【写真説明】左写真はピュウマ社入口にある貯水槽、日本時代のものと思われる。中央写真は旧社跡に咲き乱れていた曼荼羅(朝鮮朝顔)。植物に疎い私にはこれが野生なのかどうかは全く判らない。全く見事な花弁である。左写真は旧社内に残る住居跡。尚、本記事関連の旧社と山の大凡の位置はこのダイヤグラム(→ここをクリック)を参照して欲しい。
旧ピュウマ社(叉はピュマ社)は、パイワン族旧社の中ではクナナウ社(旧古楼)、チカタン社(老七佳)と共に山行者の間ではよく知られた旧跡である。これまで紹介してきたクワルス、カピアン、トクブン、タウの各旧社は自動車道沿いにある為、ブログのタイトルにあるような「秘道」とはとても呼べない。山行者の間で知られているという意味は、そこへ辿るには山道を歩かなければならないということで、秘道の名に相応しいということになる。実際旧ピュウマ社への道は秘道の雰囲気が十分にあるが、これまで紹介した旧社を結び現在の北大武山登山口を経てピュウマ社へ向かう道は日本時代に理蕃警備道とあいて整備され直したはずだ。
旧ピュウマ社は北大武山から派生する北西の尾根の足下にある為、同山への登山口から入るのが一般的なアプローチである。この登山口はもう一座、日湯真山(標高1,702メートル)への登山口にもなっており、以前この山に登ろうとした時、間違ってピュウマ社への道を暫く辿ったことがある。当時はその道は草茫々のその内に道が消えてしまうのではないかと思えるような代物だったが、今は国家歩道指定になり500メートル毎に里程柱が立つ立派な登山道になった。北大武山の登山口は台湾五嶽の一座に相応しい広場になっているが、当時はトイレがなく、このピュウマ社へ辿る道の入口がトイレ代わりに使用されておりその「惨状」に愕然としたものだったが、今はそこから100メートル程入った場所に立派な水洗のトイレが作られている。
この国家歩道は、旧筏湾古道とか、平和古道と呼称される場合もある。北大武山登山口と屏東県瑪家郷の旧筏湾社(日本時代の下パイワン社、現在は屏東県道185線、沿山公路沿いに移遷)を結ぶ歩道で、全長が約10キロ、北大武山の登山口の標高が1,600メートル弱、下パイワン社付近は約800メートルなので、かなりの高度差がある。この歩道のほぼ中間点で、以前のブログ「パイワン族秘道−3」で紹介したアママン社(現屏東県泰武郷万安村)とピュウマ社とを結ぶ旧道が交差する。この交差地点から下パイワン社に到るまでにパダヱン社(現代表記、高燕)とチャリシ社(現代表記、射鹿)を経由するはずである。「はずである」とは、以前下パイワン社から入り、チャリシ社跡とパダヱン社跡までは辿ったことがあるが、その先は辿ったことがないからだ。
この古道はパイワン族の歴史上は重要な意味を持つそうである。というのは、この古道の沿線に旗塩山(標高1,056メートル)という低い山があるが、これは現在の泰武郷と瑪家郷付近とに居住していたパイワン族にとっては聖山だったそうである。先にチャリシ社跡とパダヱン社跡までは辿ったことがあると書いたが、実際はこの山に登りに行くのが目的で、それらの旧社跡に偶々出食わしたに過ぎない。
さて、北大武山の登山口から古道はどんどん下りになる。最初は幅の広い林道だがその内に山道になりロープが付けられた悪所もあり本当の山歩きが楽しめる。登山口から一時間も下ると赤いペンキで意味不明の「林←光陽」と書かれた樹木がありパイワン族の住居跡が出てくる。登山口には林務局が歩道の案内板を立てているが距離が書かれていないので、アマワン社−ピュウマ社の分岐にどれくらい歩けば着くのか皆目見当が付かないので、最初はこの地点がその分岐だと考えたが、明確に交差する山道が無い。そのまま進むと各所に住居跡が出現する。山道脇には理蕃道として整備されたことを示す石積みも随所に残る。我慢してもう一時間歩くと突然広場に出た。そこに道標が立っており件(くだん)の分岐であることが判った。登山口から約4キロの距離である。
道標にはピュウマ社までの距離、時間は示されていないが、ハイカーによってマジックで半時間と書かれてあった。分岐からピュウマ社までの道は草深いがよく踏み歩かれている。途中に焚き火の跡があるので狩猟道として専ら使われているのかもしれないが、廃棄された古い塩ビのパイプと共にゴム製の新しいパイプが旧社に到る道沿いに据え付けられているので、今でも原住民の出入りは頻繁にあるということである。20分程で日本時代に作られたと思われる貯水槽が現れそこが旧社の入口である。入口付近にニ軒だけ精緻な石板家屋の残骸が残っている。実に見事な石積みで驚く。その石積みの上には二軒ともこれも見事なオオタニワタリが葉を展ていた。旧社跡は広々としており低い藪で覆われている。その中に、青と白のツートンカラーのビニールを屋根にした作業小屋があった。(終わり)
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