【写真説明】旧戦備道を半屏山北端迄詰めると学術調査上は「北砲台」と呼称される三層構造の大砲台遺構に至る。最初に目に飛び込んで来るのは三層構造の内中層の砲口(左写真:パノラマもここに埋込み)で、当時南進政策の最前線基地左営港を睨んでいる。その上の上層構造物は中央写真に写る観測所で、ロッククライミングを思わせるハングオーバーの構造物(パノラマもここに埋込み)だ。右写真はこれらの北砲台遺構を擁する半屏山北峰を南側から望んだ。同写真右側に写る軌道は台湾高速鉄道。
以前に紹介したように、半屏山の南北脊梁の総延長は3`程だ。しかしながら、旧戦備道を北端まで辿ろうとすると実に難儀だ。「壽山古道−29:半屏山(1):半屏山概観」で紹介した大岩壁は脊梁西側にあるが、ほぼこの山域の中央にあると考えて良いので、そこから北端の大砲台遺構までまだ2`程歩かなければならない。この間の古道たる戦備道は狭く、アップダウンが頻繁、なかなか標高を稼げない台湾中油高雄煉油廠との境を成すフェンス沿いの歩きになる。とは謂え沿線は単調に非ず、前述の大岩壁程は無いが、見事なサンゴ礁の大岩が連続して迫り出している。それでも、途中で北端まで詰めることをキャンセルして、安易に脊梁最高点の展望台に向かってしまうということを繰り返して来た。半屏山北峰迄漸く辿り着いたのは何と今年になってからだ。コロナ禍の間に半屏山の知名度も上がり、いつの間にか三峰を有する山岳に変身していた。即ち、脊梁最高点にして広い展望デッキと高雄市が埋定した三角点基石を擁する南峰、筆者にとり幻の日本人三角点レプリカの埋定地が主峰、地籍或いは陸測三角点が埋定されていたらしい。消失したか?石灰岩採掘過程で破壊されたか?いずれにしても原基点跡地にレプリカが起立していたのを筆者は目撃し写真も撮ったと信じて疑わないのだが、その写真を探し出せない。その後も当地に赴く度に確認しているのだが、再会出来ず仕舞い。そして、もう一つが旧日本軍造営の大砲台遺構を抱く北峰である。この遺構は上層観測所、中層砲堡、下層南砲堡の三層構造になっており、南側から旧戦備道を詰めて来ると先ず視界を遮るのは中層である。各層遺構の詳細は先に掲載した『半屏山日治時期戰備設施先期調査計畫成果報告書』(52〜60n)に譲ることにする。筆者は当日のスケジュール故その下層と中層をザラりと眺めたに過ぎない。ここからは今度は南に向かい半屏山脊梁を貫く旧石灰岩採掘道路を辿るとあっさりと展望台に着く。(続く)
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