【写真説明】左写真は藤枝国家森林遊楽区がまだ八八水災復旧期間中、即ち閉園中だった2016年に撮影した、遊楽区入口とその奥に写る『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』に依る「藤枝」分遣所跡地の森濤派出所(正式には「高雄市政府警察局六亀分局森濤派出所」)。「もりなみ」とは優雅な日本語だ。何時、誰に依る命名かと興味深い。そう言えば「六亀特別警備道−21(扇平林道)」で紹介した派出所名は「もりやま」だったが、前者の規模が格段に大きい。中央写真は昨年末、見附山+見附分遣所を目指した際に撮影、今や六亀警備道南段と云う呼称があり伝統的に登山対象として台湾人ハイカーを吸引して来た稜線を望む。特に目立つピラミダルな山容を持つ二座は手前が見附山(標高1,686b)、後方が楡油山(同1,891b)である。どちらの頂上にも警備道としての遺構が残る。
2009年の八八水災(モーラコット台風)以降10年の時を経て再開園に漕ぎ付けた藤枝国家森林遊楽区は、その後昨年8月襲来の台風で又もや遊楽区下方の藤枝林道18`地点で崩落、最近になり開園となったが、今現在自家用車での直接乗り入れが禁止され、崩落地点から2.5`下った場所に設けられた櫻花公園に車を停め、遊楽区管理処の車に100元札と交換に乗り換えなければならないと云う面倒臭さだ。ところで、この櫻花公園、何時開園したかはもう記憶に無いが、当初は実にしょぼい公園だったのを覚えている。それが今や全長20`の林道全線は言うに及ばず六亀市街地まで渋滞になってしまうこともあると謂われる、南台湾一番人気のお花見公園になってしまった。
遊楽区内の六亀警備道沿いの警察官吏駐在所遺構に関しては、既に「六亀特別警備道路藤枝段」として紹介済みである。即ち、北から順に第19宿「府中」、第20宿「鞠子」、第21宿「岡部」である。元京都帝国大学演習林の一部である森林遊楽区は、第22宿「藤枝」の名が冠せられているにも拘わらず、藤枝分遣所跡地が何処なのか?筆者はこれまで何の手掛かりも持ち得なかった。林務局同遊楽区の公式サイト内の区内案内図(これはそのまま遊楽区内に設営された掲示板にそのまま使われている)には明確に「藤枝警備駐在所遺址」と記載されているが、実際は府中分遣所の位置、しかも一箇所のみの標記だ。筆者の手元の市販地図も林務局と同じ位置に「藤枝駐在所遺址」の標記だ。
このフラストレーションを一気に解決してくれたのは、大津、日本橋と同じく『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』の位置情報だった。曰く「森濤派出所、林務局藤枝森林遊楽区入口旁」、なーんだと拍子抜けした。森濤派出所は、六亀警備道上の旧駐在所の中で唯一戦後もそのまま生き残った警察官吏処と言えるかもしれない。但し、別の角度から予測すれば、六亀警備道開鑿時の藤枝分遣所位置と現在の森濤派出所位置が果たして同一か?は疑問が残る。これまで複数回述べて来たが、六亀警備道は二区間の例外を除き基本稜線上に開鑿されたと予想されるので、遊楽区内に残る駐在所跡のGPS座標をプロットすると「藤枝」分遣所跡地、即ち森濤派出所の位置は西側に外れ過ぎているのではないか?と疑問を呈したのが、左写真ダイヤグラム上の点線である。黄色の線は現在の石山林道で、ほぼ内本鹿越嶺警備道西段(古道)を襲っていると謂われている。藤枝は二つの警備道の連結点であったので、分遣所が特別な位置に設けられたのかもしれない。(終り)
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