2022年01月22日

六亀特別警備道−32:「日本橋」(1)

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【【写真説明】当時の地形図(例:左写真『臺灣全圖』昭和14年台湾総督府警務局第五版、30万分の1)にも表記があるので「日本橋」分遣所が存在したのは明らかだ。但し、その位置については、現在の高雄市桃源区区役所(行政区画上は、桃源区桃源里)の荖濃渓を隔て対岸にあることまでは地形図でも判読出来るのだが、対岸の何処なのか?とにかく対岸に渡りそれらしい遺構に当たるかどうか試してみようと云うのが2006年2月と5月の踏査行だった。結局それらしき遺物には当たったのだが、「日本橋」跡かどうかを確認する手立ては無く、それから長らく踏査は放り出していた。同地形図上表記のある「ガニ渓頭社」住居遺構だったのかもしれない。そこで画期的だったのが、前稿出の『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』に収録されているGPS座標である。この論文に日本橋が収録されているのをご教示くださったのはM氏である。筆者が踏査した区域よりかなり南側、且つ荖濃渓縁(へり)である(中央写真)。同論文のコメントは「荖濃渓畔」だ。右写真(2006年2月撮影)に写る集落対岸の畑地と思しき二つの出っ張りの内の手前の方だ。前回は、目標地よりかなり上流側、しかも標高の高い場所を徘徊していたということになる。「大津」分遣所跡地の駐車場の写真を撮りに出掛けた翌日、「日本橋」分遣所遺構を確認しに出掛けた。前者までは筆者のアパートから1時間強のドライブになるが、後者までは優にその倍の時間が掛かる。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 六龜特別警備道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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