【写真説明】左写真は武潭国民小学校平和分校の表門と校庭で生育しているパンヤの木。中央写真はパンヤの木の板根(板状の根っこ)。右写真は熟して落下した後のパンヤの木の果実の内部。
ピュウマ社は現在の泰武郷の旧社の中では最も北側にありながら、移遷した場所は泰武郷の最南端である。北隣が武潭村で南隣が来義郷古楼村である。移遷が決定したのが1969年、旧社の地が疎外された「極寒の地」であった為生活に困窮していた一方では、移遷後は「平地の生活」に慣れるのに苦労しなければならなかったことが、関連サイトの情報から窺える。
現在の平和村には一つ特異な点がある。それは中文で「吉貝木綿樹」と表記される熱帯産の巨木がこの村に百株程生育していることである。場所は武潭国民小学校平和分校の校庭、樹齢は約七十年になろうとする。つまり日本時代に植えられたものである。中文から推すに木綿(もめん)の木である。調べてみると、学名をCeiba pentandra Gaertn、つまり「吉貝」はCeibaの漢音訳である。グァテマラの国樹だそうで、日本では「パンヤの木」、「シロキワタ」、「カポック」、「セイバ」等の呼称があり、英語では「カポック・ツリー」、「シルク・コットン・ツリー」等で呼ばれている。木綿とは果実が綿状の繊維を含んでいる為であり、疎水性が非常に高い為、実際救命胴衣の詰め物として利用されていると謂う。叉、樹自体は軽く柔らかい為、丸木舟としても利用されてきたそうだ。
とにかく大きいこと、各樹木の基部は板根になっていること、熟した果実には本当に綿が詰まっていること、一見の価値ありである。
泰武郷の公式サイトに拠ると、日本人がこの地に南米からニ、三千株を持ち込み植樹したのが1941年(昭和16年)、開戦の年である。軍需用途を見込んだようであるが、具体的にどういう用途を意図していたのかは定かではない。叉、何故この地を選んだのかも定かではない。
いずれにしても、現在の平和村のパンヤの木とピュウマ社とは何の繋がりもない。(終わり)
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