【写真説明】左写真は嘉義県郷道120号線上にある塘湖古道の指導標、その古さから地元では人口に膾炙した古道であることが察せられる。同写真中の緑の指導標上の「水道」は地名であるが、文字通り日本語の水道である。中央写真は古道途中にある福建坪の集落のメインストリート上の一家屋、謂れがありそうな地名だが、日本時代の地図にはこの地名の記載は無い。右写真は塘湖古道として林務局が整備した最上段の入口。尚、塘湖の「湖」とは池の意味では無く、筆者の記憶が正しければ、窪地、山中の平坦部を指す台湾語音訳のはずだ。
塘湖古道は最近になり手元の市販地図を眺めている際見付けたもので、それ迄は耳にする
機会も無かった。この古道を調べている際に竹崎三大古道と云う呼称に往き当たった。これら三古道を全て実際歩いた後暫くして気付いたのだが、竹崎郷内の古道から単純に三本選び出したのではなさそうだと云うことだ。この三大古道はそのどれもが朴子渓本流の上流を形成する牛稠渓が二つに分岐する地点が起点になっていることである。これは日本時代の地形図を見ると明らかだ。
今現在この分岐点は「水道(頭)」と云う地名になっている。水道は日本語である。日本人が上水道用の水源を整備した場所で、そのまま台湾自来水公司に引き継がれている。そう、正に「水の古道」なのだ。ところで、「牛稠」とは「牛圏」の台湾語音訳だそうだ。牛圏とは牛を飼う場所を指すようだ。
竹崎市街地から牛稠渓右岸を東進する郷道120号線が牛稠渓南北の分岐点を越えると 阿抜泉と云う地名になりそこから郷道を外れると先ず塘湖古道ハイカー用の広い駐車場に出会い、現代古道はそこが起点となる。但し、この駐車場から急登になるのだがそこは福建坪と呼ばれる集落なので普通車で更に高度を稼げる。とは言え運転の下手な人(筆者も含め)は止めた方が良い。途中複数箇所駐車場があり、最上段の駐車場から本格的な古道となり、上掲右写真のように整備されている。初回は最下段の駐車場まで、着いたのがもう夕暮れだったので。二回目、古道は恐らく塘湖山頂上近く迄整備されていると思うが、適当な場所で引き返し踏査完了とした。
それでも塘湖山頂上だけは押さえておきたかったので、竹崎市街地から東進する嘉義県道155線を辿り塘湖集落へ直接車で乗り入れそのまま頂上下まで至り同古道の踏査を完了とした。「独立山古道」投稿記事の中で掲載した日本時代の地形図(阿里山森林鉄道の核心部、スパイラルループ線)下方(南側)に阿抜泉と塘湖を結ぶ今は古道に変じた道路が明確に示されている。(続く)
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