【写真説明】左写真は、古道北側入口であるパイワン族の小村、南田。同写真奥の突端は観音鼻。右写真は海岸に遊ぶ水牛、海と水牛の取り合わせはおもしろい。
省道26号線が間歇的にしか開通していないということは、将来の26号予定線は観光上の開発の手が入っておらず、当然手付かづの自然が残っている部分が多いということになる。実際、東海岸の海は実に綺麗だ。天気さえよければ山を越えて東海岸に出て初めてその海が眼前に広がって来た時は誰でも感激する。ところが、海だけみていればという話で、海岸線は様々な生活廃棄物の漂着でお世辞にも綺麗とは言えないし、自動車が入り込める部分は釣り客、ハイカー、地元の人々が残したゴミが散乱している場所が多く、非常に残念だ。それでも、佳楽水と達仁との間の海岸線は単調な景観の海岸が横たわっているのではなく、変化に富んでいる。即ち、南から北に向かい、佳楽水に代表される岩が波の浸食で様々な奇岩を作り出している海岸、八瑶湾北岸の台湾最大と言われる九棚(港仔)大砂丘に代表される砂丘、そして古道に沿った鵝卵石海岸という具合に変化していく。
小さな漁港の周りというのはすべてがうら寂しい漁村が点在しているとわけでもない。たとえば八瑶湾には、寧ろ豊かな農村風景が広がりその中で水牛が飼われている。落ち着いた農村に水牛の点景というのは実にゆったりとした落ち着いた風景だ。東海岸を更に北上すると以前紹介した浸水営古道の東側起点の大武郷大武村になるが、そこにも水牛の牧場があった。その水牛の祖先は浸水営古道の西側起点枋寮から古道伝いに連れてこられたそうなのだが、八瑶湾の水牛の祖先も同じように古道西側起点恒春から連れてこられたのかもしれない。
次回以降は恒春卑南古道紀行の続編として、古道周辺の風景、即ち、恒春半島並びに墾丁国家公園内に点在する一般の観光客には余り馴染みのない名所・古蹟を継続紹介していく予定である。(メルマガ「台湾の声」2006年9月30日掲載分の一部を改編:終わり)
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下南田の南、達仁渓口北に『旧南田』の文字があります。これまでは高地から低地への移動はありましたが、海岸線上の移動は見ませんでした。これはどういう理由でしょうか?