2022年08月20日

内本鹿越嶺古道西段−1:バリサン段(1)

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【写真説明】左写真は藤枝林道方面から国家森林区入口・森涛派出所、(出)雲山林道主線(石山林道と交差)、同林道旧線(見附山登山口方面)を望んだ。前者は同写真左側から真っ直ぐに横切る道路、後者は同写真中央部崩壊部、前者の下側を走る道路。中央写真は筆者の手元の市販地図上では「出雲山管制站」、出雲山(雲山)林道と石山林道の分岐点、嘗ては大型観光バスが行き交いした場所で駐車場だけは残されている。後者は内本鹿古道東段を襲ったもの、現在は専ら卑南主山方面への登山道で、筆者も過去数回自身で車を走らせたことがあるが、この管制站の印象はゼロ。その駐車場脇に、藤枝分遣所跡地から続く、島田、金谷、日坂跡と想定される天通山北峰、天通山の稜線への入り口があることを事後知ることになる。右写真は林道起点から0.75`の崩壊部、最初から修復にダメを押されているようなもの、詰まり雲山林道は全面車乗り入れ禁止である。

警備道カテゴリーは一旦クローズさせたが、同古道関連駐在所を延伸させて暫く紹介を継続させたいと思う。先ずは既にバリサン警戒所の投稿記事で予告したように、バリサン駐在所の踏査報告である。

「掛川」と「袋井」分遣所の中間地点に置かれた「バリサン」警戒所以外に、同じバリサン駐在所が存在しているのに気付いたのは『臺灣全圖(三十萬分一)』第5版(台湾総督府警務局)を眺めている時だった。実際この地形図には三箇所のバリサンが記載されているのは既に紹介済みである。即ち、六亀警備道上のバリサン警戒所、内本鹿警備道西段支線ともいうべきバリサン駐在所、そしてバリサン社そのものである。地形図上の赤線が六亀警備道、黄線が内本鹿警備道西段、交差地点が藤枝分遣所である。この最後のバリサン社遺構そのものは、筆者は以前全く注意していなかったものだが、その後関連資料に当たると報告が頻出している上に、ハイカーの山行記録を読むと「規模広大」のコメントあり。但し、ハイカーの目的地はこのブヌン族旧社ではなく、蕃里山、藤枝遊楽区から日帰り登山コースということで筆者を酷く喜ばせてくれた。加えて、バリサン社の性格は、台湾総督府警務局『理蕃誌稿』(第4編、470n、原文は句読点無しカタカナ)に以下の通り報告されており、大社であることが想像出来る:「バリサン社」頭目一族の線内移住」―彼等の旧耕地に移住を願出たるを以て之を調査するに、頭目は日常克く官命を遵守し社内蕃人の指導に努めつつあり(中略)蕃地事業に支障なきのみならず却て施武郡蕃操縦上便宜尠からざる。ということで、俄然、踏査行を敢行したのが今年2月である。

八八水災は台湾各所でハイカーに対し「憧れ」の地を造成してくれたが、筆者にとり出雲山林道主線(林務局は「雲山林道」と呼称、全長約40`)もその一本、初めて進入した訳だが、同林道0.85`地点で早くも大きく崩壊、車の進入はどう転んでも不能であることを現場で確認、八八水災の仕業だ。林務局が今後同林道の修復を試みるとは思えぬ崩壊振りを呈するのがバリサン駐在所跡地までの間に二箇所ある。この林道入口から直ぐの部分と1,400b付近、余りの崩壊振りに何故か安堵感を覚える。バリサン駐在所跡地は2,500b付近、林道入口と駐在所跡地の落差は400b弱、下り一方であるのがハイカーの立場からのコメント。(続く)

posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 内本鹿越嶺古道西段 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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