2022年09月24日
内本鹿越嶺古道西段−6:バリサン段(6)
【写真説明】桃源中学生に依る旧バリサン社尋根踏査ビデオの内容は判りにくい。判りにくいと云う意味は、バリサン社の末裔の人々は何処に移遷しそこは今現在何と呼ばれているかということだ。林一宏リストのバリサン駐在所の「現在地名」の項には「無」と素っ気なく書かれている。でも今になりバリサン旧社に対し尋根の旅を続ける人々がいるのだ。そもそも桃源国民中学の現在行政区画は高雄市桃源区桃源里、当時の日本橋より更に北になる。他方、この尋根踏査を引率したのは宝山部落の長老、現在の行政区画では同市同区宝山里、藤枝林道途中にある集落、内本鹿警備道西段、嘗ての中心崙(チュウシンロン)社である。桃源中学と中心崙社の距離は相当あり、これら二つを繋ぐ契機をイメージ出来ない。今回踏査した出雲山林道沿いにブヌン族の旧社遺構、或いは住居遺構は二箇所、一つはバリサン駐在所遺構南側300b、もう一つは同駐在所遺構北側900b(林道1,600b付近)である。筆者のスケッチ、各々右側下と右側上に相当する。桃源国中踏査行の尋根の地と駐在所遺構南300bの住居遺構が同一かどうか?確認する術はないのだが、桃源国中動画に写る住居遺構は集落遺構の趣があり、筆者のイメージに残るスケールに大きな差がある。掲載写真左は林道東側の住居遺構、中央写真は林道西側。右写真はもう一つのブヌン族住居遺構と想定されるもの。(続く)
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