2008年05月31日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−9

Kodou-220.JPG Kodou-221.JPG Kodou-222.JPG
【写真説明】左写真は、屏東県満州郷の郷公所(役場)付近の風景。2001年7月の撮影であるが、ここら一帯はそれ以降も全然変わらない。低い山々に囲まれた田園風景は実に落ち着く。満州郷内の景勝地を二つ;中央写真は満州郷内の最高峰、老佛山(674メートル)への登山口となっている七孔瀑布で撮影した一枚、名前の通り七つの滝壺を持ち、日本風に云えば七連の滝というところか。右写真は、墾丁国家公園内の太平洋岸の代表的な景勝地、佳楽水で撮影した一枚。層状砂岩と珊瑚石の海水に拠る侵食の妙が楽しめる。但し、海岸には漂着物が多く、当時はこの風景区への入口付近には猥雑な店舗が並びお世辞にも綺麗な観光地とは言い難かったが、今は整備されているのかもしれない。

[満州郷]
ある台湾人に逆に「満州」とはあの以前日本がシナ大陸に作った満州国にゆかりがあるのかという質問を受けたことがある。台湾の同地域に満州という地名を充てたのは確かに日本時代になってからだが(大正9年)、シナに於ける満州という呼称は当時既に使われていたようなので、台湾で満州の地名を用いた時、当事者は意識していたかもしれない。但し、由来は全く異なる。

満州は「臭気」を意味するパイワン語「マヌツル」の台湾語音訳「蚊蟀(バンスッ)」が古名、それに近い日本語発音のマンシュウを充てたとされている。今の満州郷付近はパイワン族にとっては非常に豊かな狩猟区域で、そのため食い切れない獲物が野山に放置されその腐敗臭を表現したものと云われている。

事実、今でも満州郷を含む恒春半島には手付かずの原生林が多く残っているが、全体に樹木の丈が低い為、台湾中央部の丈が高く太い原生林とは景観が異なり、それも恒春半島の魅力の一つだと思う。原生林が多く残ったのは樹木の丈故の経済価値の低さだと想像される。(メルマガ「台湾の声」2006年11月19日掲載分の一部を改編:次回へ続く)
posted by 玉山 at 00:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 恒春卑南古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「臭気」を意味するパイワン語「マヌツル」の台湾語音訳「蚊蟀(バンスッ)、アミ語の「臭い」を意味するアンツァッ(angcah)に似ていますね。温泉の硫黄が臭いと言う事で安通(花蓮県玉里鎮)の地名の由来になったそうです。日本時代にはアミ語のアンツァッを音訳して安通(アンツウ)、今は同じ漢字を中国語読みしてアントン。台湾の地名の変遷はそのまま歴史を現しているようでとても面白いですね。三貂角(san diao jiao)などはスペイン語のサンチャゴからのものだそうですし。
ところで、玉山さんはこのような地名の由来はどのようにして調べられるのですか?



Posted by メイウェンティ at 2008年06月03日 22:46
前にも少しだけ何処かで書きましたが、台湾の各地名の由来は日本統治時代に既に精査されその本は今でも手に入るはずです(古本屋?或いは復刻版、台湾資料センターにあるはず、尋ねてみられては?)。現代の台湾人研究者も素人もこの本をベースに情報を得ているはずです。ですから、台湾のネット上で入手出来る情報は、この本の断片的な翻訳という類のものだと考えています。この満州の記事を書く時も、台湾のネットで探してきました。国家公園の資料庫に色々参考になる情報がありました。カタカナ表記はどこから探してきたか忘れました。日本時代の原住民の部落名はなかなかローマ字表記でカタカナ表記を連想するのは難しい場合が多いので、その本があれば恐ろしく簡便なのですが、私は基本的には二つの情報源を参考にしています。一つは大正時代に発行された台湾全図の復刻版と以下のサイトです。

http://www.bl.mmtr.or.jp/~idu230/tabun/kukaku/kukaku5.htm
Posted by 玉山 at 2008年06月04日 08:49
ありがとうございます。
情報源の一つとして《台湾地名研究》安倍昭義(1938)をネット上で見つけたのですが、如何せんその古本の値段が63,000円余りでした。台湾資料センターには行ってみたいと思います。
Posted by メイウェンティ at 2008年06月04日 09:02
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