【写真説明】今日は筆者の63回目の誕生日である。手元の市販地図を眺めていたら、大坑山古道の更に東側に「水水古道」と云う表記があるのに気付いた。地図を見る限り、水道から凌雲巌へ辿る産業道路途中からその古道の西側起点に入り込めそうだった。その産業道路との三叉路には凌雲巌と刻まれた石碑が建っている(左写真)のだが、そこから水水古道起点まで通じていると思われる車道(同写真右側)は余りにも狭い。そこで古道東側起点である阿里山森林鉄道、水社寮駅(右写真)からのアクセスが便利そうだったので、日を改めて出直すことにした。水社寮駅は前稿で紹介した獨立山駅よりも更に阿里山側の駅である。日本時代は水車寮だった。水社寮駅迄辿り着けば、水水古道起点は自明であろうと予想していたが、然にあらず。替わりに、四大天王山歩道(中央写真)に出食わした。当初、この歩道イコール水水古道ではないかと考えていたが、直ぐに異なる山道であることが判った。先の歩道は、四天王山(1,458b)、知鳥山(1,445b)、青園山(1,437b)、篤鼻山(1,422b)の4座の稜線を貫き、阿里山森林鉄道のもう一つ嘉義側の交力坪駅とを結んでいる。これら四座を四大天王山と総称しているようにも見受けられるが、四天王も四大天も同義語だ。日本では前者が一般的、台湾では後者だと思う。東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天である。埋め込んだ写真は凌雲巌に至る車道上に掛かった仁聡橋の袂から撮影したもの。恐らく快適な縦走コースと想像されるが、時間の関係で四天王山頂上まで至り引き返した。水水古道と四大天王山とは水社寮歩道と駅から程遠からぬ所で交差しているはずなのだが、交差点は判然とせず。ところで、「水水」とは、先に竹崎三大古道の番外編として紹介した水道と水社寮の頭(かしら)を取り命名したものだ。詰り、水道から大坑山古道に繋がる現在の産業道路はそのまま古道ということになる。(終り)
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