【写真説明】梅山は元々は梅仔坑と呼ばれていた地で、大正9年(1920年)の地方制度大改革で台南州嘉義郡小梅(庄)となる。戦後、台南県嘉義区梅山郷、1950年に嘉義県梅山郷となり現在に至っている。小梅は所謂日式地名で大正9年の行政区画再編の際、台湾全土に持ち込まれたという歴史がある。枚挙に暇が無い。梅山市街地の観光名所と謂えば日本時代に開園した梅山公園ぐらいだと思うが、印象に乏しいのは日本時代の遺物が皆無だからだろう。但し、梅の季節は賑わう。そんな中で、昭和5年(1930年)に棟上げした嘉南水利組合の事務所跡を襲った食堂兼コーヒーハウスは直ぐ目に付いた。台湾各地に少なからず水利組合関連の建築物は残っていると思う。さもなくば、跡地に戦後の水利会のビルが建っているのが恒だ。(終り)
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