2022年10月08日

内本鹿越嶺古道西段−8:藤枝林道段(1):「中心崙社」

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【写真説明】国立台湾大学の研究に依ると、現在の藤枝林道(荖濃渓林道とも、どちらが正式呼称か筆者は未だに定かならず)に内本鹿警備道の最西端として配置された駐在所は、藤枝から順に、「森濤」、「宝山」(原文は旧体字)、「土龍湾」(台湾側表記では通常「龍」は土篇)となっている。以上を筆者の手元の市販地図+筆者知見と合わせると、以下の通りで、先の投稿記事の通り、藤枝森林遊楽区入口に並立する派出所は森濤なので、台湾大学の「松濤」の取り扱いが判らない。以下表記の順番は次の通り。(「台湾大学表記」)、(市販地図帳表記)、(現代通称)、(藤枝林道`数)、(現代行政区画):

・「藤枝」、森濤、藤枝、19.5`、高雄市桃源区宝山里
・「森濤」、ニ集団/松濤、ニ集団、15`、同上
・「宝山」、中心崙(チュウシンロン)、宝山、11.5`、同上
・「土[土|龍]湾」、興龍、興龍、0`、高雄市六亀区中興里

又、『三十萬分一台湾全圖』第5版と現代地図帳の藤枝林道を重ね合わせて看ると、両者の接点は藤枝以降は「チュウシンロン社」だけであり、これも台湾大学の森濤存在、出所を疑う理由である。左写真は、宝山派出所、林一宏リストに依れば中心崙駐在所の後継と推測されるもの。どう写真に写る道路は藤枝林道。中央写真は宝山社区発展協会(右)と衛生室、日本時代からの遺留家屋の趣あり。右写真は前両写真と同じ場所から二集団方面を望む。大きく写る山は頭剪山。同写真左側の建物は、旧宝山小学校、今は台湾大学の森濤、即ち通称二集団の方へ移動している。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 内本鹿越嶺古道西段 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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