【写真説明】「八通関古道−4」で紹介した鳳凰山寺から更に奥に進むと鳳凰山鳥園がある。これはどの地図にもその記載があるので鹿谷郷内の観光スポットの一つであるはずだ。その名の通り鳥類園なのだが私自身は参観したことがない。そこをすり抜けて更に進むと何をやっているのか皆目見当の付かない同鳥園管理所があり、その入口脇に「萬年亨衢」石碑への入口がある。その入口を上がると左写真の竹林の中を抜ける石段に導かれる。清代開鑿の八通関道の白眉である。その緩やかなスロープの階段を登り詰めた場所に鎮座するのが、清代開鑿道中に残存する最大遺跡である中央写真の石碑である。その石碑の裏側を辿ると、狭く草には覆われてはいるが小さな山道として古道が続いているのが判る。それが右写真で、或る程度は素人でも辿れるはずだが、私自身は未だその入口を汚しただけである。
山登りには全く自信がない方の場合、西側であれば、竹山から東埔温泉にかけてのオリジナルの古道、即ち清時代に開鑿された古道沿線に残された磨崖石碑とその周りに残された僅かな古道を辿るという方法がある。これだと現存している四箇所すべての石碑まで車でアクセス出来る。ここで言う磨崖石碑とは大きな自然石に四字の漢字が彫られているものだ。
921集集地震以降の再開発で今ではすっかりポピュラーな観光地となった集集駅を中心として西側約二キロの地点、集集大橋の袂に「開闢鴻荒」、東側約二キロの地点に「化及蠻貊」、鹿谷郷鳳凰山鳥園管理所裏の「萬年亨衢」、信義と東埔温泉の中間地点、陳有蘭渓橋の袂にある「山通大海」(オリジナルのものは以前流され、そのレプリカが安置されていたが、それも2004年の数度に渡る大水の為流されたらしく筆者自身は見つけられなかった)があり、すべてが南投県一級古蹟のはずだが、保存に力が入れられているのは「開闢鴻荒」碑のみ、後はかなりいい加減な管理状態だ。この中で短いながらも清代開鑿時の古道が残されているのは、「化及蠻貊」と「萬年亨衢」の周辺、特に後者の竹林の中の石積みの階段は当時の雰囲気を非常によく伝えている。(>(メルマガ「台湾の声」2005年4月26日掲載分の一部を改編)次回へ続く...)
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