【写真説明】今回紹介する遺構のみ、肉眼に依る確認が未達である。高雄市が調査・研究・報告を委託した高雄市舊(旧)城文化協會(会)が、戦後70余年封印されていたとされる、この「地下水庫(配水池)」(「地下貯水施設」)を「発見」したのは、2017年12月である。台湾メディアが騒ぎ出したのは翌月、2018年初旬だと想像されるが、筆者のアンテナには掛からず仕舞いで、昨年前半に半屏山に関し調べ物をしている途上で知る事になる。従って、当該ニュースが実際台湾メディアの報道合戦の様相を呈したかどうか?一般人の反応がどうだったのか?は実は筆者には判っていない。加えて、「発見」(旧城文化協会作成の報告書中の単語)と云う単語が適当かどうか?も筆者には判然としない。壮大な地下貯水施設の少なくとも配水管の大部分は今は台湾中油の管理下にあるはずで、戦後の国民政府の接収時に引き継がれたはずだ。『半屏山日治時期戰備設施先期調査計畫成果報告書』(70〜75n)中掲載の各ダイヤグラムを見ると筆者の使った「壮大」の意味が朧気乍ら見えてくると思う。「地下水庫 半屏山」でユーチューブ検索した結果を埋め込んだが、各タイトル何れも扇動的だ。序でに貯水タンクの規模が視覚的にイメージ出来る絵を右側に配した。
メディア関係者以外の一般人がこの新発見の現場をシェアして貰うにはどうすればよいのか?中油幹部とのコネクションがあれば良いのだろうぐらいは考えつくが、それ以上のアクションを起こしていない。地下ダムの配水管の延長線が偶然かどうか?は判らぬが、半屏山脊梁最高点の展望台に突き当たる(前出論文70n掲載写真参照)ので、地下50bに設営された巨大貯水タンクの在処を想起させる何物かが地上に突き出ているのではないかと云う原始的な想像に尽き動かされ、勝手に半屏山脊梁西側を徘徊し撮影したのが今回掲載した写真である。北砲台へ至る旧軍備道沿線に中油がフェンスを張り巡らせているのは既に述べたが、#2ゲートの中油側にカメラが据え付けられていた。又、同じゲートの自然公園側の間道にはロープが引っ張ってあった。右写真は防火設備の様で日本海軍とは何の関係も無し。詰まり、結局何の収穫も無かったのだが、今はこの程度でお茶を濁すしかない。そのうちに壽山国家自然公園と中油とで外部向けの常設示を企図する可能性があるかどうか?筆者の感覚では中油が同意するとは思われないが。いずれにしても、極めてユニークな『水の古道』だ。
以前同カテゴリー内で「打狗水道」として、その取水から給水までのインフラを紹介したことがある。今現在の高雄市への原給水システムである打狗水道と、旧日本海軍の半屏山地下ダムへの給水システムは同一かどうか?というのは筆者の素朴な疑問だったのだが、旧城文化協会論文では、後者の水源地は大泉浄水場(Googleマップ上には「政府機関」のマーキングあり、軍管理下と云う意味だろう)、打狗水道の水源地、竹寮取水站の同じ高屏渓右岸沿いの約3`北方に位置する。その後、現在の自來水仁武浄水場を経由し半屏山まで運ばれていた。どちらの浄水場も筆者はまだ足を運んだことがなく、宿題が積み上がったが、それはそれで良いことだ。(終り)
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