【写真説明】台湾の国立公園第一号である墾丁国家公園は少なくとも海岸線を離れて海の色を眺めている限りは美しい。同公園の喧しさは年々酷くなるばかりで、それに関しここで特に筆を起こす気力は無い。これら三枚の写真は各々異なる時期に同国家公園の入口とも呼べる南湾を撮影したものである。いずれも南湾の海岸線と原子力発電所のドームが写る。発電所も立派に国家公園に包含されている。左写真は2001年9月、中央写真は2003年1月、右写真は2003年11月の撮影、右写真は大山母山(標高325メートル)の山裾から南湾を望んだものである。一時期、いずれも標高400メートル以下の低山である同国家公園内の山々を集中的に登ったことがある。墾丁国家公園は台湾の海洋公園の代表みたいなイメージがあるが、実は山側が麗しい公園であるというのが私の持論である。
[墾丁国家公園と恒春卑南古道]
墾丁国家公園は恐らく台湾で最も人気のある国立公園で、読者の中にも足を延ばされた方は多いのではないかと思う。1984年に台湾の国立公園第一号として指定された。
日本時代には既に国立公園設立の準備は出来ており、大屯山(現在の陽明山国家公園)、大タロコ(同雪覇国家公園)、新高山・阿里山(同玉山国家公園)の三箇所が最初の指定を受けることが決まっていたが、太平洋戦争で頓挫したことを考えれば、戦後の国民党政府の国立公園設立は非常に遅かったことになる。日本時代はこの三箇所の国立公園予定地に加え、台湾八景を指定、これらが当時の観光行政に於ける基本資源だったことが窺える。台湾本島最南端、即ち墾丁国家公園の最南端の鵝鑾鼻(ガランピ)は台湾八景のうちの一つだった。
墾丁国家公園は省道26号線を境に、西側は台湾海峡沿いの海岸線、東側は県道200号線、即ち恒春卑南古道の南側全部を含む範囲で、大部分が満州郷と恒春鎮で占められている。墾丁国家公園を含む恒春半島南部は、牡丹社事件を契機に台湾近代の幕開けとなった舞台なので、日本時代ゆかりの史蹟が豊富な地域でもある。これらの大部分の史蹟、又、国立公園内の景勝地は日本でもよく紹介されている。
次回から暫く、恒春卑南古道周辺のよく紹介される史蹟に関しては少し詳しい紹介を加え、紹介される機会の少ない史蹟、景勝地も併せて選んで紹介する予定である。(メルマガ「台湾の声」2006年11月19日掲載分の一部を改編:次回へ続く)
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