2007年08月03日
崑崙拗古道−6
【写真説明】左写真はチカタン社入口付近を望んだもの。後方の山は石可見山(標高1,621メートル)への稜線。この稜線の反対側に、力里渓を挟んでリキリキ社(旧力里)があった。残り二枚の写真はチカタン社の内部。今回のブログのタイトルにあるように、チカタン社は、現存するパイワン族最大の伝統集落遺構と謂われている。ここで「現存」という意味は、旧住居が完全な形で残存しているということだ。「遺構」或いは「遺址」と云う意味では、この旧社より規模の大きなものは存在するのだが、それらの地には屋根(パイワン族住居の場合は石板)が残った住居が殆ど無いという差異がある。尤も、チカタン社は既に廃棄された村だが、いまだに何人かの人々が暮らしており、更に民宿も備わっている。然もなくば、このように完全な形で残りようが無い。
[チカタン社−現存するパイワン族最大の伝統集落遺構]
チカタン社は戦後少なくとも二度移村しており、元々のチカタン社は(老)七佳、最初の移村の地が(旧)七佳、二度目の移村の地、即ち現在の地が七佳と呼び分けられており、すべて屏東県春日郷に属している。老七佳までは旧七佳との間の連絡道(登山道)を歩く方法もあるが、今は産業道路が付けられている為、アクセスが非常に便利になっている。チカタン社は現存するパイワン族集落最大の遺構で現在四十戸強が残り、いまだに十人程度が起居している為、保存状態は非常に良好だ。台湾南部でよく知られた原住民族集落遺構としては、ルカイ族発祥の地と謂われる屏東県霧台郷の(旧)好茶(日本時代表記はコツボアン社、或いはコツボアガン等々。「台湾の声」編集部註:ルカイ語でクツァプンガヌKuzapungane)があり、原住民族集落遺構としては唯一台湾の国家史跡に指定されてはいるが、老七佳の方が「世界遺産へ登録しよう」という勇ましい声も上がっているくらい集落遺構としては完全だ。>(メルマガ「台湾の声」2005年12月23日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
【注記】「今は産業道路が付けられている為、アクセスが非常に便利になっている。」の記述ついて。チカタン社への登山口は力里渓と七佳渓が合流している地点に掛かる力里吊橋になる。この吊橋近くで会った原住民のおばさん、旧部落までどれくらい掛かりますか?と聞いたら、私達だったら40分ぐらいだが、あなた方だとひょっとしたら2時間ぐらい掛かるかもね、と言われた。実際2時間掛かった。但し、途中からの山道が判らず、三度目の挑戦でやっと旧部落まで辿り着けた。その入口に着いたら車が止まっており、がっくり来た。そこで、上記の記述になったわけだ。その後、私が勝手に産業道路だと考えていたのは、実は番号の振られた立派な郷道であることが判ったが、実際普通車で乗り入れてみたら、四輪駆動でなければ手に負えないとんでもない代物だった。郷道を辿るのであれば自転車で入るのがいいし、最近のサイト上のチカタン社訪問記の殆どがサイクリストに依るものだ。
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その本の中には、森自身の著作である《生蕃行脚》も収録されていて内容が将にいま書かれている「崑崙拗古道」や以前の「浸水古道」の範囲なのです。彼がこれらの山の中を駆け回り様々なものを記録したのですね。彼は平地に近く漢人と交流のある人々より山深くに住んでいる人々のほうが豊かな生活であると書いています。
その本の中には、森自身の著作である《生蕃行脚》も収録されていて内容が将にいま書かれている「崑崙拗古道」や以前の「浸水古道」の範囲なのです。彼がこれらの山の中を駆け回り様々なものを記録したのですね。彼は平地に近く漢人と交流のある人々より山深くに住んでいる人々のほうが豊かな生活であると書いています。
『古道位置図』の崑崙拗古道部分、特に西側周辺詳細図はすごい迫力ですね。「〇〇社」等はご自身で書き加えられるんですか