【写真説明】その梅園の中は大小の自然石が散らばっており梅園に趣を添えている(上段左・中央写真)。自然石とは河岸段丘を構成する石塊である。最初はバラバラにそれらの石が散らばっているとばかりに見えたのだが、よく見ると明らかに人が積上げた石の集合体が三基あった。その中の一つは四辺を持つ台状になっているのに気付いた(上段右写真)。古そうだが駐在所遺構かどうか?確認する術は無し。先達研究者の特定に敬意を表するしかない。『六龜警備道踏調査01(日本橋段、小關山林道段、沼津段)』と題する元気の良い六亀警備道踏査記録がネット上で公開されている。元気の良いとは台湾人若者グループに依る踏査行だからだ。サブタイトルに「日本橋段」の文字が躍るが、何故かここ日本橋の踏査はスキップされている。理由は判らない。彼らにとり踏査の名に値しない、自明のしかも低地の遺構という意味なのか?いずれにしても、台湾ネット上で日本橋分遣所遺構に関するビジュアルエイド付き情報に遭遇したことがないのだ。
これで筆者の「日本橋」確認は完了したと思った。下段左写真は桃源区市街地内に聳える同区原住民文化館の裏手の荖濃渓段丘縁から日本橋分遣所跡地を見降ろしたもの。同写真最も左側の尾根を辿った先(写真には写り込んでいないが)が第1宿品川分遣所の設営位置である。中央写真は荖濃渓右岸沿いの台27線を暫く南下した場所から日本橋分遣所設営地点を写真左最奥にして撮影したもの。急峻な斜面上を駆け上がるように六亀警備道は開鑿され稜線まで辿ったと推測される。同写真左から数えて三本目の尾根の途中が留佐屯山西峰、即ち品川の在処なのだが、同頂上が鋭角なピークを形成していないので判り難い。右写真のダイヤグラムは、その稜線に至るまでに設営された駐在所と稜線に至った後、基本稜線に忠実に沿い南下する六亀警備道の概念図である。参考までに、中央写真と同位置から撮影したパノラマ写真を埋め込んだ。丁度左写真と中央写真を併せ込んだイメージだ。六亀特別警備道の最北端の地勢をイメージして貰う為に掲載した。筆者に残された時間を考慮すると、日本橋と凡そ600bの標高差がある品川踏査、即ち留佐屯山西峰登山をどう実行するか、少々難題である。(終り)
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