【写真説明】恒春から満州に向かい県道200号線を辿り満州の街が見え出す辺りの道路右脇にレンガ造りのかなり背の高い敬字亭(文字供養塔。実際には「聖敬亭」の額が掛かる)が佇んでいる。古色然とした建造物なのですぐに目に付く。敬字亭は本ブログの「浸水営古道−11」で既に説明したので、上掲写真と比較すると形状の違いがよく判る。浸水営古道上の敬字亭は清代の建造であるが、満州のものは明治時代の建造である。この敬字亭は次回のブログで紹介する「国語伝習所之跡碑」と田圃を挟んで向き合うように立っている。左写真は敬字亭の全身、中央写真はその基部の拡大、以前は鮮やかな色彩を誇っていたようだ。右写真は、敬字亭の前に敷設された寄進者名を刻んだ石版中の「明治丗七年」の銘、但し、日本人の名前は無い。
[敬字亭]
満州郷内の県道200号線、即ち古道に沿った地域に、二つだけ紹介したい古蹟がある。一つは、200号線を恒春から入り満州の街が見え出す辺りの道端に荒れたままに任せた涼亭があり、そこに敬字亭がある。
日本には昔から筆供養の伝統があるが、敬字亭は謂わば儒教をベースにした文字供養用の焼却炉であり、書籍を始め文字が書かれたものを燃やすもので、高さは様々だが、満州郷のものはかなり高く5メートルぐらいありそうだ。敬聖亭とも言われたりもするが、この場合「聖」とは孔子に代表される儒教の先人達を指す。台湾で開山撫蕃期に作られたものは現在国家古蹟に指定されたものが多い。
この満州郷の敬字亭のユニークな点は、地元有志の人々の寄付で作られたのだが、寄付した人々の名前を刻んだ石板が敬字亭前面に敷設されており、且つ「明治三十七年」(1904年)の銘を持つことだ。日本の年号を銘に持つ敬字亭は私の知る限りこの満州郷のものだけだ。
では、儒教の影響を強く受けてきたと云われる日本にも同様のものが恐らく多数残っているだろうと思い調べてみたが、敬字亭、敬聖亭でネット検索して引っ掛かってきたものは長崎市にある黄檗宗の寺、万寿山聖福寺にあるもののみ。慶応2年(1886年)に清人によって築造され、何と日本最古のレンガ建築なのだそうだ。結局、儒教とは日本では一般大衆にまで浸透していたとは言い難い証左の一つではないかと思った次第である。(メルマガ「台湾の声」2006年11月19日掲載分の一部を改編:次回へ続く)
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