【写真説明】左写真は防災対策の一環として最近付設されたと見える携帯電話通話可能地点の標示板。台湾にも幾つかの携帯電話のキャリアがあるが、山中までカバーしているのは中華電信のみだと思われる。台湾に来た当時に私が加入したキャリアでは山中で全く使物にならず中華電信に替えたことがある。防災対策と云えば聞こえはいいが、乱用されると実際救援に向かう関係諸機関にとっては迷惑この上無い。携帯電話網の発達のお陰で、日本では山中ちょっと足を挫いたぐらいで救援を求める登山者がいるとのことを聞いたことがある。非常識というより余りにも責任感が無さ過ぎる。中央写真は富士見駐在所跡地と思われる地点。「富士見」と云えども今は樹木と草薮で全く展望が利かない。右写真は雲海に浮かぶマヘボ富士山。どの山がマヘボ富士かは容易に見分けられると思う。
前回の山行の際見落としていたのが富士見駐在所跡、下山後その存在を知ったからである。登山口のトンバラから最初のランドマークとなる雲海保線所(尾上駐在所跡)の中間地点よりやや保線所よりの地点で、標高は約2,200メートル。駐在所跡を示す何の標示板も無いが、台湾電力による保線用標示「甲線#41」(中央山脈を跨ぐ高圧線が基本的に二本あり各々甲、乙線と名付けられている。番号は高圧線鉄塔の番号)が近くの大木に貼り付けてあるので目印になる。
さて、これまで本古道の紹介で何度も「富士山」の紹介をした。富士見というからには、富士山が見えていたわけで、その富士山がどの山に該当するのかは判然としない。盧山部落(ボアルン社、旧富士社)の母安山はこの地点から見えたとしても余りに西側でしかも既に700メートル程度の標高差があり、富士の山容には程遠いはずだ。富士見駐在所跡を更に雲海保線所側に進むと、「遠眺馬海僕富士山」と題された林務局による案内板があった。これは前回の山行の際は無かったものだ。その説明に曰く;
「ここは馬海僕富士山が最もよく見える地点である。標高は2,617メートル、別称は麻平暮山、又はMahebo(マヘボ)山。その頂上は霧社事件当時、馬海僕(マヘボ)社の頭目、莫那魯道−Mona Rudao(モナ・ルーダオ)が自殺した場所、又、その山麓の馬海僕岩窟は、莫那魯道の子供、一族が日本軍に勇敢に抵抗し集団自殺した場所である。この山の優美な起伏を眺望し今は無き昔日を回顧すると、少なからず在りし日の歴史に思いを致さざるを得ない。」[注:()内は筆者が加えた]
但し、これで富士見駐在所の名がマヘボ富士に由来するとは確定し難いのだが、これ以上の詮索は止めにする。現在の地形図上はこの山は「麻平暮山」とのみ表記されている。マヘボ富士山への登山道は付けられており割とよく登られている中級山で、公開されている山行記録を見ると登りに約六時間程度必要だ。尚、マヘボの漢音表記は台湾では馬海僕や麻坪暮以外に、馬赫坡等が使われている。
この日、案内板の前に立った時、残念ながら天候は芳しくなく全く眺望が利かなかった。上掲の写真は前回の山行の際撮影したもの。その際、私が写真に納めておきたかったのは雲海だった。今回ブログの記事を書くに当り前回撮った写真を見ていたら、マヘボ富士山が偶々写っていることに気付いた。(終わり)
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