【写真説明】左写真は現在の屏東県泰武郷佳平村(旧カピヤン社)の入口付近の自動車道脇の壁に描かれたモチーフ。右写真はトクブン社とおぼしき場所。
トクブン社とは現在「徳文」と表記されるが、通常、トクブン社とは現在の屏東県三地郷徳文村である。ここには日本時代は公学校が置かれ既に「徳文」と表記されていた。この村にある徳文山(標高1,246メートル)は登山口からハイキング気分で一時間程で登れてしまう山だが、登山愛好家の間では人気が高い。低山だが山頂が丸裸で絶好の展望台になっているからだ。霧台(ブタイ、又はブダイ)の村々を刻みあげた隘寮北渓谷が正面に望める。その昔、大武山と高さを競い負けたそうである。負けたにしては標高差が1,800メートル程もある。ルカイ族聖山の一座というのを聞いたことがあるが、徳文はルカイ族、パイワン族が半々の村、パイワン族化したルカイ族という表現が使われる。第五代台湾総督の佐久間左馬太の所謂「五箇年理蕃計画」の後半、大正3年(1914年)、現在の屏東県霧台郷神山村(カバルライ、又はカバララヤン社)の抗日抗争に際し、トクブン社から隘寮北渓を隔てた対岸のカバルライ社に対して砲撃が加えられたという歴史がある。当時の総督府がこの事件を何と呼んだかは定かでないが、台湾のウェブの中で「南原住民騒擾事件」という表記があったので南台湾蕃人騒擾事件とでも呼んだかもしれない。
さて、ここで紹介するトクブン社は、この徳文村ではない。現在の佳平村の入口に石板に描かれた泰武郷の地図が置かれており、旧泰武村(クワルス社)と旧佳平村(カピヤン社)の中間に「旧徳文」という表記があり、こんな場所に徳文村の旧社が?と驚いたからだ。つまりトクブン社も郷道185線沿いにあるということなのだが、正確な場所は判らなかった。大正13年発行の「台湾全図」には同場所には表記がないが、三地郷の方には「トクブン社」の表記がある。私の手元の市販の自動車地図では泰武村のトクブン社は「徳文社旧址」と表記されているのだが、両トクブン社にどのような関係があるのか判らない。両社はほぼ同じ経度上に位置しており、その隔たりは直線で二十キロ程度、但し、この間は隘寮北渓と隘寮南渓の二つの渓谷が横断している。(終わり)
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非常感謝拜訪我的部落格而教導關於コ文社的事。我本來是疑問兩個(三地門與泰武)コ文社有些關係的,您明顯地解說其差別。
謝謝您。