2022年09月10日
内本鹿越嶺古道西段−4:バリサン段(4)
【写真説明】左・中央写真は出雲山林道と馬里渓との初めての出会い、馬里渓は荖濃渓の大支流である濁口渓の源流、濁口渓は最後は大津にて出遭い高屏渓に統合される。ここの渡河地点は小川程度だ。繰り返しになるが「蕃里」も「馬里」も「バリサン」の漢音訳だ。中央写真はその馬里渓を渡り切りバリサン駐在所まで最後の登りに掛かろうとする場所、同写真の手前に河原の石が写る。その坂を登り切り先ず目に飛び込んで来たのが、原住民が張ったと思われるテント、狩猟ベースキャンプと推測されるが彼等にとり招魂の地だ。但し、末裔の居住地を特定出来ておらず。次回は広大なバリサン駐在所遺構の概要紹介を試みる。(続く)
(追加コメント)ネットを渉猟していると『踏査「馬里山舊址」 桃源國中帶學生尋根』と云う今年1月22日付けのニュースに当たった。筆者の入山より僅かに一箇月前だ。高雄市桃源区文物館員に引率された桃源国民中学生に依り実施されたニ日間の踏査行なのだが、筆者が目撃したテントはこの時のベースキャンプ設営に使われた模様だ。彼等の目指したものはバリサン旧社、筆者の目標は駐在所遺構と云う違いがあるので、バリサン社の末裔の話も含めて別の稿を起こそうと思う。
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