【写真説明】左写真は大坑古道の入口。場所に関してはこのダイヤグラムを参照にして欲しい。中央写真は古道途中から大坑山を望んだ。今はマニアックなハイカーしか登らない。右は古道最上段の凌雲巌の境内。
台湾に大坑、或いは大坑山と云う地名は多い。「坑」は台湾語音訳で、河の傍、即ち谷を意味するようだ。この投稿のタイトルを大坑古道としたが通常は大坑山歩道という表記が一般的で、竹崎市街地にも古びた道路標識が良く目に付くので、昔から人口に膾炙しているのだと思う。にも拘らず筆者が現地に赴いたのは今年の春節になってからで、余り気乗りしなかったのは本当の意味での古道かどうか甚だ疑問だったからだ。ところが、この稿を起こすに当たりネットを渉猟していると、大坑山歩道を整備した際の記事があり、「数ある竹崎地区の古道の中でも塘湖古道と大坑古道が最も古い」と云う紹介に当たった。他方、日本時代の地形図を見てみると、相当する位置に道路が見当たらない。
いずれにしても、現在この地をポピュラーな観光スポットとしているのは、2,763段の階段である。これが歩道そのものである。竹崎郷文峰村大坑庄王厝の小村から凌雲巌と呼ばれる廟堂までを繋いでいる約2`の階段である。その落差600b、健脚だと40分程度で登り切れるという紹介がサイト上では目立つが、落差は実際その半分も無い。さもなくば40分では登り切れない。廟堂の創建が1964年、従って歩道は古道と言うより王厝からのショートカットと云う性格が強い。自動車道も付いており、同じ区間延々6`辿る必要がある。3,000段弱の階段と云うのは運動不足の方には堪えると思う。筆者にとり発見は先の投稿でも記したが、竹崎地区の古(いにしえ)の開拓民の艱難辛苦だ。今は舗装された自動車道がこれでもかこれでもかと云う具合に奥迄で入り込んでいるのだが、ぐんぐん高度を稼ぎながら狭く谷に張り出し、筆者の運転技術では大いに問題有りだ。(終り)
【関連する記事】
- 《嘉義県の古道》大坑山古道−2:大坑山基点峰
- 《嘉義県の古道》出水坑古道−2:篤鼻山・青園山(四大天王山連峰)
- 《嘉義県の古道》出水坑古道−1
- 《嘉義県の古道》半天古道(梅山郷):「徐徐品創」
- 《嘉義県の古道》半天古道(梅山郷):「嘉義梅山乾隆民番界碑」
- 《嘉義県の古道》半天古道(梅山郷)
- 《嘉義県の古道》古梅古道(梅山郷)
- 《嘉義県の古道》安靖古道(梅山郷)
- 《嘉義県の古道》水水古道(竹崎郷)
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−5(金獅寮造紙寮)
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−4
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−3
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−2
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−1
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−番外:「水道」
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−塘湖古道−2
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−塘湖古道−1
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−独立山古道