2007年11月17日

パイワン族秘道−4:クワルス社(現屏東県泰武郷泰武村)

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【写真説明】左写真は、現在のパイワン族クワルス社入口にあるモニュメント。右側二枚の写真はクワルス社旧居住地跡。新旧の居住地は僅かに数キロを隔てているに過ぎない。日本時代は蕃童教育所も置かれていたので相当大きな部落だったはずだが、今はすっかり畑と化してしまい住居跡だと想像するのは難しい。

省道1号線から屏東県枋寮で分岐し同県三地門(サンテイモン)とを結び中央山脈南端山麓に平行して走る屏東県道185線(沿山公路)の沿線は中央山脈西側から移遷してきたパイワン族の村々が集中している。これまで紹介してきたパイワン族の旧社もこの185線からのアクセスが基本となる。

沿山公路沿線の東側、即ち大武山の西側山麓には北から瑪家、泰武、来義、春日の四郷が並び、南北の大武山の山頂は共に泰武郷に接する。泰武郷は、北から万安(アマワン社)、泰武(クワルス、或いはタワルス社、以後クワルス社で統一)、佳平(カピヤン社)、武潭(タウ社)、佳興(プンテイ社)、平和(ピュウマ社)の五村から成り、いずれも現在の村々は父祖伝来の地から移遷してきたものだ。大正13年発行の台湾総督府警務局発行の30万分之1「台湾全図」を見ると、北からピュウマ社、アマワン社、クワルス社、カピアン社、タウ社、プンテイ社を順に結ぶ理蕃警備道があったことが判る。この警備道の一部は、現在は沿山公路から大武山山麓に向かう郷道106号線となっている。これらパイワン族の旧社の内、106号線沿い、即ち自動車道沿いで旧居住地を確認出来るのが、クワルス社、カピアン社、タウ社である。

郷道106号線は最後まで登り詰めると北大武山の登山口へと到る。この郷道の入口は佳平村で今はここに泰武郷の郷公所(役場)が置かれている。北大武山の登山口に到るには武潭村から入る方法もある。どちらも以前は検査哨(検問所)があり入山証の提示が必要であったが、今はどちらの検問所も廃止されている。106号線は佳平村から旧武潭村(タウ社)まで一気に登り詰める自動車道で、通称佳泰公路と呼ばれるが、個人的には南台湾では最も素晴らしいスカイラインではないかと思う。常に、足下に広がる高屏平野から台湾海峡へ繋がる大パノラマを堪能しながらのドライブとなる。朝夕には車を途中に停めてウォーキングを楽しむ人も多い。登り詰めた所が旧武潭村で、武潭村から登って来た自動車道と出会う場所には、逍遥山荘という絶好の展望所がある。標高は約500メートル程。以前は何の特徴も無い食堂だったが今は改装され休日は大賑わいである。

ここから更に郷道を数キロ北上するとやがて泰武村が見えてくる。「神秘谷」「北大武山」という文字とパイワン族の意匠を六枚の板に彫刻したモニュメントが出迎える。そこは泰武村中心の最高所でちょっとした公園と派出所があり村はその下に広がる。雲が無ければ眼下のクワルス渓(現在の地形図上の表記は「瓦魯斯」)を隔てて大武山山塊が東側正面に正に屏風のように立ちはだかる。何故パイワン族にとって大武山が聖山なのか説明無しで判る瞬間である。

常に大武山塊を右手に見ながら平坦な郷道を進むと、やがて道路は二手に分かれる。そのまま真っ直ぐに進みクワルス渓に向かって降りる道路は泰武村が誇る神秘谷へと通じる。もう一方はここから急に高度を上げて北大武山の登山口へ到るものである。この分岐点付近が旧クワルス社である。

因みに、神秘谷に到る道路は途中で大きく崩壊しており渓谷に降りるには車を捨てて歩かなければならないが、半時間程の歩行で渓谷に降りれる。神秘谷とは日本風に言うとクワルス渓上流に掛かった二連の男滝、女滝に代表される渓谷である。一般の行楽客でも簡単にアクセス出来る渓谷というのは汚いものであるが、ここはまあまあと思う。(終わり)
posted by 玉山 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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