【写真説明】前回の投稿の日付けから二日後、1月23日早朝に、筆者の妻、台湾人「龜龜」(北京語読みで「グェイ-グェイ」)は逝ってしまった。筆者の過去の投稿の中で、時折「G博士」として登場願った。子供の頃、動作がのろかったのでそういうあだ名を付けられたと云う風に記憶している。亀ちゃんと云うわけだ。昨年六月にその妻を帯同し筆者の実家、鹿児島に引き上げて来た。1988年に日本を離れ爾来日本に定住したことはなかった。国史跡に指定された白銀坂は著名な古街道なのでご存知の方が多いのではないかと思う。この古道ブログでも将来独立したカテゴリーを設け紹介するかもしれない。
白銀坂は妻と歩いた最後の古道となってしまった。昨年12月初旬と年初3日の二回に分けて歩いた。それから約三週間後、失神、昏倒、全身痙攣を同日に二回繰り返し、顔が腫れ上がって来たので脳内出血を疑い救急車を要請、診断の結果、脳に損傷は無かったが頸椎損傷あり、但し、肝臓がボロボロの状態であることが発覚、医師には非常に危ない状態であることを知らされた。救急車で搬送後24時間も持たず心肺停止、朝6時30分が死亡時刻となった。48歳、死亡届の医師の診断書には「肝不全」と「敗血症」の二つの病名が並んだ。
お正月、二回目の白銀坂踏査の際、二人で写した写真があり、それが二人で写した最後の写真となった。さすがにその写真をここに掲載することは差し控えるが、二回の踏査中、先を往く妻が写る写真が三枚あった。
筆者が台湾古道、台湾山岳にのめり込み、過去二十余年、台湾全土を縦横に歩き廻れたのは妻のお陰である。月並みな文句に聞こえてしまうが、筆者の方から妻に対し何の恩返しもしてやれなかったのは痛恨の極みである。これから、何処の古道でも山道でも良いのだが、そしてそれを日本でもやろうとしていたのだが、妻と手を取りながら歩き続ける術(すべ)は本当に無いものだろうか?(終り)
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彼女はあなた様の側にいると思います。彼女はいつもいつもあなた様の事を気にしていましたから。どうぞ、龜ちゃんの思い出と共にゆっくり歩いてください。
白銀坂、知りませんでした。『しろがね』坂で検索したら『しらかね』坂なんですね。
コメントありがとうございました。
白銀坂、同じ大口筋の龍門司坂と併せ、鹿児島に来られたら是非歩いてみてください。(了)