【写真説明】牡丹渓が太平洋に流れ込む牡丹湾の小さな漁港が現在の古道入口となる。中央写真はそれから海岸沿いに続く自動車道、今は古道の一部を形成しているが将来の省道26号線である。右写真の海岸線が阿朗伊古道の「核心」部、つまり海岸線である。同写真奥は足下に旭海大草原を従える牡丹鼻。古道及び恒春半島のダイアグラムはここをクリック(→)。
現在阿朗伊古道として残存しているのは、恒春半島の東海岸線僅か6キロ、その殆どが文字通り海岸線の道無き道、潮が満ちてくると歩けなくなる部分があり、これまで紹介してきた道として常時踏み歩かれる古道とは趣が異なる。海岸線には遮るものが無く、天気がいい日中はそれこそ太陽に焼き殺される感じがあり、日傘は必需品、夏場この古道を探索するのは避けた方がいい。尤も探索と行っても海岸線を勝手に歩くだけなので、通常の山中の古道歩きの魅力からは程遠いものがある。
余談だが、全台湾の海岸線は隈なく舗装自動車道でカバーされているように見えるが、一箇所だけ切断されている部分がある。現在台湾最南部を東西に横断する道路は省道9号線(「南廻公路」)で、屏東県楓港と、既に標高を1,000メートル以下に落とした中央山脈を越えて台東県達仁とを結ぶ自動車だ。これに対し恒春半島の海岸線をぐるりと廻りながら9号線と同じ起点と終点を結ぶべく企図されたのが26号線で、太平洋岸側では小さな漁港間に間歇的にしか舗装された自動車道が存在しない。具体的には、南側は墾丁国家公園の東海岸側の代表的な観光スポットである佳楽水、北側は台東県達仁の間がそれだ。この間に、八瑶湾と、その北側に牡丹湾と今回紹介する恒春卑南古道がある。
恒春卑南古道は別名を「阿朗伊古道」(「伊」は「一」を意味する別な漢字を充てることも)と言われ、特に海岸線に残る古道を指す場合は、現在では寧ろ後者の方が多用されているようだ。このパイワン語の音訳「阿朗伊」は現在の達仁郷安朔村、日本時代「アロヱ社」と表記されていたパイワン族の部落名(最も人の多い村の意)から来ている。(メルマガ「台湾の声」2006年9月30日掲載分の一部を改編:次回へ続く)
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