2023年03月04日

美濃古道−0:概観

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【写真説明】美濃を代表する文物を一つだけ挙げよと問われれば誠に難しい問題だ。筆者は生涯(願わくは)一ハイカーと云う立場から、玉山山脈最南端を形成する月旗(縦走)稜線(月光山−旗尾山)を提案することにする。このGoogle Mapから起こしたダイヤグラムは、高雄市街地と旗山区を結ぶ高速道路10号線が旗山市街地に近付くに連れ眼前に立ち現れる大山岳の容貌を呈する稜線のシュミレーションである。左写真は旗尾山山頂の展望台から北側を望んだ(2019年6月撮影)。中央写真は旗尾山山頂直下から南側、前述稜線の最後尾を望んだ(同撮影)。右写真は、月旗稜線を美濃側から望んだもので、月光山(右側)と旗尾山(左側)共に写り込んでいる。畑の作物、誠に申し分けないことに失念した(2019年11月撮影)。

准国立公園(国家公園)の位置付けになる国家自然公園の第一号は、これまで縷々紹介して来た壽山国家自然公園であることは、このブログの中でも複数回言及して来た。加えて、第二号が同じ高雄市に属する美濃国家自然公園であることも簡単ながら紹介済みである。但し、後者の開園に関する情報は筆者の手元には無く、参考までにウィキペディア台湾版を見てみると、2017年の叙述を最後にその後の更新が無い。詰まり正式開園のどの段階にあるのか良く分らないが、準備中だと云う意味だろう。

これまで美濃地区に特化したブログ記事としては、左メインメニュー『水の古道』下の「美濃水橋」と「竹仔門発電所」の二つのカテゴリーを通じ紹介して来た。又、日経ギャラリーの台湾古道シリーズ第三回目の記事は、ブログよりも包括的に美濃の魅力を水の魅力を通して訴えた。後者の記事の中で「山紫水明」と云う陳腐な熟語で美濃の魅力を余りにさらりと形容させてしまったが、今後のブログ記事は更に包括的に美濃の魅力を読者の皆さんに伝えられることを希望するものである。高雄市市街地から高速道路1号線と10号線を繋いで走れば一時間も掛からない地の利を生かし美濃との間をこの上無く往復したが、目指す所は、山、水、板條の三つ−山とは玉山山脈最南端を形成する「月旗」縦走路、北側月光山(標高647b)と南側旗尾山(同318b)を結ぶ約15`;水とは日本時代に起源を有する灌漑水路、美濃地区に配される水源は竹仔門発電所から排出される発電後の水だ;板條とは。。。最近自身のブログ或いは別の機会だったか、この客家料理の代表である米ベースの麺の紹介を試みたはずだが見付からない。何れにしてもこの麺を食べる為に高雄から美濃まで車を走らせたことも数知れず。今後ブログ記事として板條をどう取り扱うかはゆっくり考えるとして、山と水の重層の魅力を紹介するのが目標だ。

ところで美濃と云う地名は明らかに日本の美濃を意識したものだ。元々は「彌濃」、或いは弥の旧字体「彌」に更にさんずいを付加した「瀰」。。。ここら辺りの台湾に於ける日本風地名に関し、筆者の方で起こした小論文をメルマガ『台湾の声』を通じて昨年4月に投稿したことがある。参考までにその抜粋を以下に添付しておく:

(抜粋開始)『台湾地名考−国民政府による「日本風」地名命名』
(中略)
<地名の日本化>
台湾全土に日本風の地名が多いことは日本人なら渡台した折り、あるいは地図を眺めている時、直ぐに気付く。それこそ枚挙に暇(いとま)がない。筆者が居住している高雄(たかお)もその一つだ。試しに筆者が居住する近辺の高雄市とお隣り屏東県から拾い出してみる。( )内は日本時代の発音である:

岡山(おかやま)、小港(こみなと)、高樹(たかぎ)、竹田(たけだ) 、鳥松(とりまつ)、美濃(みの)

ここに挙げた例はたまたま日本語漢字の訓読みで統一されているが、たとえば「屏東」は、高雄と同じく日本時代に作られた地名で(へいとう)と発音されていた。旧地名は阿[糸候](糸偏に侯)だ。また、従来の伝統地名から日本化されたパターン(変更則)も様々である。パターンとは以前の投稿でも言及したことがある「高雄」を例に採ると、「元々の地名(打狗)の台湾語発音(ターカオ)に似た訓読みを持つ漢字(高雄、タカオ)を充てる」ということになる。台湾人の中にはこれらを「日式」地名と呼ぶ人々がいる。

日本統治期間中、地方行政制度の改編は七回実施されている。その内、台湾の地名が大量に日本化されたのは、大正9年(1920年)、それまでの12庁体制から5州(台北、新竹、台中、台南、高雄)3庁(台東、花蓮港、澎湖は6年後に制定)体制へ移行した際である。この時日本化された地名の多くが戦後もそのまま引き継がれ現代に至っている。このことは、大東亜戦争後入台した国民政府が「植民遺毒」を完全に排除すべく、徹底した反日教育を施したことと明らかに矛盾している。要は日本化した地名全てを変更するだけの手が廻らなかったというのが真相のようだ。日本風地名の書き換えは、行政区画の下部(日本時代の大字(おおあざ)、小字(こあざ)、市街地では町、丁目)では徹底されたが、それらより上位区画の地名(日本時代の州、庁、市、郡、庄、街)はそのまま残されたのが現実だ。国民政府に依る地名改編は「二字化」、「雅化」、「国民党党是称揚」と言われる。前者二つに関しては後述するが、後者の例については「三民」(三民主義)(例:高雄市三民区)と「民族」、「民権」、「民生」だけを挙げておくだけで十分だと思う。(抜粋終了)
(続く)

posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 美濃古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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