡も参照)。右写真は谷側へ下り出した斜面の景観。そこから200b程度下ると三島分遣所跡地と思しき平坦地に往き当たる。沼津跡地に至るまで基本同じような景観で、明晰ではないにしろ大凡旧警備道跡をトレース出来る状態にある。三島跡地は目立った駐在所遺構が無い代わりに、次に立ち現れる林務局護管所遺構までの間に駐在所遺構と思しき小規模の石塁が間歇的に続く。そんな中で割と残存状態の良い石塁のパノラマ写真を埋め込んだ。(続く)
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2022年05月28日

六亀特別警備道−50:林務局護管所(廃棄)

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【写真説明】例えば、ウィキペディア中文版の「六龜警備線(六龜警備道)」項の解説では、二箇所の護管所(遺構)を警備線沿線の駐在所遺構の中に含めている、或いはそのような意図が見える。筆者には日本時代の警察機関としての駐在所と、これら戦後の林業行政統括機関とがどのような関係にあるのか?未だ明確ではない。が、林務局公式サイトを閲覧してみると、護管所という林務局機関は最早存在しないようだ。その意味では今回の投稿に掲載した写真を見ていただければ感得いただけるように、日本時代の駐在所と同じように護管所も「古蹟化」しつつあるということだ。林務局サイトのホームページを「山林資源」→「森林保護及管理」→「森林保護」→「森林護管」という順で追い掛けて行くと、最後は以下のような説明に当たる(筆者拙訳):「本局は管轄する全台湾の国有林を8箇所の林区管理処(管理事務所)とそれらの統括下に35箇所の工作站(事業所)に分割し、国有林巡視並びに管理業務を実施している。同時に千人以上の森林護管員(巡山員)を配置し森林巡護の責任体制を敷いている」。要は、林務局の「護管」とは「森林巡護」のことであろう。尚、台湾の森林護管員は、日本の「自然保護官(レンジャー)」と同等のものかどうか?筆者は知見無し。いずれにしても、現在の六亀特別警備道が属するのは屏東林区管理処、その公式サイトの沿革の部分には、現在の機関の前身として明確に「高雄州産業部林務課出張所」との記載があるも、警察機関との関係に触れた部分は無し。上段左・中央写真は残存状態の最も良い棟、右写真はその棟の東側にある崩壊した別棟、下段左写真は日本時代との関係を示唆しているような古石塁、中央写真は沼津分遣所跡地に近付くにつれ立ち現れる宝来渓対岸の急斜面、第13宿「原」分遣所以降が設営された方面になる。右写真に写る最高山塊は渓南山、同写真中央手前の丸い稜線を呈するのは小田原山、渓南山右側の三角錐を呈するのは渓南山前峰、その頂上南側が第17宿「興津」分遣所跡地とされている。原宿から、藤枝国家森林遊楽区内の府中宿までの警備道概念図を埋め込んでおいた。「小田原」、「七坑温泉」、「渓南山」、「渓南前峰」等が警備道開鑿位置をイメージするのに便利だ。兎にも角にも、ため息が出る程に圧倒される高度と距離だ。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 六龜特別警備道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする