2007年09月08日
崑崙拗古道−11
【写真説明】左写真は台東県大武郷大武村に残る日本時代の大武神社の階段。階段上の建物は林務局大武工作站。そこが同時に、大武国家森林歩道の入口でもある。大層な名前の付いた歩道であるが、全長は僅か一キロ強、中央写真はその歩道途中から太平洋を望んだもの。天気さえ良ければ、台湾の東海岸、即ち太平洋岸の海の色は一様に素晴らしい。同写真の下側に写る案内板は大武郷の由来を説いている。左写真は、大武村に今でも残る日本時代の役場跡。但し、塀のみが当時のままである。
今回は少々大武村について紹介する。大武村は「浸水営古道」の終点であるから、本来はそちらの古道シリーズに含めるべきだろうが、崑崙拗古道東段の周辺風景として太平洋に流れ込む河に因んで筆を進めてきたので、そのまま崑崙拗古道シリーズで継続することにした。
大武の古名は「巴朗/土衛」、パイワン語で「棒で以って叩く」と云う意味だそうだが、大武山山麓から大武渓河口付近の湿地帯であった太平洋岸へ降りて来たパイワン族が、棒を以って叩きながらこの地に居住地を求めたことに由来するそうだ。現在の大武郷は、その公式サイトに拠ると日本時代、以下の様な数次の行政区画の変遷を経ている。
総督府はまず1906年(明治39年)、この地に「巴朗/土衛区役場」を設置、その後1920年(大正9年)、台東庁大武支庁下の「大武区役場」に改変、更に1937年(昭和12年)、台東郡大武庄下の「大武庄役場」へと改変していったそうだ。
大武村は高雄市からだと大凡二時間半ぐらいのドライブである。高雄市からかなり離れた場所に出掛ける場合、夜出発して次の日の行動の為に時間を稼ぐ方便として、何処か適当な場所にテントを張り夜露を凌ぐことにしている。そのような場合、どうしても平地にテントを張ることを余儀なくされる場合が多い。台湾の場合、山中を除きテント設営場所として私は以下の順で選択することにしている。即ち、@派出所、警察署の駐車場→A廟→B学校の順である。派出所・警察署は当然一番安全だからだ。廟については、規模の大きなものであれば、清潔な上に水とトイレが自由に使える。学校は露営のスペースを十分確保出来るという点では申し分無いが、一般的に池、プールがあり加えて樹木が多い為、蚊が多いという難点がある。その上、最近は露営禁止を掲げてある学校が増えて来た。台東方面に出掛ける場合の中間露営地としては大武村は便利な地にあり、何時も大武派出所付近にテントを張らせて貰っている。ここは日本時代は大武周辺の行政の中心地だった場所で、今回紹介した写真はすべて大武派出所付近で撮影したものである。
さて、上述したような場所に露営させて貰って気付くことは、田舎の人ほど人情味があるということである。台湾も例外ではなさそうだ。(終わり)
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