【写真説明】左写真は、前回紹介した富士温泉由来の石碑の横にあるセデック族の女性のモニュメント。盧山温泉の紹介には必ず出て来る。右写真は盧山部落(旧ボアルン社)に登る途中で撮影した盧山温泉の一部と旧マヘボ社全景。写真に写っている温泉街はタロワン(塔羅湾)渓沿いに作られているが、写真中央付近にマヘボ(馬海僕)渓が流れ込んでおり、この合流地点に盧山温泉郷のシンボルとも言える盧山吊橋が掛かっている。
旧マヘボ社は同写真左の山麓、畑が見える一帯である。この山の名は藤四七山(標高1,517メートル)、意味不明、藤は富士に通じるかもしれず日本時代から受け継がれてきたか?マヘボ渓の源頭は能高山、現在能高山登山には越嶺古道が利用されるのが普通だが、藤四七山山頂を経由して能高山(標高3,262メートル)に到る方法がある。但し、これは標高差約二千メートルを稼がねばならず普通の登山者には無理だ。因みに、古道登山口のトンバラは既に二千メートルを越えている。尚、中央山脈を跨ぐ「電力の万里の長城」高圧送電線は基本的には二本あり、一本は古道沿い、もう一本はこの藤四七山中に降りてきている。
今回は時間が無く歩けなかったが、温泉街の南側山麓(上掲左写真に見る山麓側)には「古戦場歩道」が付けられている。周回出来るようになっており、一周約四キロ、盧山温泉の観光資源の一つである。古戦場とは文字通り、霧社事件に於ける所謂蜂起蕃と総督府との戦闘のことである。実際の主戦場は更にマヘボ渓を遡った一帯だと思われる。最終的にはモーナ・ダルオはマヘボ渓を盧山温泉から十キロ程溯った地点(現在「マヘボ岩窟」と呼ばれ一族が集団自決した場所が残る)から更に山を分け入りマヘボ富士山(標高2,617メートル)と呼ばれる山頂で自決を遂げることになる。(終わり)
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