【写真説明】最高点200b強、南北長3`弱、東西幅1`弱の半屏山は「ミニ壽山」と呼べるかもしれない。そんな中で半屏山の自然遺産を代表するのがここに掲載した「千年石壁」と呼ばれる同山脊梁西側に位置する石灰岩の大岩壁、どう撮影で切り取ろうか迷ったが、読者に想像して貰うしかない。台湾ネット上で岩壁高度情報見付けられず。ウィキペディア台湾版でも同じ岸壁が紹介してある。本来自然遺産としての側面には触れない積りだったが、半屏山紹介の初回として僅かに紹介することにした。ところで、両者一つだけ大きな違いがある。半屏山には猿が生息シテいないことだ。これは奇異な感じを与えられるし、此れ故、半屏山を贔屓にするハイカーがいるかもしれない。
壽山、亀山双方に対し日本軍に依る軍事施設遺構の残存状況をざっくり紹介したので、半屏山に対しても大まかに触れておきたい。大まかと云う表現を用いたのは、これらの遺構は台湾人に依り微に入り細を穿った調査・研究が進んでおり、その結果は報告書等の形で台湾ネット上で簡便に閲覧出来るので、興味のある方にはその方面の資料を当たって欲しい。今回は壽山国家自然公園管理処が高雄市舊城文化協会に調査・研究・報告を委託した『半屏山日治時期戰備設施先期調査計畫成果報告書』(オリジナルのダウンロード元を失念、国家自然公園関連公式サイトの筈だが探し出せず)に依って残存状況の概観を紹介する積りだが、前記の「微に入り細を穿った」と云う意味が理解出来ると思う。同公園管理処からリリースされている壽山、龜山、半屏山の歴史人文遺産に関連する調査研究報告書はこれだけに留まらず、例えば『旗後山、半屏山、龜山軍事遺蹟田調計畫−四山軍事遺址調査報告摘要』で更に広範にカバーされている。専門の事柄は専門家に任せるというのが筆者のスタンスだ。浅野セメント(『壽山古道−17』参照)は壽山と同じく半屏山にも石灰石採掘場とセメント工場を設営する。前出の壽山−亀山−半屏山ダイヤグラムを再度見て頂ければ判るように、これらサンゴ礁の隆起地形は見事に一直線上に位置している。詰まり、サンゴ礁のベッドを共有していると言えそうだ。従って、自然公園としての半屏山の魅力は壽山には遠く及ばないのは単に物理的なスケールの違いだ。浅野セメントにより工業化された半屏山の石灰事業が停止するのは1997年である。それから約15年後に高雄市の重要な自然財産である壽山国家自然公園の一部に指定される。1997年以来高雄市が取り組んで来た緑化事業の一つは、半屏山脊梁を貫く採掘道路に沿った植樹だった。筆者が初めて半屏山に足を踏み入れた二十余年前の印象は、当時既に登山道としてのメイン通りであった前記の採掘道路に木陰が無く太陽にじりじりと照り付けられたというものだった。植樹して間もないと云う知識は無かった。今年今度は歴史人文遺蹟踏査と云う名目で足を運んだ際ふと気付いたのはこれらの樹木が木陰を提供出来る程に成長したことである。二十年と云う歳月は長いのだ。(続く)
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