【写真説明】前回の記事で案内板を訳出したように、台湾新幹線左営駅真向かいの後巷通りに沿い、三組の米軍爆撃避難地下工場(『半屏山日治時期戰備設施』論文、第77n)が日本海軍第六燃料廠に依り設営された。北側から、(半屏山)第四原油(洞窟工廠)、潤滑油、酸素の順にレイアウトされ、順に4、3、2連のトンネルで繋がっていた。これらの9箇所の出入口は今でも容易に見て取れる。今回はランダムに選んだ3箇所の現在(2022年4月現在)の洞窟工場東側出入口の現況。左写真が第1号、中央写真は第4号、右写真は第5号。
今年になり半屏山の日軍軍事遺蹟関連情報を漁っていたところ、台湾メディアが半屏山に関し2018年年初に、世紀の大発見!のようなセンセーショナルな報道合戦(一例はこのサイト)を演じていたことを知る。二箇所の異なる遺構を各メディアが異なる単語を用い報道するので、当初は一体何種類の旧日本軍設営遺構を報じているのか筆者は混乱していた。漸く、地下工場(自然公園管理処論文では「洞窟工廠」)と地下ダム(同「地下水庫」)が「発見」の対象であることが見えて来た。戦後70余年にして初めて陽の目を見た軍事遺構はどうも二つながらにしてではなく、地下ダムの方で、地下工場の方は従来知られていながら学術調査の手が入らず放置されていたようで、地下ダムの発見で新めて調査対象となったと云う経緯に見える。
前回の記事に戦備水池遺構脇の案内板の訳出を掲載するに際し、原文「第六燃料廠」をわざわざ「第六燃料工場」と中国語ビギナーよろしく訳したが、実際は「(大日本帝国海軍工廠)第六燃料廠」が正しい。後身は、「台湾中油股份有限公司高雄煉油廠」だ。今現在二つの異なる遺構は中油にて管理しているようだ。日本時代、地下工場は第六燃料廠に依る設営だったのは判るが、地下ダムの方は日本海軍の何処の管轄だったのか?筆者は未だに定かならず。
因みに、旧海軍燃料廠の構成は以下の通り(ウィキペディア日本版「海軍工廠」より抜粋):第1燃料廠(大船)・第2燃料廠(四日市)・第3燃料廠(従来の燃料廠・練炭製造所の後身:徳山)・第4燃料廠(新原炭鉱の後身:福岡県志免)・第5燃料廠(平壌鉱業所の後身:平壌)・第6燃料廠(台湾各地に分散・本部は高雄)。(続く)
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