2022年10月22日

壽山古道−25:『壽山古道−19:「日軍爐灶」』(2)

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【写真説明】壽山国家自然公園はこのダイヤグラムに示された東側から壽山(地図上では柴山)、亀山、半屏山の三山を抱合する。左写真は亀山と半屏山の間に鎮座する蓮池潭の畔のアトラクションの一つ、巨大な龍虎の張り子(2002年8月撮影)。嘗ては国内外双方旅行者向け定番観光地だったが、当時からここに写る巨大な張り子は定番化と陳腐化を促進する道具建てだったと思う。実際蓮池潭は清の時代からの由緒正しき名所旧跡であり、国家自然公園として新たな装いを整えつつあると思う。中央写真は高雄空港へ着陸寸前の機内から撮影(2005年8月)した壽山(左側)と半屏山、亀山は標高が低く写真上では認識し辛い。右写真は壽山山中の展望台より望む蛇山(壽山北面、2017年5月撮影、亀山に対する風水上の命銘だと思うが今は殆ど死語、軍管制区域で一般人は入山禁止)、亀山、蓮池潭、半屏山。このように三山共々お互いに見通せる位置関係にある。

2011年に開園した壽山国家自然公園については独立カテゴリーを起こし、筆者自身が同公園に対しユニーク性を要する事柄を紹介してきた。この台湾第一号の准国立公園の性格を有する正式名称として壽山が冠してあるが、実際その指定された公園の範囲は壽山(柴山)に加え、西側から亀山と半屏山も含む。その位置関係は冒頭のダイヤグラムを参照にして欲しい。地図の出展はアカデミア・シニカの『臺灣百年歷史地圖』、台湾全土を対象にした地図の最も最後にリストされている「標準地図」をそのまま引用した。三地区の標高最高点は壽山、亀山、半屏山の順に355、64、233b、壽山−半屏山頂上同志の距離は約8`、小振りな自然公園ではあるが、自然・人文両者の観点から共々大変興味深い。それらの一端はこれまで壽山地区に限定して記事投稿を重ねて来たが、それらは壽山、通称柴山に限定されて来た。理由は単純で、近い、広いからである。三地区とも清朝期から名所と謳われて来た場所で、殊に亀山は国定古蹟左営城の一部になっているか、或いは隣接している。近年は単に自然を愛でる、その設定の中での健康増進に加え、軍事遺蹟の宝庫としての行政機関の啓蒙活動が盛んになってきた。台湾で軍事遺蹟に言及する場合、旧日本軍の手になるものが中心である。この人文歴史遺構としての保存活動は年々盛んになる。国内の古蹟の再見直しに武漢肺炎禍はポジティブな影響を与えているのは間違いない。そんなトレンドは「壽山古道−19」の中で紹介したが、筆者の古道ブログの性格上、日軍関連古蹟の紹介まで詳細に手を広げる予定は今の所無い。但し、以前紹介した壽山山中の近年迄唯一日軍遺蹟として知られていた「日軍爐灶」に関し筆者自身の新しい発見があったので追加で紹介したい。加えて、壽山国家自然公園に抱合される亀山、半屏山に日本時代の軍事遺蹟も簡単に言及したいというのがこれから暫くの投稿記事内容である。今回は壽山国家自然公園の総合案内とする。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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