【写真説明】前回今回と日本人には何と読めばよいのか判り辛い古道名を冠したが、元々この古道を目指したわけではなく、目的は前回の鉄国山の現場を確認することだった。どういう理由でその古戦場の南側の小さな街に足を向けたのか?もう思い出せないが、偶々同古道を示す石碑(上段左写真)を見掛けとにかく歩いてみたのだ。従って予備知識も無く、歩道として整備してある階段を登り降りしただけの記憶しかない。当時撮影した写真を見る限りは結構歩いているようだが、撮影した写真の殆どに対し記憶が飛んでいる。歩き始めた古道の階段脇の意匠(上段中央・右写真)に以下の紹介があった(筆者拙訳):「苦苓脚古道」−昔は苦苓脚村民にとって唯一の外部への交通手段であり物品の販売購入の為にこの石段を何往復もしなければならず、毎日家に帰り着くと両足の筋肉痛が酷く、村民はこの村を「可憐脚」(台湾語発音:「可憐」はかわいそうの意)と呼んでいた。民国60年(1975年)になり「苦苓脚」と改名した。この古道と前回記事の鉄国山との関係は有るのかないのか?は判らないが、ネット上の紹介記事を見る限りでは大概セットだ。下段の写真は順不同で古道上で見掛けた古道の証らしきものを並べた。少なくとも両足が腫れ上がるような坂には出会わなかったと思う。台湾では「汗路」、或いは「汗路古道」という通称を用いている。これまで紹介してきた嘉義県の古道は全てこの人生重き荷を背負いて往くが如し山道である。(終り)
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