【写真説明】左写真は古道入口に向かう「十三湾」と呼ばれる九十九折(つづらおり)。写真を斜めに横切る稜線下の白い螺旋(らせん)状の線が道路である。同写真中央の点状に写っているのは盧山温泉の建物群、その右上は旧ボアルン社。中央写真は古道入口に立つ能高山とその登山者をデザインに使った古道の標示。右写真は、登山道入口から暫く辿った付近の何とも心細く危険な登山道情況。登山道は同写真中央やや左に写る樹木の下から撮影者の側へ延びている。一度大雨が降ると容易に消失してしまう。同写真左下は崖である。今はマウンテンバイクに依るハイカーが多くなっているが考えものだ。
現在の能高越嶺古道の入口は旧トンバラ社跡で標高は2,000メートルあるので、盧山部落から700メートル程セメント敷きの急坂の自動車道を登ることになる。最後は十三湾と呼ばれる普通車の片側通行がやっとな九十九折になるのだが、今回驚いたのは途中で、降りて来る大型観光バス二台に出会ったことだ。特に規制はないのかもしれないが大型バスで乗り入れるのは非常識と言わざるを得ない。台湾はとにかく場所を問わず観光バスの転落事故の多い国で、今年も何回か大事故のニュースを聞いた。空(から)で降りていったので、載せた登山客が下山した際は又登り返してくるのだろう。
トンバラを登山口とする能高越嶺古道西段で最も崩壊の激しい場所は実は登山口付近である。以前のブログでも紹介したが過去鉄砲水に依る死亡事故も発生している。台風は毎年繰り返し訪れるわけで、登山口付近が更に崩壊しているのは予想していたが、実際辿り着いてみると実にひどい情況になっていた。登山口下はちょっとした駐車場になっておりそこからセメント敷きの小道を辿り登り始めるのであるが、このセメント敷きの道の大半が崖崩れで既に消失している有様。崩壊した崖を遮るものはないので、今後も崩壊を繰り返すわけである。それでもしつっこく登山道を付設し直すのは登山者の便を図る為ではなく、この登山道がもともと台湾電力の保線道路だからである。
以前登山道入口に設けてあったのは高さ50センチ程の古道起点を示す道標のみ(「能高越嶺古道−1」掲載の写真参照)だったが、今は、上掲の写真に写る古道標示と共に古道に纏わる歴史、道程、防災関連情報と有益な情報を提供している何基もの案内板が立つ。
尚、「能高越嶺古道−11」以降紹介した各地点、並びにそれ以前紹介した地点の大凡の位置についてはここをクリック。南側から古道を俯瞰したダイヤグラムである。(終わり)
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