2024年03月16日
『水の古道』獅子頭圳-1:竹仔門発電所(1)
【写真説明】何はさておき古蹟としての竹仔門発電所を代弁する「明治四十二年」竣工記念碑の案内標識(左写真)と記念碑の現況(中央写真)、前回の投稿記事(『水の古道』竹仔門発電所(3))のものは2006年6月撮影、今回はそれから13年後の2019年11月撮影、右写真は発電所正門。尚、「子」と云う漢字の取り扱いについて―発電所の正式名称は「仔」、獅子頭圳の場合は「子」、実際は二つの漢字の間に大きな意味合い上の差は無いはずだ。
明らかに撮影した記憶は残っているが、磁気メモリーの中から該当する写真ファイルを引き出せないケースが増えている。旗山圳に関しては、もう一つ投稿記事を追加してクローズさせるべく、武鹿坑水橋の東側を走る自動車道幹線29号の僅か南側で撮影した記憶がある何かを繰り返し探していた。筆者はそれが旗山圳第二幹線排水口に関連する何かではないか?と想像を逞しくしてみるのだが、これからも思い煩い続けなければならない指定難病に起因する認知能力の低下には抗いようがないと云うことか?ということで、何時訪れるか判らない次回訪問を期待しつつ、ブログの方は、地理的には旗山圳の東側に開鑿された獅子頭圳の紹介に移る。
旗山圳が旗山地区の灌漑システムのバックボーン(背骨)を為すと言ってしまえば、獅子頭圳は美濃地区で同様の機能を担って来たと云う定義は的外れではあるまい。そのように難しい言辞を弄さなくとも、今では獅子頭圳が些かでも一般人の耳目を惹いているとしたら、それは美濃水橋と竹子門発電所の二つの古蹟の存在故であろう。本ブログでもどちらも『水の古道』として紹介済みだが、当時の筆者はこれら二つが獅子頭圳の一部であると云う意識は低かった。
ウィキペディア台湾版に獅子頭圳の沿革が要領良く纏められているが、今全訳の労を厭わない気力無し。日本の台湾領有が開始された以降、龍肚、中壇、柚子林、塗庫の四圳が整理統合され、竹仔門発電所の発電済み排水利用灌漑システム(もっとしっかりした業界用語があるはず)を構成するに至ったと云うようなことが書かれている。これら四本の水路の特定は素人には骨の折れそうな仕事なので、これも今はスキップしたい。
竹仔門発電所に就いては以前は機会あるごとに筆者なりに声高に喧伝していたとはいえ、実際構内に入ったのは、2006年6月だ。当時は何の手続きも強要されず自由に入れたと思う。その内に団体見学を前提とする事前予約制に移行していくのは、同発電所のバックグラウンド故急速に有名になってしまったからだ。爾来発電所敷地内に足を踏み入れていないし、内部に再確認したいものは今の所は無い。中に入れないのであれば外側から、発電所敷地迄は観察出来ることを思い付いた。実行に移したのは2019年6月、前回の構内踏査から13年も経っていた。発電所から発電排水水路である獅子頭圳を辿るだけ辿ることも考え付いた。今回はそのダイジェスト報告版である。
獅子頭圳は農業部農田水利署の公式サイトに依ると、三幹線、各々の幹線が支線を有しているようだ。基本、東側は竹子門発電所の発電用取水を荖濃渓に依り、排水は美濃西側の楠梓仙渓と云う塩梅。今回紹介する獅子頭圳は、竹仔門発電所から吉山迄の第一幹線沿線で見られるユニークと思われる水利構造物、但し羅列である。この部分は公園仕立てになっている部分も多く、猛暑でない限り割と軽快な散歩も可能故選んだ。朝の涼しい時間帯であれば全線徒歩も大いに意義有り。今後は掲載写真とこのダイヤグラム上の位置を対比させる予定。(続く)
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