【写真説明】上段左写真は、前回の投稿で掲載した下段左写真の撮影者背中側に位置する、「昭和十四年二月十一日建立」の銘を持つ「旗尾山祠」、残念ながらどのくらいの規模とデザインで存在し、それはどれ位の期間であったのか?台湾ネット上で関連情報を未だに見出せていない。その間に石碑表面の剥落は進む。左写真は2017年2月、右側二枚の石碑表裏写真は2004年4月撮影。この間の摩耗、剥落の進み具合が判るかと思う。下段写真は2019年3月撮影、筆者自身は約15年間気付かず妻が見出した石造仏像残骸。上段左写真右側に写る金属製手摺を伝い降りて行った場所である。当初は前々回に掲載した不動明王の彫り込みとの関係で地蔵菩薩かもしれないと勝手な想像をしていたが、トレードマークの髪の毛らしき意匠も見える。連日多くのハイカーが行き来する場所に露出している遺物だが、この石造物を紹介した記事を未だに目撃したことが無いと云う摩訶不思議。
台湾ネット上に「旗尾山祠」に関する専門的な投稿がないかどうか?丁寧に渉猟してみると一つだけ見付けた。パーソナルなブログで、投稿名もそのまま「旗尾山祠」だ。このブログで披歴されている歴史的な背景は以下の通りで、これらの殆どを筆者も知らなかった:
1)月霊旗縦走路稜線上のどのピークを旗尾山と呼んで差し支えない。市販地図帳でもこの稜線上の標記を子細に眺めてみると、旗尾山の標記が二箇所あることに気付く:ここまで縷々と述べて来た台湾小百岳の一座である旗尾山(標高315b)と、霊山(同364b、通常は霊山が括弧表記)なのだが、詰まり旗尾山一段、或いは旗尾山山脈とでも呼べるかもしれないと云う意味だろう。従って、台湾小百岳の一座を旗尾山と呼ばずに旗尾山祠と呼ぶ几帳面なハイカーが居る。
2)「旗山」は地名学的には旗尾山が出所。筆者はこれまで旗山の由来に関心を払わず。
3)その旗山市街地の西側に標高215bの擔横山と呼ばれる一座があるが登山対象としては人気が無い。古名は「鼓山」。高雄の柴山―今は次第に日本時代の呼称、寿山に換わられつつあるが―も嘗てはそう呼ばれていたはずだ。現在の旗山一帯の旧称は蕃薯寮、現在の孔子廟を擁する旗山公園は蕃薯寮の共同墓地で鼓山塚(俗称)と呼ばれていた。。。詰まり同地名はザックリと以下のように変遷して来たと云うことだろう:鼓山塚(蕃薯寮)→鼓山公園(日本時代、旗山神社含む)→中山公園(含む孔子廟)→旗山公園(旗山神社一部復元)
繰り返しになるが、旗尾山祠頂上付近の遺跡状況から嘗てはかなり規模の大きな宗教場だったのではないか?と予想されるが、遺影に接する機会無く想像の域を出ないのは残念だ。(続く)
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