【写真説明】左写真は旧カピアン社全景。現在は農地で檳榔その他が栽培されている。同写真中、檜様の針葉樹の幼木が植えられた場所はすべて旧社跡なので非常に広い。自動車道の足下に広がる。同写真その後方の左手の山斜面にプンテイ社(現佳興村)跡がある。写真では判らないが、肉眼だと畑状のものが確認出来る。カピアン社とプンテイ社とはクワルス渓を挟んで向き合っていた。中央写真は旧社の中。右写真は最近復元された頭目の家。
現在の泰武村と旧泰武村(クワルス社)との中間ぐらいの位置に旧佳平村(カピアン社)はある。泰務村の派出所にて旧佳平村の位置を尋ねると、派出所から数キロ行った先の山手側に作業小屋があり、道路を隔ててその反対側に旧社への入口があると教えられた。つまり入口は自動車道沿いにあるというわけだ。又、最近頭目の家が復元されたとも教えられる。郷道185号線は北大武山への登山口に繋がるので何度も往復しているのだが、そんな入口に気付いたこともないし、如何にも簡単に目指すカピアン社には行き付けそうなので不思議な気がした。
派出所で教えられたことは実際本当だった。自動車道のタワルス渓へ落ちる谷側斜面は檜か何かの針葉樹の幼木が植え込まれている、一見普通の畑にしか見えなかったのだが、よく見るとその畑は低い石積みであたかも区画されている。道路脇の入口だと教えられた場所には、「歓迎2006年 南島民族論壇学者莅臨指導 佳平社区発展協会 95.12.15」と赤字で染め抜かれた黄色の横断幕が掛かっていた。これで研究者の間ではこのパイワン族居住区跡はよく知られていることが想像される。筆者のこれまでの見聞だと、パイワン族の遺址の中では最大規模と思われる。ブログ記事「崑崙拗古道−6」で、チカタン社(老七佳)を「現存するパイワン族最大の伝統集落遺構」と紹介したが、その際集落遺構とはあくまでも完全な、或いはそれに近い家屋が現存しているという意味である。カピアン社の場合、最近復元された頭目の家を除き、一切家屋という形で残存しているものは無い。家屋跡は畑として再利用されている。但し、確認出来る面積としては最大遺構だと思う。(終わり)
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