【写真説明】林務局が独立山国家歩道(嘉義県竹崎郷公所発行の絵地図)と指定している歩道は、三区域に分けられており、阿里山森林鉄道樟脳寮駅と独立山駅とを結ぶ区間を独立山古道、独立山駅から更に山腹を北側に奉天岩と呼ばれる廟を経て更に北へと高度を稼ぐ区間を紅南坑古道、これら二つの分岐点東側、独立山山頂を含む区域に設けられた歩道を独立山歩道として古道と区別しているが、ハイカーにとってはこれらの区別は重要とは思えない。左写真は独立山山頂、2003年の撮影だが、無基点峰であることも手伝い非常に印象の乏しい山頂、山頂まで辿り着いたことも忘れていた。2017年撮影の中央・右写真は独立山駅、阿里山森林鉄道の駅の中で最も人口に膾炙した駅の一つだと思う。
嘉義県は2市、2鎮、14郷から成る。この内阿里山山脈に隣接、或いは繋がる山域を擁する行政区画は阿里山郷に加え、北から梅山郷、竹崎郷、番路郷、中埔郷、大埔郷である。通常はこれらの地域に古道は散在しているのだが、殊に阿里山森林鉄道沿線に著名な古道が集中している。その中の一つがこのブログ中でもカテゴリーを設けた特富野古道で、今や台湾古道中、全国区人気一番の様相を呈している。嘉義県の古道は筆者の知見に依る限り、阿里山森林鉄道沿線、原住民族狩猟道・交易道、開拓民村連絡・交易道に区分されるのではないかと思う。最後者は台湾に渡って来た漢人開拓民の内後発組は先発組に平野部を押さえられ仕方なく山へ山へと押し上げられる構図である。阿里山山脈の山間に切り開かれている小村を見るに付け、開拓民の艱難辛苦は容易に想像出来る。そう、艱難辛苦がキーワードである。無論、日本が台湾を領有する前の時代の物語である。
先ずは筆者の妻の実家がある竹崎郷の古道の紹介からスタートする。通称「竹崎三大古道」とは、独立山古道、塘湖古道、金獅古道である。この内、独立山古道は全国区である。一つには無基点峰、標高840bの独立山が台湾小百岳の一座だからだ。もう一つは、世界三大登山鉄道の一つ阿里山森林鉄道の核心部、樟脳寮駅と独立山駅の間落差200bを登り切る為に、独立山中を螺旋状に刳り貫きループ線とスイッチバックを駆使したスパイラルループ方式(明治40年発行の5万分の1蕃地地形図)の現場を目撃出来るからである。従って独立山古道は単に竹崎、或いは嘉義市の裏庭の趣を越えて全国からハイカーを集めている。妻の実家は牛稠渓を隔て独立山の真向かいに位置しているが、筆者はまだ二回しか足を運んだことが無い。敬遠する理由は駐車スペースの確保だ。
阿里山森林鉄道、或いは阿里山登山鉄道に関する情報は日本語であれ巷に溢れているのだが、百年以上も前に竣工させた日本人先達に敬意を表し以下概観する:
現在林務局が管理する当該鉄道の正式名称は「阿里山林業鉄路」、略称は「林鉄」である。始発駅嘉義駅(標高30b)から本線の終着駅沼の平(現在の沼平、標高2,274b)迄の総延長は73`弱、落差は約2,250bある。この間、18駅、現在の行政区画に従うと、嘉義市、竹崎郷、梅山郷、阿里山郷を通過する。大正3年(1914年)、沼の平迄の本線が完工、大正9年(1920年)からは旅客運送が開始された。
沿線各駅は乗用車でのアクセス可能なので、昨今の鉄道ブームに乗り休日は遊楽客で喧噪を極める。筆者は鉄道ファンではないので、阿里山鉄道の特定駅を主題にした記事はこのカテゴリーの中では起こさないことを原則にした。それでも18駅の内15駅は訪ねたことがあるのだが、未だに乗車したことは無い。(続く)
【関連する記事】
- 《嘉義県の古道》大坑山古道−2:大坑山基点峰
- 《嘉義県の古道》出水坑古道−2:篤鼻山・青園山(四大天王山連峰)
- 《嘉義県の古道》出水坑古道−1
- 《嘉義県の古道》半天古道(梅山郷):「徐徐品創」
- 《嘉義県の古道》半天古道(梅山郷):「嘉義梅山乾隆民番界碑」
- 《嘉義県の古道》半天古道(梅山郷)
- 《嘉義県の古道》古梅古道(梅山郷)
- 《嘉義県の古道》安靖古道(梅山郷)
- 《嘉義県の古道》水水古道(竹崎郷)
- 《嘉義県の古道》大坑山古道(竹崎郷)
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−5(金獅寮造紙寮)
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−4
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−3
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−2
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−1
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−番外:「水道」
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−塘湖古道−2
- 《嘉義県の古道》竹崎三大古道−塘湖古道−1