【写真説明】左写真は古道南側起点、道路右側にパイワン族の数戸が点在する。中央写真は旭海大草原への入口に立つモニュメント。右写真はその草原内の一部を草原の最高点である牡丹鼻山の三角点付近から見下ろしたものだが、写真では草原という感じは伝わりにくい。
この古道の南側起点は、牡丹湾と呼ばれる小さな寂れた漁港だが、休日には大型観光バスが乗り付ける。これらの観光客は、古道散策が目的ではなく、この漁村の後方に聳える牡丹鼻山(標高213メートル)頂上付近に広がる旭海大草原へ行くことだ。蘭嶼が良く見える。天文愛好家の間では絶好の観測点と看做されているようだが、大草原というのは誇大広告だと思う。私は随分長い間、古道はこの草原を経由して海岸沿いの山中を走っているのだろうと誤解しており、現在の古道の殆どが即ち海岸線そのものだというのを理解したのはずっと後になってからだ。
現在古道探索を目的として歩く人は、牡丹湾に車を止めてそこから海岸線を北に向かって歩くのが一般的だ。ここには古道に関する一切の表示がないが、入り口に「入山管制区」に関する表示が立っている。海岸線を歩くのは「入山」ではないだろうということになるが、原住民族居住区につき入山証を提示して下さいという意味である。実際はこの管制区内に住んでいるのは、今はこの表示が立っているほんの鼻先に数戸があるだけで、入山証を提示する必要はない。恒春半島は牡丹社を始めパイワン族の居住区だが、牡丹湾では今はアミ族と半々ぐらいだと小さな食堂の女性が話してくれた。
牡丹湾から入ると暫くの間は既に廃棄された椰子畑が続く。この椰子畑の中を進むことも出来るし海岸線をそのまま歩いてもいい。車でも入れが可能だが、入り口から約2キロの所で沢に行き合い、車で入れらるのはここまで、そこからは海岸線を歩くことになる。この海岸線は鵝卵石海岸と呼ばれている。(メルマガ「台湾の声」2006年9月30日掲載分の一部を改編:次回へ続く)
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