【写真説明】雲海保線所内、即ち尾上駐在所の遺構各種。左写真は保線所の裏にある貯水槽。中央写真は同じく保線所裏に残る弾薬庫だったと思われる倉庫。右写真は、保線所東側の畑の中に残るこれも弾薬庫と思しき倉庫。
前回の記事「能高越嶺古道−18:雲海保線所」に含めてしまおうと考えていたが、写真の枚数が多く為り過ぎるので二回に分けることにした。
保線所の裏は特に初回に訪ねた時は随分丁寧に見た積りであったが、弾薬庫らしいものは単なる物置としか写らなかったようだ。保線所職員の手になる畑の中のコンクリート製の小屋は前回、前々回とも全く記憶に無く、今回目に留まった時には実に不思議な気がした。万事がそのようなものであろう。興味さえあれば常に新しい発見があるという意味である。
霧社事件当時、鎮圧部隊は更にここより十キロ程奥(霧社より更に遠ざかる)の能高駐在所(現在の天池保線所)にも置かれたとのことだ。もしも、これらの遺構が私が想像するように原住民の蜂起に備えた武器、弾薬の保管場所であったとするなら、前々回の記事で紹介した林務局の案内板にある「少なからず在りし日の歴史に思いを致さざるを得ない」(筆者の意訳:原文は「譲人添増了不少対往日歴史的悼思」)のである。(終わり)
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